階級別 バンタム レジェンド

国民のバンタムと私のフェザー/エデル・ジョフレ

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黄金のバンタム、こんな戦績の王者は2度とあらわれないといえる伝説の王者ですが、40歳にして無敗のWBC世界フェザー級王者として引退した事実をご存知だろうか?興味深く読みたい読者は少ないだろう。その現役時をよく知らないから。これはファイティング原田へのカウンターパートとして記録しておく。なかなか興味深い内容だ。

天才とは努力する才能である/ファイティング原田(本名 原田政彦)

ファイティング原田、リアルタイムでは知らないのだが、この偉人を振返り、次世代のバンタム級を継ぐ日本人を見届けなければなるまい。 この記事が気に入ったらいいね ! しようシェアするツイートするTwitt ...

エデル・ジョフレは歴史上最も優れた南米のファイターとして広く知られている。ジョフレが1960年11月にバンタム級王者になった時、この小さなブラジル人はサッカーで夢中な国で最初の世界王者となった。ジョフレは1973年WBCフェザー級王者にも輝き、伝説をまたひとつ加えた。

ジョフレはアルゼンチン人の父親とイタリア人の母親の間に生まれた。幼少期は極貧だった。

ジョフレ
「子供時代はとても貧しくて、路上でボールを蹴ったりグローブをはめて殴り合って将来の職業のリハーサルをしていました。キャプテン・マーベルやスーパーマンに憧れていました。たぶんセンスはよかったとおもいます。」

当時ブラジルではボクシングは活発ではなくサッカーこそが強制的な国民的スポーツだった。

ジョフレ
「アルゼンチン人の父は芸術愛好家でアマチュアボクサーでした。ブラジルでボクシング一家だった母と出会いこのスポーツをはじめるようになったのです。多くのいとこやおじがボクサーで、それは家族の公式スポーツでした。」

このような環境で育ったジョフレは力をつけ、1956年メルボルンオリンピックにブラジル代表として出場したが準々決勝で敗退した。

ジョフレ
「オリンピックは素晴らしい経験でした。自分と同じ体重のパートナーがいなかったので、大きな相手とばかり練習してましたが、怪我をしてしまったのです。そのせいで五輪ではクラウディオ・バリエントスに負けた。プロでバリエントスと再戦し8回でノックアウトしました。」

1957年、ジョフレはプロボクサーとなり、29勝無敗3分を記録。33戦目にライバルのエルネスト・ミランダと戦った。彼とは1957年に2度引き分けていたが3戦目にしてジョフレが15回判定で勝利した。

1960年夏、ジョフレはNBAタイトルのエリミネーターでアメリカデビュー。ジョー・メデルと対戦し10回KOで退けた。この勝利でジョフレのパンチャーとしての評判が高まった。

ジョフレはこの試合を、最大にして最も過酷な試合だったと語る。

ジョフレ
「親父がセコンドにいなければ負けていたかもしれませんでした。彼のアドバイスが的確でした。」

サッカーのペレがブラジルはもとより世界的に有名な反面、ジョフレはあまり知られていなかったが、地元では大いに愛され、彼らは今でも友人だ。

その後も、エロイ・サンチェスや無敗のジョニー・コールドウェル、メデルとの再戦、青木勝利、ジョニー・ジャミート、ベルナルド・ガラバッロなどアウェーでも勝ち続け、バンタム級の帝王の地位を確立していった。

1965年、ジョフレは再び「日出る国」に出向き、ファイティング原田と戦う。原田は現在に至るまでジョフレが受け入れないと主張するスプリット判定ではじめてジョフレに土をつけた。

ジョフレ
「正直、あの試合は私の勝ちだ。明確な勝利だ。私が言ったんじゃない。ジャッジを除くほとんどの人が誰が勝者なのかをみてそう言ってくれた。日本の人々はみな私を勝者だと元気づけてくれました。その態度はタイトルと無敗記録の喪失という心の傷を癒してくれました。

家族とブラジル人にも励ましを受けました。あの試合は過酷だった。原田はとても速くてエネルギッシュでしたが、ホールドやバッティングも酷かった。ジャッジはそれを無視した。バッティングでダメージを負ったのです。けれど日本の人々は私に大いに同情し愛情や友情を示してくれたので私は日本人に大いなる敬意を表します。」

2人は後に再戦するが、またしても原田の勝利に終わった。
この試合でジョフレは引退を決意した。

ジョフレ
「原田との再戦に敗れ、もう戦うモチベーションを失っていました。人生で最も過酷な時期でした。この先何をすればいいのか、将来を描くことができませんでした。」

ボクシングは常に彼の心にあったが、ジョフレはボクシングを止め、おばの経営するサーカスを手伝った。サーカスでファイトパフォーマンスをしブラジル中を旅してまわった。

しかし友人と父親に説得され、3年ぶりにフェザー級でボクシングに復帰する。
4年間で14連勝し、ホセ・レグラ(128勝8敗)に勝ち再びフェザー級の世界王者に輝いたのだ。

ジョフレ
「37歳になって2階級目の世界王者になれるなんて不思議な気持ちでした。私にはまだ何かが残っていたのです。私はフェザー級で25戦、ひとつも負けていません。バンタム級はブラジル国民のため、フェザー級は自分のための王座といえました。」

同年後半、ジョフレは後の殿堂入りボクサー、ビセンテ・サルディバルをも4回KOで下している。(サルディバルはこれを最後に引退)74年6月にタイトルを剥奪されるも、その後7回戦って全て勝利した。1976年秋に引退を表明、72勝50KO2敗4分という驚異的な記録を残してグローブを吊るした。

1992年ボクシングの国際殿堂入りを果たす。ファイティング原田というたった一人の例外を除いて、彼はありとあらゆるファイターと戦い全て勝利した。

ジョフレ
「キャリアを通じて簡単な試合などひとつもありませんでした。いつもランクの高い相手、元王者、大陸王者などと戦ってきました。私の時代にベストを尽くせたことを誇りにおもいます。もしタイムマシーンにのってクラスを変えることができるならモハメド・アリと戦いたい。夢をみるのは良い事です。」

現在83歳になるジョフレは2013年に53年連れ添った妻を亡くしたが、2人の子供と6人の孫に囲まれて暮らしている。ブラジルの英雄として引退後も活発な活動を続けている。

最高のライバルたちについてジョフレに聞いた。

ベストジャブ ホセ・レグラ

174センチと背が高くリーチが長かった。彼はミニ・モハメド・アリと呼ばれていた。

ベストディフェンス エルネスト・ミランダ

彼とは4回も試合をした。2勝2分でした。アルゼンチンのこの男のテクニックは途方もなく、彼のディフェンスを崩すのは大変でした。

ベストチン トニー・ジュマオアス

フェザー級でスキルに難はあったけど石を殴っているようでした。

ハンドスピード ファイティング原田

すごい手数と回転速度だった。遮二無二打ってきて、攻撃が最大の防御になっていました。

フットワーク ホセ・レグラ

華麗なフットワークでリングを動き回っていた。そして長いリーチで敵を捕らえるのです。

スマート ファイティング原田

彼だろう。一番速かった。

ストロング ダニー・キッド

たくさん殴ったけどすさまじく抵抗してきた。何度もダウンさせたのに判定勝ちだった。

ベストパンチャー ジョー・メデル

ベストパンチャーとはいえないかもしれないけど、テクニカルで精密で正確なパンチを持っていた。彼は危険な相手だった。

ベストスキル ビセンテ・サルディバル

でも彼は自分のスキルを披露する時間がなかった。私の父がガンで早く試合を終わらせる必要があったんだ。試合後に手術だった。あの試合は殺るか殺られるかのサバイバルだったんです。

総合 ジョー・メデル

もっとも完成度の高いファイターだったとおもう。彼が私に世界王者になる自信を与えてくれたんだ。1960年にメデルに勝つことができた時、私は無敵だと感じることができた。

原田や日本の事もきちんと出てきたので記載しました。
ハンドスピードはわかるが、スマートまで・・・

(He) had a lot of velocity in his arms, reaching to hit me recklessly several times. It was a style of his own that hindered the opponent when he tried to hit him.

攻撃が最大の防御と訳すのかわかりませんがそう捉えました。

フェザー級無敗記録は知りませんでした。だから原田戦後のキャリアもあんなに長かったのだな。
ビセンテ・サルディバルは柴田、ジョフレに敗れ引退・・・柴田もガラスのアゴがなければすさまじいファイターだったのだな。
原田のところでも出てくるジョー・メデルは多く語られる偉人ですが遂に「無冠の帝王」のまま終わりました。

なんか原田のファイトをみていると、比嘉大吾が浮かびます。
猛烈ラッシャーにして比嘉にはハードパンチャーの側面もありますから、是非帰ってきてくれ。

具志堅よりもファイティング原田なのである。
君は世界のレジェンドになれる・・・

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プクー

原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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