階級別 バンタム レジェンド

衝撃のJJ/(Joltin=驚異)ジェフ・チャンドラー

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サンドバル繋がりで出てきた名王者、ジェフ・チャンドラーの事も紹介しておきます。日本人としてはこちらの方がなじみがある選手かとおもいます。ボクシングとは時の運、村田英次郎もルペ・ピントールやチャンドラーのような名王者が相手でなければ世界王者になれていたかもしれない。記事は日本人の方のもので翻訳ではないですが、貴重なので転載させていただきました。

ボクサーは強力なライバルによりその実力に磨きをかける。いかに才能にあふれていても対戦相手に恵まれないと正当な評価すら受けず消え去る場合もある。今回紹介するチャンドラーは村田の熱烈なファンだった私にとって憎むべき強敵であり、しかもその実力にため息さえ漏らさせた、憎らしいほど強い強豪ボクサーです。チャンドラーにとって村田は最大の宿敵であり、彼の実力を開花させる強力なライバルだった。

フィラデルフィアのスラムに生まれ、幼少時からまわりは凶悪犯罪が起こり、自らの身を守るためにストリートファイターとなり、喧嘩にあけくれ、70回ほどの乱闘で一度しか負けなかった身体が小さく鉛筆のように細い黒人少年。それがチャンドラーだった。

ひょんなことからアマチュアボクシングを始め、4試合目に当時アマで名を馳せた高校の同級生のジョニー・カーターと対戦し、クロスゲームの末判定負け。この次点でチャンドラーのボクサーとしての素質の凄さが伺える。

プロ入りしてからの初戦は引き分け。その後も判定勝ちが続いたが、当時の米国はバンタム級の選手があまりいなくて、バンタムでも体重の軽いチャンドラーは(Jr.バンタム程度の体重しかなかった)フェザー級、時にはライト級の選手と対戦していた為だ。しかし、そんなウェイトのある相手からもダウンを奪って圧勝したりとチャンドラーのソリッドなパンチは評判になっていた。

試合相手に恵まれないチャンドラーは名伯楽ウィリー・オニールにコーチ兼マネージャーを頼むが、当時世界王者のコーチとマネージメントをしていたオニールは多忙であったが、チャンドラーの素質を見込んで妻の名物マネージャー"KO"ベッキー・オニールをマネージャーにするなら時間が空けばコーチをするという条件でチャンドラーの申し込みを受けた。しかし、このベッキーとの出会いがチャンドラーのボクサー人生を大きく変えた。

ベッキーは大変有能なマネージャーで、今まで探すことが難しかったバンタム級の対戦相手をすぐに見つけてきて試合を組んでくれた。相手がバンタム級ならチャンドラーの強打はおつりが来るほど通用した。試合もほとんどがKO勝ち。しかもこのベッキー、ボクシング界では名物マネージャ-として有名で試合以外でも注目を浴びだしたこの名コンビに世間は注目。申し分のないチャンドラーの実力も幸いし世界への挑戦の機会も比較的早く訪れた。

相手はフリアン・ソリス。強豪王者ホルヘ・ルハンから番狂わせでタイトルを奪取した、比較的楽な王者だった。ソリスもWBA/WBC1位の強豪村田との対戦の前に、比較的金の稼げる米国人の世界的には無名のチャンドラーなら楽に防衛できると踏んでの対戦だった。しかし、蓋を開けてみるとチャンドラーのスピード、強打に圧倒されダウンを奪われてのTKO負け。米国では実に26年ぶりのバンタム級王者誕生という快挙だった。

初防衛戦では前王者のルハン。不利を予想されたが、俊敏な動きから繰り出す、スピードと切れのあるパンチでルハンを圧倒。大差の判定勝ちを納めた。

ルハンに完勝した事で、自信を深めたチャンドラー。2度目の防衛戦は日本で村田の挑戦を受けることになった。

自らの実力に過信気味のチャンドラーは少々村田を侮っていた。確かにビデオをみると村田はそんなに強そうに見えなかったのだろう。いつも通りの練習をこなし、自信満々で来日し、いつもどおり自分が圧勝するのだと記者会見でもうそぶいていた。

1Rのゴングが鳴り、1分をすぎたころ不用意に接近したチャンドラーに、村田の右ショートクロスが炸裂。2mほど吹っ飛ばされたチャンドラーは幸運にもロープに支えられ、ダウンをまぬがれた。「何が起こったのか?村田は何で飛び上がっているのか?」村田が飛び上がっているのではなく自分が吹っ飛ばされたことに気付いたチャンドラーは、村田の強打、実力を目の当たりにし勝つための戦法を取らざるを得なかった。徹底的にクリンチ、ホールドをして距離を殺し、村田のスタミナを奪う。離れた距離からリーチを生かしてジャブ、ストレートを打ち無用な打ち合いは避ける戦法だ。
それでも村田の強打は唸りをあげて飛んでくる。何とかポイントを取る為になりふりかまっていられない。チャンドラーも必死だった。村田が膝を痛めたためロードワークが充分に出来なかったのが幸いしたのか村田は深追いしてこない。そして終盤村田がペースダウンしたところに軽いパンチながら的確なクリーンヒットをあげポイントを重ねる。最終15R勝利を決定付けようと村田がさらに打って出る。膝を折りふらふらになりながら耐えるチャンドラー。判定はチャンドラーには幸運な、村田には非情なドローだった。この試合結果の為、村田のランクは1位のまま変わらず。少なくとも1年以内には再戦が義務付けられるものとなった。

この試合結果に反省したチャンドラーはウィリー・オニールにコーチを頼み込みボクシングスタイルをパワーアップさせることを主眼において猛練習を積んだ。その成果は3度目の防衛戦、前王者のソリスをワンパンチでKOしたところに現れている。

村田との初対戦から8ヵ月後に再戦が行われることが決定したが、チャンドラー自身、この試合を嫌がり避けられない指名試合なのがわかると、村田との試合のビデオを100回見て、村田の弱点を分析し、ある弱点をつかみ、自信を持って試合を受けることにした。

村田との第2戦は地元米国のアトランティックシティー。チャンドラーは万全の体調に仕上げていたが、対照的に離日直前に腰を痛め、歩くのもままならない状態で米国入りした村田のコンディションはガタガタだった。しかも初の海外での試合。さらに試合時間が現地時間の夜11時と村田にとっては悪条件が重なった。しかし、何よりも不運だったのはこの日のチャンドラーの出来だった。
前回とは別人のようなチャンドラー。物凄いスピードからのコンビネーション、ロングのパンチが飛んでくる。さらにはチャンドラーが見つけた村田の弱点。アッパーに対する防御の甘さをついて、ショートとロングのアッパーを交えたパンチが炸裂する。試合は気の毒なほど一方的だった。わずか半年ほどでこれほどまでに強くなるものなのかと目を疑うほどだった。乱打されながらも13Rまでなんとかしのいだ村田を待っていたのは、チャンドラーの見えないショートアッパーだった。死角から切り裂くような右アッパーが炸裂するとそれまで耐えていた村田もたまらずダウン。朦朧としながら立ち上がった村田にアッパーをふんだんに交えた猛烈な連打。村田崩れるようにダウン。なおも立ち上がり反撃する村田を滅多打ち。レフリーがたまらずストップ。テレビ解説をしていた白井義男氏が「今後、彼に勝てる選手は出ないんじゃないか?」と唸ったほどの出来だった。TKO負けした村田は試合後、病院に1週間入院するほどのダメージだった。

宿敵村田を一方的に打ちまくりその実力を世界に披露したチャンドラーに新たな問題がでてきた。なんと挑戦者が現れなくなったのだ。試合間隔が1年に2度になる。またパワー・アップの為に肉体改造を行った為、強靭な筋肉が付き、その結果今まで苦労してなかった減量に苦しみだす。

7度目の防衛戦は後に人気王者サンドバルを再起不能にしたガビー・カニザレス。当時バンタム級最高の強打者といわれた実力者で世界ランクも二位だった。指名試合でなくてもこのような強豪しかチャンドラーに挑戦の意志を示す選手がいなかったからだ。さらにチャンドラーはこの試合減量に失敗。苦戦が予想された。しかし、この強打者を段違いのテクニックとスピードで圧倒。大差の判定で退けるがソリス戦以来続いたKO防衛は4度でストップ。この試合をを境に1階級上のJr.フェザー級への転向を始める。しかし、転向第2戦のオスカー・ムニス戦でまさかの判定負け。初黒星を喫する。試合自体はクロスゲームだったが、勝ちは間違いないと信じていただけに今後に厳しい結果となった。

この結果により転級を一時あきらめ、バンタム級の防衛記録を更新するのを目指すことにした。

その記録には避けて通れない強敵との再戦が再び巡ってきた。村田が再びランク1位となり、指名試合を行わなければならなくなった。村田は引退をかけてこの試合に臨む決意を示していた。さらに対チャンドラー対策としてボクシングスタイルをボクサータイプからファイターへとギアチェンジして臨んで来た。

1Rファイターに変身した村田に戸惑うチャンドラー。しかし、2R今度はチャンドラーがボクシングスタイルを変えて対抗してきた。足を踏ん張って強打を打ち抜くスタイル。これが見事に的中した。ファイターの村田のガードが下がっているのを察知すると、その隙間に強烈な右ストレート。前のめりに倒れる村田。このパンチは強烈で村田の足が動かなくなった。3Rさらに強烈な右クロス。一瞬間をおいて村田が再びダウン。勝負はこれで決したかと思われたが、猛然と村田が反撃。続く4R、今度は村田が強烈な右でチャンドラーをぐらつかせる。5、6Rも村田ペース。しかし、チャンドラーは足を使わず強烈なパンチを的確に当ててくる。7R、強烈なカウンターが村田に命中。かろうじてダウンを逃れた村田が8R、勝負に出る。猛然とパンチをふるってくる村田に追い込まれる場面があったが、何とかしのぐと続く9R、スタミナが切れ、ダメージが蓄積して意識が朦朧としている村田に強打を叩き込む。10R、チャンドラーが強烈な右フック3連発。スローでみても見えないほどのスピードと、ウェイトの乗ったパワーのあるパンチだった。このパンチで勝負は決まった。何度ダウンしても反撃をする村田を最後に沈めたパンチは右のショートアッパーだった。一瞬間をおいてばったりと倒れた村田。試合が終わった。再来日したチャンドラーはバンタム級史上に残る強打者となって戻ってきたのだ。最後のダウンを喫しながらも立ち上がろうとする村田の目の前で、チャンドラーは大きくビクトリーポーズ。ボクシングの美しさと残酷さを示した印象深いシーンだった。

宿敵村田を完璧に倒して引退に追い込み、再戦でムニスを血だるまにしたチャンドラーの長期政権を誰もが予想した。当時の全階級を通じて最も安定し、落城しそうにない王者との評価を受けたほどだった。しかし、世界王者以上の実力を持つ村田との3度にわたる激戦、強打者カニザレス、曲者ムニス、テクニシャンのルハンなど実力派との対戦はチャンドラーの肉体を静かに蝕んでいた。

なんと、伏兵サンドバルにダウンを喫し、まさかの15RTKO負け。サンドバルの突進を易々と許し、村田を沈めた圧倒的な強打は影をひそめ、まったく自分の距離がつかめない。練習中に左肩を故障し、完治しないまま試合に臨んだせいか、パンチの斬れや多彩なコンビネーションも影を潜め、更にはスピードも無いためサンドバルを追いきれず、出すパンチ全てが打ち抜くどころか、腰すらも入っていない相手に置きに行くような腑抜けたパンチ。相手のスタミナ切れを待って攻勢を仕掛けようにも、自分のダメージの方が蓄積するほど打ちまくられ、さしてパワーの有るともいえないサンドバルの連打と突貫攻撃にずるずると後退するのみだった。結局サンドバルの馬力に押され、コーナーに詰まって連打された15R、レフリーがたまらずストップ。つい数ヶ月前に村田を沈めた出来とは程遠い、別人のような王者だったが、なんと白内障を患わっていたことが判明。この試合を最後に引退となった。

チャンドラーの去った後のバンタム級は寂しくなった。バンタム級としては異例の5千万円のファイトマネーを手にしていた実力・人気を備えた王者の引退後、この階級で怪物視される王者はノニト・ドネアの出現まで待たなければならなかった。

当のチャンドラーは引退後、わずか15年でボクシングの殿堂入りを果たした。軽量級の選手では異例の早さの殿堂入りで、過去の怪物王者たちと比肩してもまったく遜色ない実力者だった。全盛期の強さは、本当に手がつけられない状態で、ボクシング自体のクオリティが非常に高く、進化しているといわれる現在のボクシングでも、「チャンドラーに勝てる選手は、現在いるか?」と聞かれればほとんどのボクシングファンが首を横に振るだろう。

170cmのバンタム級では飛び抜けた長身、リーチも180cmを誇り、ショート・ミドル・ロングレンジ全ての距離での戦いも完璧。パンチの種類も多彩な上に、そのコンビネーションの美しさは他の追随を許さないほど。スピードは現在のボクサーなど比較にならないほど速く、パンチがスローですら追えないほど速かった。そのパンチ力も、王者になりたての頃は、切れるパンチで、相手はダウンさせるが、決定的なダメージではなく連打を決めてストップさせるというスタイルから、徐々に一発で倒すパンチを習得し、キャリア終盤は斬れだけではなく、重くて破壊力のある図抜けたパンチャーへと変貌していった。村田との第3戦など、タフな村田が一発でダウンさせられ試合後に「相手のパンチが物凄く強すぎた。パンチが痛かった」とコメントしたことことからみても、バンタム級史上でも指折りの強打者といっても過言ではない。

異常に発達した動態視力を誇り、防御勘もずば抜けていて、パンチを食うこともほとんど無い。タフネス自体も試されたことがないといっていいほど。唯一、バンタム級史上指折りの強打者のカニザレスや村田のボディ攻撃を許したこともあったが、本人自身「私はボディは非常に強いので、さしたるダメージは無かった」と嘯いていたほど。ダウンも、身体に異常をきたしていたサンドバル戦を除くと、初戦で村田に吹っ飛ばされたこと(幸運にもダウンにはならなかったが)くらい。ピンチらしいピンチなどほとんど無く、相手を打ちまくって無傷のまま試合を終了させる。
ピンチに陥っても、イラリオ・サパタやサムエル・セラノ、エウセビオ・ペドロサ顔負けのクリンチやホールドといったダーティテクニックを完璧に駆使し、相手のスタミナや戦力を奪う術も完備していた。更には、苦戦した村田との再戦に臨むに当り「彼との試合のビデオを100回見た。彼への対策は完璧で、自分は彼を倒す3通りのパターンを身につけてきた」というほどの戦略家でもあった。また、ボクシングを始める前はストリートファイトを頻繁に行い、70回を越えるストリートファイトでわずか1回しか負けてないという、強さを越えた勝負に対する度胸・勝負勘も持ち合わせていた。正に穴の無い王者とは、彼の事を指しているのではないか。

余談だが、村田対チャンドラー第3戦が開催される直前、或る雑誌に、当時世界王者だったあの渡辺二郎が自選の世界のパウンドフォーパウンドを紹介していた。1位はハグラーで、同じサウスポーのボクサーファイターの完成形ということで、尊敬の念もこめて。何と2位はチャンドラー。プライアーやハーンズ、ラリー・ホームズといった歴史的な強豪を抑えてだ。彼のコメントは「チャンドラーが完璧なボクシングしたら、まず勝てる選手はおりまへん。最近は一発で倒すパンチも身についたみたいやし。村田さんもかわいそうですね。こんな強い選手と戦わなならんなんて。ピントールの方がまだチャンスあったのに」と、ある意味ハグラー以上の高評価だ。

しかし、チャンドラーはその実力を完璧に示した試合はわずか2試合しかなかった。他の試合は手を抜いても勝てる相手だったのか?あるいはむらっけのある気まぐれ屋だったのか?相手の実力不足だったのか?真実は定かではない。(すべての試合が圧勝だったためか?)その2試合は村田との3試合中の2試合だった。この2試合のチャンドラーのパンチは多彩で、実に良く斬れ、しかもパワーと圧倒的な破壊力があった。宿敵との対戦に対しては、万全の状態で臨んだという事なのだろうか?とにかくこの2試合のチャンドラーの強さは、今見てみても目を見張るほど図抜けていて、勝てそうなボクサーが見当たらないほどの素晴らしい出来だった。

宿敵を沈め、栄光を欲しいままに続けそうな勢いだったチャンドラーは宿敵が去った後、不運にも肉体的なトラブルに見舞われ、あっという間にその栄光から滑り落ちてしまった。

2人の引退がほぼ同時期だったのも何かの因縁かもしれない。

生涯戦績33勝(18KO)2敗2分
2000年に国際ボクシング殿堂入り

身長170センチの鉛筆のように細い黒人の青年、軽量級不毛のアメリカにおいてジェフ・チャンドラーこそがアメリカ初(26年ぶり?)のバンタム級世界王者だった。豊富なアマチュアキャリアがあったわけではなく、天性の素質で成り上がった才能にみえる。中量級の細身の黒人パンチャー、ハーンズがアジアや南米の軽量級にそのまま降りてきたような能力。体はしなやかでパンチは強く次元の違う身体能力だ。

その後アメリカにも軽量級王者が誕生しはじめたから、チャンドラーこそがその道を切り開いたといえるのかもしれない。

村田との試合を重ねる毎に差をつけていったように、まだ伸びる、強くなる余地がたくさんありそうな素質、才能だが、村田と完全決着がついてほどなく、自身のキャリアも突如終わることになった。

白内障、手術、失明のリスクを避け引退。

殿堂入りの名王者だが、コンディションとモチベーション次第でどこまで強く、防衛を伸ばしていったかわからないほどの才能だったようにおもう。

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プクー

原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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