無知の涙も枯れて/(ラカンドン)ビクトル・ラバナレス

カメラのフラッシュ、美しい女性、20日間のパーティーが遠くにあった。イダルゴ駅の入り口近くで叫ぶその男にもはや過去の面影はない。かつてその男が世界チャンピオンだったことなど誰も知らない。大都市のつぶやきのように、フランネルを振って叫ぶ男の声が聴こえるだけだ。

ビクトル・ラバナレス(Victor Rabanales、男性、1962年12月23日 - )は、メキシコの元プロボクサー。チアパス州出身。第19代WBC世界バンタム級王者。マヤ文明の時代からメキシコのジャングル奥地に住む先住民族ラカンドン族の1人であり、ボクシングの基本から外れた型破りのファイトスタイルでWBC世界バンタム級王者となった。2001年には日本で総合格闘技の試合も行った。

かつて世界王者だったメキシコのビクトル・ラバナレスは無知の涙にくれた。詐欺師にポポカテペドル火山を買わされたが、実際は別人名義だった。世界王者のベルトを5000ペソで手放したが、実際には15000ドルの価値があった。今日、アステカのボクサーは少しでもお金を取り戻し、まともな生活を送ることを求めて彷徨っている。

メキシコシティの地下鉄、イダルゴ駅でケサディーヤやチキンスープを売り歩く、小さくて悲しい目をした男が誰であるのか気づかなかった。彼は1992年に大阪で辰吉丈一郎を破り、WBC世界バンタム級王者になった男だが、ベルトなしではほとんど認識さえできない。130人の世界王者を誇るメキシコの約96%が辿る破滅の物語をラバナレスもなぞった。それ自体注目を集めることですらない。

ビクトル・マニュエル・ラバナレスは1962年12月23日チアパス州シウダードイダルゴで生まれた。わずか7歳でボクシングを始めた。高校生の頃にプロボクサーになった。

1983年8月13日、プロデビュー(初回TKO勝ち)。その後は3連敗を2度経験するなど、苦しいプロキャリアを経験。

1991年5月20日、39戦目で世界初挑戦。WBC世界バンタム級王者グレグ・リチャードソン(米国)に挑むが、12回判定負け。王座奪取に失敗。

彼は不器用でテクニシャンではなかったが、ライバルを破壊する規格外の強さを持っていた。

1992年3月20日、世界再挑戦。WBC世界バンタム級暫定王座決定戦に出場し、李勇勲(韓国)に9回負傷判定勝ち。44戦目で暫定王座獲得を果たした。

常に「チアパス」と刻まれた特徴的なトランクスを履いて2度の防衛に成功したが、彼の栄光の夜は1992年9月17日に、9ラウンドで辰吉丈一郎を破り正規王者になった時だった。ラバナレスの腕が挙げられた瞬間、ボクシングで最高地点に到達したことに気づいた。

https://www.youtube.com/watch?v=j0PA8P5C-uA

キャリア全盛期を迎えドルを大量に稼いだ。キャリア合計でラバナレスは100万ドル稼いだと言われている。カメラのフラッシュ、美しい女性に囲まれたパーティーは20日間続き、ラバナレスは全ての友人に飛行機のチケットを渡してチアパスからメキシコシティに旅行した。戦いで折れた歯は金歯に変えた。高価なシルクのシャツを着て宝石を身に着けた。

ラバナレスは生涯世界戦を8試合し2003年、41歳でボクシングを引退した。
ボクシング以外のことを知らなかった。詐欺師にそそのかされてポポカテペドル火山を購入することになった。ポポカテペドル火山は、征服者エルナン・コルテスがアステカ帝国の都市であるテノチティトランを最初に発見した場所だ。

アステカの誇り高きラカンドンはこのビジネスを真剣に考えていた。

ラバナレス
「高所トレーニング施設やボクシングの試合会場、ウサギ農場を建てるというアイデアがありました。それらの権利を全部妻に渡しました。」

現在、その妻と離婚しているラバナレスが騙された詐欺はこれだけではない。テスココの土地を買った時も騙された。彼には4人の子供と6人の孫がいる。

その後ラバナレスはアルコール依存症、薬物中毒者になった。病気は今日まで続いている。生活苦となり必死に身の回りの物を売る必要があった。WBCのチャンピオンベルトも5000ペソで売ったが実際には15000ドルの価値があった。

ホセ・トーレス(元トレーナー)
「残念なことに成功に浮かれ悪い仲間、習慣が身に付き、精神的なバランスを失ってしまったんだ。全てが失われてしまった。悲しいことです。アイドルになるとそうやって堕ちていくのです。」

行政は元世界王者に毎月1500ペソ(約8500円)の援助をしている。

ラバナレス
「そのお金のうち、私は1日50ペソ(約280円)以上使わないようにしています。ペットボトルの水とパン、または安い食事を買っています。」

さらにラバナレスはテスココの市場で果物を仕入れ、レストランに売ったりあらゆる事をして生計を立てている。ボクサー時代の写真を売ったり、ボクシングの解説に自分を売り込んだりしているが上手くはいってない。

カメラのフラッシュ、美しい女性、20日間のパーティーが遠くにあった。イダルゴ駅の入り口近くで叫ぶその男にもはや過去の面影はない。

ラバナレス
「自分を守ることを学ばねばなりませんでした。でも落ち込んでいる場合ではありません。聖書を読むと信仰心が向上します。人々が別れを告げる、または「おやすみ」という時、私は「神のご加護を」と答えます。」

メキシコの午後、地下鉄を出る人の群れがラバナレスの前を通り過ぎる。かつてその男が世界チャンピオンだったことなど誰も知らない。大都市のつぶやきのように、フランネルを振って叫ぶ男の声が聴こえるだけ。

ラバナレス
「安いよ、美味いよ、ケサディーヤ、チキンスープ、魚のフライはいかがですか?」

プロボクシング
73戦 49勝(26KO) 21敗 3分

ビクトル・ラバナレスには叩き上げの強さがあり、型破りで荒っぽくボクシングはヘタクソにみえるがしぶとくてやりにくくて屈強、プロの奥深さを体現したようなファイターだった。

辰吉と1勝1敗の激闘を演じた後は世界王座返り咲くことはなかったが、その後、1995年、未来の王者ラファエル・マルケスのデビュー戦の相手を務めて8回KO勝ち。マルケスはエキシビジョンかとおもったと語っていたが、デビュー戦に選ぶ相手ではない。

気の毒な第二の人生だが、どこかに明るさや希望がある気がするのが救いだ。何よりもあれだけ激しいファイトを続けて身体が健康であるならばきっと大丈夫だ。

ラカンドンの男はボクシングは見た目の華麗さや才能だけじゃない事を教えてくれた。

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