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コロンビアの誇り/(Kid Pambelé)アントニオ・セルバンテス

投稿日:

70

アーロン・プライヤー

「キャリアを振り返ると彼が一番だったとおもう。セルバンテスにはプロで100戦のキャリアがあった。10年間、2団体で王者に君臨していた。初回に俺はダウンして立ち上がり逆転KOしたんだ。セルバンテスが俺のキャリアでは一番偉大な男だった。」

コロンビアのボクサー・パンチャーであるアントニオ・セルバンテスは、1970年代に長年チャンピオンとして君臨していた選手であり、広く史上最高のジュニア・ウェルター級の一人と考えられている。

セルバンテスは1945年12月23日、コロンビア北部のサンバジリオ・デ・パレンケで生まれた。アメリカ大陸で最初の奴隷の反乱が起きた場所とされる地域で、幼少期は非常に困難な時代を過ごした。

セルバンテス
「私はシャンバスという貧しい地域に住んでいました。 "El Corral de Negros"(黒い庭)と呼ばれていました。荒れた土地だったが、働き者の町でもあった。両親と同様、私の兄弟は皆勤勉な労働者でした。みんな働かないと食べていけない。私は家族と一緒に、生きていくために必要なことをしました。

靴磨きが私の収入源だった 当時は誰もが大事な靴の手入れをしなければならなかったので、私は最高の輝きを与えるためにそこにいました。タバコはもっとアングラな仕事だった。誰にでも売ってとにかく少しでも多くのお金を稼ぎました。」

叔父がセルバンテスにボクシングを紹介し "キッド・パンベレ "とあだ名をつけた。

セルバンテス
「この地域の子供たちはみんな戦うのが好きだったので、私も自然にそうしていました。」

10代の頃、将来のチャンピオンとなるセルバンテスはトレーナーのカルメロ・プラダと出会い、一緒に仕事をするようになった。セルバンテスは、1964年1月に18歳でプロ転向を決意するまで、わずか3試合アマチュアに出場しただけだった。

セルバンテス
「プロになったばかりの頃は、良いファイターではなかったから、誰も興味を持ってくれませんでした。」

プロとしての最初の20試合で無敗だったが、1966年後半に無名のチプリアーノ・ズールアガに2連続判定負けを喫した。さらに連敗したが、敗北から学び、そのたびにリベンジを果たした。

1968年、国内タイトルを獲得。プラダが住んでいたベネズエラでも戦い始めた。

1970年秋、アメリカデビューを果たし、ホルヘ・ロドリゲスを8ラウンドで下した。この勝利に続いて、未来のライト級ベルトホルダーであるロドルフォ・ゴンザレスを打ち破った。

1971年に4戦勝利し、WBA王者のニコリノ・ローチェに挑戦。
セルバンテスのボクシングは好調だったが、ブエノスアイレスで有名なルナパークでアルゼンチンの巨匠に15ラウンド全会一致の判定負けを喫した。

2度目の王座挑戦の機会を求めていた頃、ローチェは1972年3月にパナマの新鋭のアルフォンソ・フレイザーに王座を奪われた。その年の後半、セルバンテスはフレイザーのWBAベルトに挑み、10ラウンドストップでコロンビア初の世界王者となった。

振り返ってみると、これが最も誇りに思う瞬間だったと言う。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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