階級別 バンタム レジェンド

偉大なる臆病者/ウィラポン・サハプロム

投稿日:

19

長谷川には、1回殴ったら2回殴り返された。2回殴ったら3回殴り返されました。僕が戦った時は若くてフレッシュで。エネルギッシュで力が漲っていたのだとおもいます。
西岡は、すごく速くて、捕まえるのが難しかったです。

元ムエタイのスター、ウィラポン・サハプロムはボクシングに転向し、1990年代から2000年代にかけてバンタム級タイトルを長期間保持していた。2度目の王座奪取は特に記憶に残るもので、14回のWBCベルト防衛に成功した。バンタム級の王座の長期防衛に成功したのはオーランド・カニサレスとマヌエル・オルティスだけで、ウィラポンより王座保持期間が長いのはカニサレスだけだ。

サハプロムは1968年11月16日、タイのナコンラチャシマで4人の子供の次男として生まれた。本名はティーラポール・サムランクランという。

サハプロムがまだ幼かった頃、彼の家族は150キロ以上(100マイル近く)西のサラブリに引っ越した。父親はトラックの運転手として働き、母親は小さな屋台を経営していた。サハプロムは、貧しい家族を助けるために幼い頃から仕事を始めた。

ウィラポン
「12歳くらいの若い頃、パンクしたタイヤを修理する道端の小さなブースで働いていました。トラックの運転手が主な客だった。朝は学校に行き、夕方には店で働き、店で寝泊まりしていました。1つの穴につき30バーツ(1ドル)もらっていました。時にはもっと儲けるために、わざとタイヤに穴を開けたりもしてました。」

この時期にムエタイのキャリアをスタートさせた。

ウィラポン
「地元のお寺のお祭りでファイトをみました。たくさんの子供たちがいて、みんなの体重を測って、手首に体重を書いていました。子供たち全員をまとめて、試合を組んだんです。その時に戦う気があるかどうか聞かれました。それがデビューでした。最初は家で練習していました。ジムにも入っていませんでした。バンコクの大会に参加するようになってからは、サラブリでトレーニングをしていましたが、試合の15日前くらいにプロモーターがスパーリングパートナーを呼んでくれました。」

ムエタイのキャリアの絶頂期には、サハプロムはジュニアフライ級、フライ級、ジュニアバンタム級で権威のあるルンピニとラチャダムナン選手権で優勝した。1試合あたり200,000バーツ(6,500ドル)の賞金を得た。

サハプロムのプロモーターはプロボクシングへの転向を決意し、ナコーンルアンプロモーション(NKL)と契約した。

1994年12月、デビュー前の3ヶ月間、ボクシングを中心としたトレーニングを行い、ジョエル・フニオを3ラウンドでノックアウトしたのがデビュー戦となった。

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偉大なる臆病者/ウィラポン・サハプロム | 【忘れられた伝説】ボクシング不滅のレジェンドたち
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プクー

原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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