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アンタッチャブルスイートピー/パーネル・ウィテカー

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昨晩、”スイートピー”パーネル・ウィテカーが交通事故で亡くなったという訃報を聞いた。
55歳、速すぎる死・・・まさか、あのウィテカーが・・・きっと彼のボクシングのように車の往来をあの素早いフットワークとディフェンステクニックでかわそうとしたのではないかと不謹慎にも想像してしまった。

ディフェンスの天才とはウィテカーの事だった。生涯無敗のディフェンスマスター、フロイド・メイウェザーとの違いは、相手を選ばずその時のベストと戦い続けたことだけだ。

この記事は2015年当時のものです。

パーネル・ウィテカーはフロイド・メイウェザーのサウスポーバージョンだった。メイウェザー以前の時代でほとんど攻撃不可能なディフェンスの魔法使いだった。ウィテカーを倒すことは不可能だった。

ウィテカーは1984年のオリンピックに米国代表として出場しライト級で金メダルを獲得、201勝14敗という輝かしいアマチュアキャリアを残した。

ウィテカー
「11人の偉大な仲間たち(米国五輪代表)と共に支え合って戦いました。まるで大家族のようで11人は兄弟でした。オリンピックは別格で金メダルを獲得したのが私の人生で最も成功した瞬間でした。」

ウィテカーはプロとしても成功を収め、4階級を制覇しP4P、ベストファイターと認められた。

「スイートピー=ウィテカー」は1988年、フランスでWBC王者のホセ・ルイス・ラミレスに世界初挑戦、物議を醸すスプリット判定で敗れたものの前に進むのをやめなかった。

ラミレスが勝ったとおもったのは彼に近いジャッジの2人だけでその他全員がウィテカーの勝利を確信していた。ウィテカーは1年後、IBF王者のグレグ・ホーゲンに挑み、18戦目で最初の世界王座を獲得すると2度めの防衛戦でラミレスと再戦し雪辱、初戦のジャッジの不正を自ら正してみせた。

その後約10年間、1997年にオスカー・デラホーヤに敗れるまで勝ち続けた。その後の試合も含め、世界戦の通算戦績は19勝3敗1分だった。

ウィテカーのキャリアでもっとも厳しい失望といえる試合が、当時87勝無敗のメキシコの伝説、フリオ・セサール・チャベス戦の引き分けといえるかもしれない。チャベスにとって速すぎ、スリックすぎたウィテカーは、試合を有利に進め、プロではじめてチャベスに土をつけたようにおもわれた。

しかしウィテカーは引き分けという現実に同意した。

ウィテカー
「チャベスとの試合は想い出深いもののひとつです。私は自分が勝ったことを知っています。救いはファンが誰が勝者であるかわかってくれたことです。」

ウィテカー(40勝17KO4敗1分)はキャリア晩年の1999年にIBFウェルター級ベルトをかけてフェリックス・トリニダードに挑み判定負け、2年後の再起戦でカルロス・ボジョクエスと対戦、鎖骨を骨折し自身初のTKO負けを喫し引退を余儀なくされた。

ウィテカー
「私は完璧なキャリアを全うしたとおもう。プロとして17年間戦い素晴らしい経験をした。どんな相手からも逃げずに戦いました。」

ウィテカーは2007年に国際ボクシング殿堂入りを果たした。5人の子供と3人の孫に囲まれている。

ウィテカー
「人生は素晴らしく、私は日々の生活を楽しんでいます。」

2019年7月14日 14日午後10時頃(日本時間15日)バージニア州、バージニアビーチの交差点で自動車にはねられ、死去。55歳没。

ライバルについて

ベストジャブ バディ・マクガート

私は本気でジャブを当てにいくつもりはなかった。距離を操りディフェンスするためにジャブを利用したのです。それが私の最高の武器のひとつでした。ジャブで試合を構築していくのです。全てのボクサーはジャブを習得すべきです。ジャブが距離を作り、試合を作り、長いキャリアを作る。対戦相手の中ではマクガートがいいジャブを持っていた。

ベストディフェンス アズマー・ネルソン

ディフェンスじゃ私は誰にも負けないから、誰かを選ぶのは難しい質問だね。一人選ぶとしたらアズマー・ネルソンだね。この惑星で自分より優れたディフェンスの持ち主はいないよ。

ベストチン バディ・マクガート

強いアゴだって?これまた難しい質問だね。私はボディを打つのが得意だったからね。ボディ打ちの名人さ。マクガートは強いパンチに耐えていたね。

ベストパンチャー フリオ・セサール・チャベス

私が戦った相手は皆ハードパンチャーだったよ。でも突出していたのはチャベスだね。私はビッグショットを打たれた経験がない。パンチを食うのは好きじゃなかったからね。

ハンドスピード オスカー・デラホーヤ

これも難しい質問だ。みんなハンドスピードがあって素晴らしい相手ばかりだったよ。でも私より速い奴はいなかった。デラホーヤも素晴らしいハンドスピードを持っていた。みんなそのスピードを生かして戦おうとするんだ。試合中に故障した時だけ私のスピードは終わりだったね。

フットワーク ディオベリス・ウルタド

誰に対してもフットワークは問題なかった。みんな素晴らしいファイターばかりでいい脚をもっていたけど、そう見えないようにするのが私の仕事だからね。ウルタドは特にいいフットワークだったけど、そんな彼を普通のファイターに変えてしまうのが私だよ。

スマート 全員

みんな素晴らしい、スマートなファイターばかりさ。私がよりスマートだっただけさ。チャベスもデラホーヤもとてもスマートだった。マクガートとは2度戦ったけど彼はベテランだった。私よりスマートなファイターはいないよ。

屈強 アズマー・ネルソン

私は誰のパンチももらわなかった。全ての相手をアウトボックスしたからね。印象に残っているのはアズマー・ネルソンだね。強靭な男で常に前にでてきた。

ベストスキル フリオ・セサール・チャベス

素晴らしいファイターで偉大なスキルを持っていた。ビッグパンチャーでもあった。捕まらないように注意深く戦う必要があった。拮抗したせめぎ合いだったよ。

総合 アズマー・ネルソン

ネルソンが好きだな。常に前進し決して諦めない男だった。とても頑張る男だった。

デビューから無敗の89連勝のレジェンド、フリオ・セサール・チャベスに初めて土をつけかけたのがメルドリック・テーラーならば(残り2秒で逆転TKO負け)本当の黒星をなすりつけたといえるのがパーネル・ウィテカーだった。脅威のスピードとディフェンスでほぼチャベスを完封した。しかしアクション満載な倒し屋の人気者、チャベスは世界一の英雄であるがゆえ、判定は無情にもドローが精いっぱいだった。

インタビューでもプライド溢れるように、そのディフェンステクニックは神がかっており、生涯無敗の称号を与えてもいいほどのマスターだったが、人気の面でどうしてもその判定上等なディフェンシブな戦い方は常にヒーローに対するアンチテーゼ、ヒールでありつづけた。

キャリア途中の1敗はフランスでホセ・ルイス・ラミレスに判定を盗まれたもの、その他の3敗はキャリア最後の3戦で、晩年、満身創痍で怪我と隣り合わせだった。引き分けもヒーローの引き立て役に甘んじた非情な裁定、だからほぼ実質無敗の王者といえる。

バディ・マクガートとアズマー・ネルソンを評価するのはウィテカーらしい。
本当の意味でフェアな戦いで、素晴らしい相手だったのだろう。

記事を振り返り、改めてフロイド・メイウェザーという存在はこのパーネル・ウィテカーのスタイルやキャリアを参考にしたのではないかとおもう。ウィテカーはオリンピックで金メダルを獲り、ボクシングの栄光の半分を既に獲得していた。だからプロでは不当な敗北も厭わず誰とも戦いキャリアを全うした。しかしメイウェザーはアマチュアの頂点に立てなかった。だからこそプロではその空洞を埋めるべく誰にも負けない慎重なキャリアを築いたといえるのかもしれない。

ウィテカーが金メダルをとったロサンゼルスオリンピックでは米国勢が大活躍した。

ライトフライ級 ポール・ゴンザレス
フライ級 スティーブ・マックロリー
フェザー級 メルドリック・テーラー
ライト級 パーネル・ウィテカー
ライトウェルター級 ジェリー・ペイジ
ウェルター級 マーク・ブリーランド
ライトミドル級 フランク・テート
ヘビー級 ヘンリー・ティルマン
スーパーヘビー級 タイレル・ビッグス

全12階級中実に9階級でアメリカ勢が金メダルを獲得、その他銀にバージル・ヒル、銅にイベンダー・ホリフィールドがいた。11人の仲間とあるから全員がメダリスト、ホリフィールドが一番の劣等生だったのだ。凄まじい。

ウィテカーが回想するように、この時代、家族兄弟同然でしのぎをけずって栄光を勝ち得た瞬間が彼のもうひとつの人生のハイライトだったのだろう。私が観てきたボクシングの中では最高のディフェンスマスターは、”スイートピー”パーネル・ウィテカーである。

安らかに眠ってください。合掌・・・

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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