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死ぬまでやめないロリポップボーイ/ホルヘ・アルセ

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メキシコ初の5階級制覇(暫定を除けば4階級)を成し遂げた男をご存知だろうか、遠い過去の偉大なレジェンド達ではなく、あの、身近な存在のようでいて、決して日本人と交わることのなかった小さなやんちゃ坊主、ホルヘ・アルセ。最後は6階級制覇へのチャレンジまでした激闘王のTravieso(トラビエソ、やんちゃ坊主)

ホルヘ・アルセは常に最後まで決して諦めずに戦い抜き、勝つか負けるかの猛烈な死闘を演じた、メキシコの戦士を具現化した男だ。

18年に及ぶプロキャリアで75試合をし、ライトフライ級、スーパーフライ級、バンタム級、スーパーバンタム級の4階級を制した。暫定を含めるとフライ級も含む5階級を制覇した。アルセは常にベストにチャレンジし続けシンプルなこの質問を何度もされた。

「なぜあなたは決して諦めないのか」

その理由は幼少期に遡る

アルセ
「12歳の時父の職場で火事がありました。病院にいくと火傷で出血した父が言いました。息子よ、私は疲れた。神のところに行く、母さんをよろしくと。僕は行かないでくれ、世界王者になると約束するからと言いました。だから僕と一緒に戦ってくれと。その後医者が面会謝絶にしたので父がこのまま死んでしまうのかとおもいました。

それから教会に行って毎日父の無事を祈りました。

時間が経ちました。たぶん半年くらい、僕は家でエンチラーダを食べていた。母は笑顔でこう言った。お父さんはもう大丈夫よ、治療はもういらない。そして僕の人生は変わりました。」

その朗報を受けてアルセは、漲る気持ちでボクシングジムの門を叩いた。

アルセ
「ものすごくハードにハングリーに練習した。マネージャーはそんなにハードにやらないでと言いました。」

1996年アルセはプロデビュー33カ月で18勝2敗1分という記録を残す。プロモーターのフェルナンド・ベルトランからWBOジュニアフライ級のファン・ドミンゴ・コルドバへの挑戦をもちかけられた。

喜んだアルセは家族の分までチケットを買い、ホテルを予約し食事もごちそうした。ベルトランは「お前はクレイジーか、ファイトマネーはたったの10000ドルだぞ」と言った。

アルセ
「重要なのはお金じゃない。これは父と家族との約束なんだと話したら、ベルトランは泣き出して「わかった。ここは俺が払うからお前は一銭も出さなくていい」と言ってくれました。」

こうしてメキシコのファイターは、今夜誰も僕を倒せないという強い気持ちで試合に臨んだ。

アルセ
「ユナニマスデシジョンで勝利しました。ニューとコールされたあの時が人生で最高の瞬間でした。」

その後1度の防衛に成功するものの、伝説のマイケル・カルバハルに11回TKOで敗れ王座を陥落。

3年後、WBC世界ライトフライ級王者崔堯三を6回TKOで下して王者の座に就いた。

キャリアを振り返えると、これがアルセにとって最高の勝利だと言う。

アルセ
「韓国に行った。15000人の観客の誰一人自分の味方はいなかった。そういう状況だった。あれが僕のベストパフォーマンスだ。韓国人は僕のことをあざ笑っていた。とても傷ついた。相手を殴りまくってノックアウトした。最高の気分さ。」

その後7度の防衛に成功、タイトルを返上しフライ級に上げた。2005年、エリック・モラレスがマニー・パッキャオを破った試合の前座でフセイン・フセインを相手にフライ級デビューした。アクション満載の大熱戦を繰り広げ、アルセは有利に試合を進めていたが、顔面が大流血するピンチだった。

アルセ
「ドクターに鼻が折れて血まみれで大変なことになっているから試合を止めるぞと言われましたが、止めないでくれと懇願しました。勝てるとわかっていたから。父は僕のインスピレーションでした。テレビでこの試合を観ていると知っていたからカメラに向かって言いました。ヘイ、お父さん、心配しないで、僕は幸せだ、勝ってみせるよと。」

そしてその言葉通り、オーストラリアの勇敢な相手を10回で止めた。

アルセは暫定王者として防衛を重ね、正規王者のポンサクレック・ウォンジョンカムに挑むつもりだったが交渉が成立せず断念。さらに階級をスーパーフライ級にあげるも、クリスチャン・ミハレス、ビッグ・ダルチニアン、シンピウェ・ノングアイに負けタイトル奪取に失敗した。多くのファンがアルセの時代は終わった、ピークは過ぎたと感じていた。

ポンサクレックとの間で王座統一戦が行われるべきであったが両者の間で対戦条件が合わず、統一戦が行われないまま正規王者と暫定王者の2人の王者が存在し、それぞれが防衛戦を行うという異例の状態が1年間以上続き、ついに対戦が行われないまま、アルセは4度防衛した暫定王座を返上した。
なぜ、対戦条件が合わなかったか詳細は不明だが、どうしても対戦場所を自身の祖国であるタイにしたいポンサクレック側のオファーと、アルセ側の要求するファイトマネーの折り合い(タイ開催の場合、必然的にファイトマネーは低めになるため)がつかなかった、といわれている。

しかし2010年、ロリポップボーイはついに試練を乗り越えて、アンキー・アンコタを破り、WBOスーパーフライ級王座を獲得。その後も勝ち続けたまま1階級飛ばしてWBOジュニアフェザー級のウィルフレド・バスケスJrに挑戦した。

多くのファンが虐殺される子羊のような挑戦と揶揄したがアルセはこの試合をhis greatest moment(人生最大の瞬間)に変えるつもりでいた。

アルセ
「”Papito”バスケスだね、あれはラスベガスでパッキャオVSモズリーの前座だった。オッズではバスケス有利だった。10-1だった。クレイジーだよ。僕はバスケスをノックアウトした。みんな僕を終わった男だとおもっていた。でも僕は本気だった。歴史的な夜だった。」

ダウンを奪われ不利になり危うく判定負けになるところだったが、最終回、バスケスをロープにつめ一気に猛攻。その後クリンチした際にバスケス側のセコンドが水を投げ入れ試合をストップし大逆転となる12回55秒TKO勝利でメキシコ人初の4階級制覇という偉業を達成した。

その後、2階級制覇を狙うシンピウェ・ノンクアイと2年ぶりに再戦し4回2分1秒レフェリーストップとなるTKO勝利で破り、2年前のリベンジに成功、WBO世界スーパーバンタム級王座を返上し、バンタム級に転向するも、同時期にスーパーバンタム級に上げたドネアと対戦。3回2分59秒KO負けを喫し1年振りの王座返り咲きに失敗、試合後のリング上のインタビューで現役引退を表明した。

しかしその後引退を撤回し復帰する。

ドネアの王座返上に伴うWBO世界バンタム級王座決定戦でアンキー・アンコタと1年ぶりに再戦し、3-0の判定勝ちで王座獲得、メキシコ人史上初の5階級制覇を達成した(その後スーパー王座に認定された)

さらにバンタム級、スーパーバンタム級、フェザー級で勝ち続け

2014年10月4日、故郷ロスモチスでWBC世界フェザー級王者ジョニー・ゴンサレスと対戦。メキシコ人ボクサーで初の6階級制覇を目指したが、試合は3回、5回、9回とダウンを奪われて圧倒され、最後はアルセが距離を取って逃げ回ったところでレフェリーが戦意喪失とみなし試合をストップ、11回TKO負けを喫して、試合後に引退を発表した。アルセにとって、引退発表は2度目だった。

アルセ
「ジョニー・ゴンザレスとの最後の試合で父はいいました。息子よもう引退してくれ、もう試合はいい。世界王者になるという約束は果たしてくれたじゃないか、お前は俺を殺す気か、お前が心配で怖いんだと。そして僕はいいました。もうこれ以上戦わないと約束するってね。

みんなどうしてお前は諦めないんだと聞くけど、僕の父は人生を諦めなかった。どうして僕が試合を諦められるというんだ?」

アルセはTV番組の「ビッグブラザー」や「ダンシングスターズ」(4位)に出場しメキシコのお茶の間の人気者だ。テレビのコメンテーターも務めている。結婚して子供もいる。

アルセ
「人生を楽しんでいるよ。きちんと貯金したし投資も成功した。ボクシングは僕の人生、情熱そのものだ。今でもコメンテーターとしてボクシングに関われるのが幸せだ。」

ライバルについて

ベストスキル ジョニー・ゴンザレス

ラストファイトになったジョニーだね。リングの動き方、試合のリズムを熟知していた。

ベストジャブ ノニト・ドネア

来る、来るとわかっていてもジャブを食らった。とても速いジャブの使い手だった。

ベストディフェンス クリスチャン・ミハレス

サウスポーでパンチを当てるのが難しかった。当てたいのに当たらない。集中力を失ってしまった。

ベストチン ラファエル・コンセプション

パナマ人だった。たくさん殴ったけど彼は倒れなかった。

ベストパンチャー マイケル・カルバハル

痛いパンチだった。ジャブで打たれた腕さえ痛かった。オー!オー!彼のパンチは鋼鉄のようだった。鉄棒で殴られたようだった。11回に食ったパンチは今でも全て覚えている。ドネアも速くて爆発的だったしジョニーもハードパンチャーだったけどパンチの質が違うんだ。カルバハルのパンチが最も強烈だった。

ハンドスピード ノニト・ドネア

手も足も速かった。

フットワーク ノニト・ドネア

とても速くて変幻自在だった。

スマート ジョニー・ゴンザレス

彼は戦いのリズムを熟知していた。独特のタイミングを持っていた。インファイトしたかと思えば自分だけ打って突然消えてしまう。僕が打とうとおもうとさっと動いて消えてしまう。クレバーなファイターだった。

屈強 ビッグ・ダルチニアン

屈強なサウスポーでやりにくかった。ボディ(身体)がとても強かった。

総合 ノニト・ドネア

正真正銘の4階級王者だ。とても強い。

ホルヘ・アルセ、長い現役生活で階級を上げ下げしほぼ全ての軽量級スターと戦った。
戦わなかったのは、故郷ロスチモスの友人、フェルナンド・モンティエル、そして日本人だった。

なぜ日本人はホルヘ・アルセに誰も挑まなかったのだろう?
長谷川穂積が接近しかけたことがあったような気がする。
モンティエルではなくアルセであれば長谷川が勝ったような気もする。

メキシコで5階級制覇を成し遂げたのは、あの人でもこの人でもなくホルヘ・アルセだった。アマキャリアもそこそこにプロに飛び込み、雑草のキャリアで這い上がっていったが、当時無敵のマイケル・カルバハルも戴冠には苦労した。後に大活躍するアルセが相手だったのだから。

改めてキャリアを振り返ると、凸凹で幸運も含まれる5階級制覇である。アンキー・アンコタでタイトルを2階級獲得している。小さなブルファイターだから、負ける時はあっさり完敗。あの正直すぎるファイトではドネアや大きなジョニゴンに勝てるはずがない。ミハレスのスキルにも及ばない。

けれどなぜそんな小さく単純なファイターがなぜこんな偉大な記録を残したのか考えると

アルセというファイターは並の精神力ではなかった。
どんな試合も死ぬまで諦めない執念があった。
それを裏付ける、基本技術とエンジン全開のスタミナがあった。

だから、日本人の標的がポンサクレックじゃなくアルセだったとしても誰も勝てなかっただろう。ポンサクレックとの統一戦があったとしたらポンサクレックの宿敵は内藤ではなくアルセになっていた、アルセにはタイの名人も勝てなかったのではないか、防衛戦相手のレベルが違う。

ウィルフレド・バスケスJrはアルセに敗れ壊れていったが、当時は2階級上の無敗の強打者で、西岡もやれば不利と言われていたほどの存在だった。

あの試合のアルセが彼のボクシングを象徴している。

死んでも諦めない

単純だけど純粋で真っすぐで無謀といわれるどんな試合もこなしていったアルセの印象も込めて「僕」で統一させた。その根性はいかにも日本人的、日本人がやるべき王者だった。

生涯戦績64勝49KO8敗2分

あの身体で驚異的なKO率だし、よく身体が壊れなかったな。
どうみてもフライ級のキッズだった。
それにしても韓国、なぜそんなに嫌われる?日本だったらアルセもおもてなしを受けただろうに・・・

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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