とても興味深い内容なのでニュアンスで精いっぱいですが頑張ってみました。テディ・アトラス、著書があるようなので読んでみようとおもう。映画になりそうな人生で、この記事では偉人のように書かれていますが、とても厳しい、気性の激しい人のようです。最後まで読んでみてください。後悔させません?
カス・ダマトはテディ・アトラスが19歳の頃から、彼にはスポーツを愛し、理解し、人に伝える特別な才能があることに気づいていた。”ヤングマスター”自身は背中の傷でボクシングを断念したが、アトラスはカス・ダマトからそう呼ばれていた。アトラスはカス・ダマトの教えをスポンジのように吸収し、77歳でこの世を去った”オールドマスター”を信頼し続けた。
テディ・アトラス
「特定のファイターを愛さない、信頼しない。これは基本原則です。カスに強く言われていました。」現在62歳のアトラスはカス・ダマトのこの教えになじめなかった。ある人間のルールは必ずしも別の人間にはあてはまるものではないのかもしれない。
あらゆる意味でアトラスはカス・ダマトの永遠の弟子だったが、最初は忠誠を誓った選手たちと何度も衝突を繰り返してきた。愛と信頼は素晴らしいものだが、一度崩壊したら痛みを伴い修復不可能な事態にもなる。
テディ・アトラスはかつて何度も選手と衝突、離別してきた。ドニー・ラロンデ、シャノン・ブリックス、マイケル・モーラー、アレクサンダー・ポペドキン・・・
彼らとの衝突、離別はアトラスの左頬に残る400針の傷跡(ストリートファイトでナイフで傷つけられた)と同じくらいの傷を心に残した。テディ・アトラス
「もう40年以上この仕事をしてきたけど、俺は何をしてきたんだろう、全力だっただろうか?」功績を認められ、ボクシング殿堂入りも果たしたアトラスはトレーナーとしてでなくボクシングの解説者として自分を振り返る。選手ではなくいつもおのれを優先してきたんじゃないだろうかと。テディ・アトラス
「俺という人間は全く不完全で、何かが欠け落ちている。だからもう一度何かをするのをためらってしまうんだ。」彼が愛し、信頼したティモシー・ブラッドリーが引退した時、アトラスの情熱も枯渇し、もう十分だと心を病んで辞めかけた。それでも才能豊かなファイターやマネージャーからのオファーはやまない。アトラスは一人ひとりに熱心に、厳しく、正直に指導する。100%の満足を要求する選手やマネージャーにとって不本意と言われるくらい熱心に。
テディ・アトラス
「怖いんだ。指導のためには時として相手が傷つく言葉、タブーも言わなければならない。人間は誰しも弱い、傷つきやすい。仕事上、私は強気で必要な事をしたり言ったりするけど、強気とは裏返せば自分の弱さなんだ。相手を傷つけるとわかっている。それが本音だ。」しかしアトラスの子供たち(ニコルとテディ3世)はどんなに苦しく傷ついても、父親はこの仕事抜きでは生きていけないと気づいていた。テディ・アトラスの運命は若くして決まっていた。必要とされる以上に彼もわかっていた。また新たに出会い、前に進んでいくこと。
3月30日、アレクサンダー・グヴォジクVSドゥドゥ・ヌグンブでアトラスはグヴォジクのチーフセコンドにつく。グヴォジクと組んでこれが2度目のファイトだ。はじめて組んだ試合で、長期王者のアドニス・スティーブンソンを破った。彼らはまだ新婚カップルみたいな関係だ。しかし娘のニコルは、アトラスとグヴォジクの結束は強く、未来に羽ばたくと考えている。
ニコル・アトラス
「父はたくさんの偉大なファイターと仕事をしてきました。私も父の仕事を手伝っているから、多くのファイターと家族ぐるみの付き合いをしてきました。父はもう黄昏期にいます。引退も近いでしょう。でも遅すぎることはないんです。アレックス(グヴォジク)という完璧なファイターとの出会いがありました。父の指導は特殊で選手の個性を無視して全てをコントロールしてしまうんです。全てを把握して、選手に余計な期待を一切しないのです。アレックスはそれを受け入れた。まだ組んでまもないけど2人は特別な化学反応を起こすはずです。」グヴォジク
「特別な化学反応は瞬間的なものじゃない。本当はアドニスという俺の人生最大の試合の2カ月前だったから悩んだんだ。テディと初めて会った時、彼はボクシングについて何もいわなかった。俺には理解できなかった。でもボクシング以外の話はたくさんした。そして家族を紹介した。きっと彼は俺がどういう人間なのか知りたかったんだろう。彼がトレーナーになってくれる返事を2週間待ったよ。彼が俺を引き受けてくれてとても嬉しいよ。人は自分のためだけじゃなく、誰かのために必要なんだ。テディは俺をよりよいファイターに変えてくれた。たぶん俺もテディになにかをもたらしたはずだ。トレーナーである事、生徒を持つことが重要だ。テディはボクシングを教えるために生まれてきたんだ。まだ62歳だ、若いよ。引退してる場合じゃない。もし俺のトレーニングを楽しんでやってくれているのだとしたら、これが彼にとって唯一の正しい決断なんだ。」
興味深いことに、ニコルとテディ3世はNFLのオークランドライダースのスカウトの仕事をしている。グヴォジクと個人レベルでもプロレベルでも戦えるパートナーを発掘しようとしている。今回がはじめての事ではなく、ティモシー・ブラッドリーの時もテディの子供たちはこのようなことをしてきた。
テディ・アトラス
「子供たちは私より賢いんだ。気遣いができて直観に優れている。アレックスがどんなに優れた選手か推薦してくれたのも彼らだ。それがなければ私は再びトレーナーに戻ることはなかった。もう最近は断ってばかりいたんだ。もう十分だ、様々な理由で、私はボクシングビジネスに対する信頼を失っている。エギス・クリマス(グヴォジクのマネージャー)が電話してきた時も断るつもりだった。でも子供たちに説得された。私がトレーナーである事は特権であり贈り物なんだと言う。贈り物は永遠には続かない。それは仕事であり、大きな責任でもあるけれど、それもまた特権なのです。私はまだ誰かの役に立てるのです。それ以外にこの地球上で私に何ができるのだろうか?」
たしかにそれは特権と言えるのかもしれない。すでに著名なトレーナーや将来有望なトレーナーとは違い、アトラスは仕事を選んでいる。通常トレーナーは同時に10人~12人の選手の面倒をみるが、全てをみきれるわけではない。時間を分けて対応する。
テディ・アトラス
「アレックス(グヴォジク)との仕事が何か特別な方向に向かう可能性があるとおもっています。いままでもそうやってきました。けれど、悪い方向に導くことがあるのも知っています。それを取り除くことも知っています。今私が教えているのはアレックス(グヴォジク)だけです。それが私の生徒であり、私は彼に何かをしてやれます。そして私の生徒は特別です。」
https://www.youtube.com/watch?v=gZhA5-rzKl4
Not everyone has the personality and makeup to be trained by my dad. He likes to control every aspect of training camp and, because he puts everything he has into it, he expects no less from his fighters.
父の指導は特殊で選手の個性を無視して全てをコントロールしてしまうんです。全てを把握して、選手に余計な期待を一切しないのです。
I’d lost trust in the business of the game, for different reasons.
様々な理由で、私はボクシングビジネスに対する信頼を失っている
すごく興味深い。
テディ・アトラスと組んだからというわけじゃないだろうが、アレックス(グヴォジク)は長期王者のアドニス・スティーブンソンを下して王者になった。これからもこの師弟関係が続く限り、グヴォジクこそライトヘビー級の本命といえるかもしれない。
とおもわせる説得力がある。
めちゃくちゃ頑固で厳しそうだから
テディ・アトラス
ニューヨークのスタテンアイランドで、ハンガリー系ユダヤ人の裕福な医者の息子として生まれる。母親のメアリー・ライリー・アトラスは元モデルでミス・アメリカに出場したことがある。
不良少年だったアトラスは、学校を中退、武装強盗などで何度も逮捕され、ライカーズ島の刑務所にも数回服役した。この頃に喧嘩で左頬をナイフで切りつけられ400針も縫う大ケガを負い、その傷跡は今でも残っている。
現在は結婚をして2人子供がいる。
トレーナー
アマチュアボクサー時代に、トレーナーカス・ダマトの指導を受けるが、背中を負傷したことで短い現役生活を終える。1976年にトレーナーへ転向し、ダマトのアシスタントを務めることになる。それからマイク・タイソンのトレーナーを4年間務めることになるが、16歳だったタイソンがアトラスの親類の12歳の女の子に性的な不適切行為(タイソンは尻を触っただけだと話している)をしたことで、アトラスが激怒、38口径の拳銃をタイソンの頭に突きつけて「二度と俺の家族に触れるな、今度やったら俺はお前を殺すからな」と警告した。しかし、このことでアトラスは6年間居たダマトのジムを解雇され、以降ダマトやタイソンと関わることは無くなった。トレーナーとしてフロイド・パターソン、ウィルフレド・ベニテス、マイケル・モーラー、シャノン・ブリッグス、アレクサンデル・ポベトキンを指導した一方で、軍隊式の厳しいトレーニングや激情型で気難しい性格が災いして、選手と短期間で喧嘩別れするなどトラブルも少なくない。元WBC世界ライトヘビー級王者のロニー・ラロンドもその1人で、ラロンドは短期間でアトラスの元を離れた後にシュガー・レイ・レナード戦で大金を稼ぐが、アトラスはレナード戦で歩合で受け取るはずだったトレーナー料を稼ぎ損ねたことに逆上。ラロンドを殺すつもりで拳銃を携えてラロンドのアパートへ向かうが、ラロンドが留守だったことで人殺しになってしまうのを免れたと、アトラスは自著に記している。また2009年にウラジミール・クリチコとの試合が決まっていたアレクサンデル・ポベトキンが試合を直前で欠場した際に、アトラスがポベトキンに試合を欠場するよう勧めていたことがわかり大きな批判を浴びた。
解説者
シドニー(2000年)、アテネ(2004年)、北京(2008年)、ロンドン(2012年)のオリンピックでNBCのボクシング解説者を務めている。ESPN2で放送されていたボクシング中継番組『フライデーナイトファイト』で1998年以降、2015年の番組終了まで解説者を務めていた。2008年には特定のプロモーターに便宜を図っていた番組ディレクターの不正を追及したところ、番組スタッフを脅したとされESPNから番組を一時的に降板させられたことがある。