春夏秋冬そして春/(Second To)マイケル・ナン

マイケル・ナンのSecond Toというニックネームはレナードやハーンズに続く、次世代のスーパースターという意味だとおもうが、残念な事に日本人的に直観的に感じる、2番目の男=1番になれなかった男という意味の方がしっくりくる。

詳しい事情はわからないが、絶頂期に浮かれてしまった部分があったようなキャリアであり、栄光とその後の喪失感の大きさが悪の道に手を染めたきっかけであるような・・・
そんな天才の記録。

世界2階級王者、パウンドフォーパウンドにも顔を出したボクシングのスーパースター、シュガー・レイ・レナードの後継者といわれた男は今は囚人だ。

彼のプロフィールはパラドックスに満ちている。才能と欠陥、それがマイケル”セカンドトゥー”ナンのこれまでの人生だ。2004年にコカインの使用と密売の容疑で逮捕された現在56歳のナンはウェスト・バージニア州の刑務所に収監されている。現在は薬物依存症の治療を受けながら刑期を送っており、2024年に釈放される予定だ。1993年に初めて利用し、2002年にやめられなくなって利用していたと供述した。引退後にすぐ薬物カルテルの構成員になっていたことが明らかになった。

現在、ムスリムに改宗し菜食主義者になったナンは人生の過ちで、大きな代償を払うことになった。アイオア州ダベンポート出身のナンは罪の償いを済ませ、より早い釈放、社会復帰を望んでいる。

しかしナンの現状が悲惨な状況であることが彼のリングの栄光を否定するものではない。目立ちたがりのトレーナー、ジョー・グーセンの元で技術を磨いた最初の傑作がナンだった。グーセンと別れた後はアンジェロ・ダンディーに師事したが、グーセンこそがナンを一流のファイターにした。

1988年7月、フランク・テートからIBFミドル級のタイトルを奪ったナンは全階級屈指のファイターの一人としての人気と地位を固めた。25歳、31連勝無敗、人生最高の時を迎えていた。初防衛戦でアルゼンチンのパンチャーファン・ドミンゴ・ロルダンを8回KOし、2度目の防衛戦で世界に衝撃を与えた。

https://www.youtube.com/watch?v=48SWvYZfC0M

対戦相手のスンブ・カランベイはコンゴ生まれのイタリアのファイターでWBA王者としてマスタークラスの実績を誇っていた。ヘロール・グラハム、アイラン・バークレー、マイク・マッカラム、ロビー・シムス、ダグ・デウィットらに勝利していた。「ボディ・スナッチャー」マッカラムには再戦で敗れたが、ナンにとっては最高峰の試練になりえる相手だった。

WBAは指名戦を回避しナンとの試合を優先したカランベイからタイトルを剥奪したが、試合の実現を止めることはできなかった。1989年、両者の決戦はラスベガスのヒルトンホテルで開催された。これほどのミドル級の究極マッチがまさか初回終了の鐘を聴かずに終わるとは誰も想像しなかった。

ナンの左フック一撃で1分28秒KO勝ちで2度目の防衛に成功。この試合は1989年度リングマガジン ノックアウト・オブ・ザ・イヤーに選出された。この驚くべき速攻劇がナンへの祝福でもあり破滅でもあった。レナードやデュランが衰退した時代に到来したスターはカランベイの敗北と同じくらい速く消えた。

その後もアイラン・バークレー、マーロン・スターリング、ドナルド・カリーを相手に防衛を重ね、ナンは新世代のスーパースターへの道を歩んでいった。1991年5月、6度目の防衛戦でジェームズ・トニーと対戦、序盤圧倒するもタフなトニーに逆転KO負け。

1992年にWBA世界スーパーミドル級王者ビクトル・コルドバと対戦し2階級制覇を成し遂げるも、トニー戦の敗北はナンの輝きを永久に取り除いてしまった。4度の防衛に成功するもスティーブ・リトル、フランク・ライルズ、グラシアノ・ロッシジャーニに敗れ、世界レベルでの野心を失った。

運命と選択を誤り、人生を取り返しがつかないほど変えてしまう前に行った最後の試合では、マイケル・ナンはもはやクルーザー級の姿だった。

ピーク時のナンは見栄えよく、シャープなパンチを持つ、洗練されたスタイリストで、ナンにパンチを当てるのは宝くじを当てるより難しいとおもわれた。調子が悪い時でも、偉大なパーネル・ウィテカーのようにまやかしのドラマを演じてみせることができた。それがナンのスキルセットを否定するものではなかった。

ライバルについてメールでやりとりをした。

ベストスキル ドナルド・カリー

彼はスマートなファイターでとてもシャープだった。キャリアの中でたくさんの偉大なファイターと戦ってきたので選ぶのが難しいです。

ベストジャブ フランク・テート

いいジャブを持っていて突破口を見出すのに時間がかかった。激しい攻防の果てにやっとタイトルが獲れた。

ベスト・ディフェンス マーロン・スターリング

今日になってもスターリングは私にまだ再戦を求めてくる。彼はテクニカルで小柄な男で、パンチをヒットするのがとても難しかった。

https://www.youtube.com/watch?v=d396iuIphEI

ベストチン アイラン・バークレー

ハンマーで殴ったような手ごたえのパンチでもピンピンしてました。私は持てる全てのパンチを当てたが、彼は言いました「ナン、お前が持ってるパンチはそれだけか?」

ベスト・パンチャー ファン・ロルダン

キャリアの中で最もハードパンチャーでした。

ハンドスピード カール・ジョーンズ

ロサンゼルスのファイターで初回にダウンを奪われました。

フットワーク カール・ジョーンズ

彼の足より速いのは彼の手だけでした。

スマート ジェームズ・トニー

今振り返ってみるとトニーは賢いファイターだった。

https://www.youtube.com/watch?v=nWtl-ae65qI

屈強 アイラン・バークレー

ミドル級のバークレーは強靭だった。ヘビー級のようでした。計量後に20ポンドは増えていたんじゃないかな。

総合 ドナルド・カリー

全体的に最高の試合はドナルド・カリー戦でした。彼はあらゆることができる万能派だった。

マイケル・ナンが出てきた時はその才能も輝かしいが、次のスーパースターを求めている時代の空気みたいなものを強く感じた。レナードやハーンズに続くアメリカンヒーロー、ナンにその才能と資格はあったが、ガラスの脆さも紙一重なボクシングだった。

オフェンスではレナードやハーンズ、ハグラーになりきれず、ディフェンスではウィテカーになりきれなかった。天才ゆえの中途半端さが露呈してしまった。単純にライバルたちが強く、ナンのスタイルだけでは勝ちきれなかったのかもしれないが、才能だけはトップクラスだったろう。

ジェームズ・トニーに逆転負けしタイトルを失うまでは人気も人生も絶好調だった。その後も2階級を制し、防衛も重ね、最後はライトヘビー級のNABF王座まで獲得しているが、トップに戻ることは遂にできなかった。ガラスのアゴのヒョロイサウスポーという印象が残った。

研ぎ澄まされた諸刃のスタイルと登り詰めた栄光と挫折、その喪失感が人生の選択を間違えた。
さながら映画のように転落していく第二の人生となった。

しかし第三の人生は再び始まろうとしている。
季節は過ぎて再びの春を迎える。

そこでこそ、偉大なファイトキャリア、人生の教訓を活かし再び輝いて欲しい。

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