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デビル/(死刑執行人/エイリアン)バーナード・ホプキンス

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最初にお断りしておくと、これはバーナード・ハンフリー・ホプキンス・ジュニアに関する超入門編です。私にとって彼が最も偉大にして難解なファイターであり、今後も歴史や試合を振り返りながら何度も見直さなければ理解できない男。恐らく常人とは違う何かを知っている、手に入れた人間。

バーナード・ホプキンスは刑務所を出所後にボクシングを始め、初期はノックアウトアーティストとして、後にディフェンスの達人としての名声を獲得した。ボクシングの歴史上、最年長王座獲得記録を更新すると共に最年長防衛記録も更新した。

レイ・マンシーニやミッキー・ウォードなど、ハリウッドは実在のボクサーをモデルにした映画が大好きだが、これまでのところモハメド・アリ以来、最も信じられないほどのリングの物語を無視し続けている。しかしバーナード・ホプキンスについての映画を作るのは難しいだろう。彼のキャリアは終わらないようにみえるから。

もしホプキンスがテレビが主流文化の一部だった時代、1950年代に戦っていたなら、もっと有名人になっていただろう。しかし彼はネットワークが多様化する現代で数百万人の視聴者と数千の観客を前に土曜日、ブルックリンのバークレイズセンターで現役最後の戦いになるかもしれない試合を迎える。IBFライトヘビー級王者、タボリス・クラウドはホプキンスより17歳年下だ。

バーナード・ハンフリー・ホプキンス・ジュニアは1965年1月15日にフィラデルフィアで生まれた。フィラデルフィアでも最も治安が悪い地区で育った彼は11歳になる前に既にささいな窃盗を繰り返していた。2年も経つと強盗、傷害で刺され、3度も病院の救急室に担ぎ込まれた。ギャングに加わりさらに重犯罪を重ねた。18歳にして片手で数えきれない前科持ちになった。1982年に9つの犯罪で懲役18年の実刑判決を受け、グラターフォード刑務所に収容された。

ホプキンス
「刑務所の中でストリートよりも酷い悪夢をみた。男がレイプされ、殴られ、拷問されていた。俺自身の人生を変えなければならないと強く感じた。」

21歳の誕生日にホプキンスはボクシングを発見した。刑務所暮らしの最高のリハビリテーションだった。暴力的な犯罪者はボクシングに向いているとよく言われる。実際に統計があるのかは知らないが、彼らの暴力的なエネルギーを生産的ななにかに集中させる手段として時にボクシングは役立つ。ホプキンスは間違いなくその例えにあてはまる。

5年後、ホプキンスは仮釈放された。刑務所の看守は半年で戻ってくると予言した。

「いや二度とここには戻って来ない」

結果的にホプキンスは自らの誓いを守った。

イスラム教に改宗し、麻薬、アルコール、ジャンクフードを断った。

1988年10月11日、23歳でライトヘビー級でデビューするが、いきなりの黒星スタート。
落胆し1年以上リングへは上がらなかったが、16か月の歳月を経た2戦目以降は徐々に身体を絞り、ミドル級前後の体重で試合経験を重ねた。ボクサーとして生計を立てることができず、フィラデルフィアのホテルのキッチンで鍋やフライパンを洗ったり屋根掃除の仕事をしていた。その後、トレーナーのブイエ・フィッシャーが所有する自動変速機の修理店で働いた。

次の2年で21連勝16KO、初回KOは12を記録、ホプキンスは自分に「死刑執行人」というニックネームをつけた。

ホプキンス
「ちょっと馬鹿げているいるだろ。でもこれしか考えられなかった。注目されるにはTVで目立たなければと思った。」

出所から5年、1993年、初の世界戦のチャンスを掴み、ロイ・ジョーンズJrに挑むもユナニマスで敗北、目標達成はならなかった。

その後も連勝を重ね、1年半後にエクアドルのキトまで遠征しセグンド・メルカドと空位のIBFミドル級王座を争った。高度1000フィートでの戦いでホプキンスは眩暈を起こし、2度倒されるも奮闘、しかし結果はドローでまたしても悲願達成ならず。

翌年にメルカドと再戦し、7回TKOで遂にIBF世界ミドル級王座を獲得。

当初から一部の専門家は彼を最高のミドル級ファイターと評価したが、ホプキンスは確かにその期待に応えた。フェリックス・トリニダード、オスカー・デ・ラ・ホーヤなどのビッグネームを含む、通算20度の防衛に成功し、マービン・ハグラー以来の3団体統一王者にもなった。最終的には、初挑戦で負けたロイ・ジョーンズjrにも雪辱を果たした。

それ以来、ホプキンスはミドル級~ライトヘビー級で何度か敗北をするも55勝32KO8敗2分という記録を残した。2005年、40歳を過ぎた頃には、昔のノックアウトパンチャーぶりは影をひそめたが、その代わりに匠の技や狡猾さを存分に発揮した。

TV解説者のバート・シュガー
「若くて強いファイターはホプキンスなど簡単に倒せるとおもうだろうが、それがウィリー・ネルソン(ギタリスト)のヘッドバンドよりきつい事に気付くだろう」

ホプキンスはディフェンスの達人としても成熟し、「マングース」アーチー・ムーアと比較する関係者もいた。

バート・シュガー
「若いファイターは老人なんておいしい相手だとおもうだろうが、いざリングで対峙すると石ころひとつ当てれやしない。」

ジャーメイン・テイラーに連敗した時、ついにホプキンスもしくじった、終わりの時がきたと言われたが階級を2つ上げた。

ホプキンス
「これが俺の新たな人生さ、これで体重を気にせずパスタが食えるってもんだ。」

翌年、当時ベストファイターの一人を言われていたリングマガジン認定ライトヘビー級王者のアントニオ・ターバーに勝利。2年後にジョー・カルザゲに僅差で敗れタイトルを失うと、これを奪還すべく新王者のジャン・パスカルに挑戦、スリリングな試合の果てに引き分け。

パスカルとの再戦、3-0の判定勝ちでWBC王座獲得、WBCダイヤモンド王座の獲得に成功、ジョージ・フォアマンの持つ45歳9ヵ月での最年長世界王座獲得記録を更新。46歳4ヵ月での世界王座獲得を達成した。(最終的にはベイブット・シュメノフ戦で49歳3ヵ月に更新している)

ホプキンスが土曜日にブルックリンのバークレイズセンターのリングに足を踏み入れる時、彼にプレッシャーはない。48歳という記録は彼自身の記録への挑戦であり、もし負けてもゴールデン・ボーイ・プロモーションの副社長(プロモーター)という席が用意されている。

しかしホプキンスが勝った場合どうなるのだろう?現役ファイターにして副社長というのも前例がない記録だ。

ホプキンス
「勝ったら次の試合はグラターフォード刑務所でやろうかな、いいとおもうね。」

刑務所の看守は半年で戻ってくると予言した。

30年の時を経て、生まれ変わったバーナード・ハンフリー・ホプキンス・ジュニアが戻ってくるのかもしれない。

補足

52歳、最後の相手に建設労働者のジョー・スミス・ジュニアを選んだホプキンスには理由があった。
刑務所を出所後、ホプキンスの屋根掃除の仕事は毎朝4時半から始まった。巨大な建物、暑い日差し・・・それ以来、ホプキンスは肉体労働者をリスペクトしていた。

ホプキンス
「肉体労働者が大好きさ。ジョー・スミス・ジュニア、彼はロングアイランドの建設作業員だそうじゃないか。マニキュアやペディキュアなんてつけてないな。誰がシルクのパンツを履いた男と戦いたいんだ、スミスは屈強な男だ。厳しい戦いになるだろう。」

これはフロイド・メイウェザーJrへの痛烈な皮肉である。

ホプキンスに関する海外記事は色々あるとおもうが、とりあえずプロフィールを俯瞰する、全体を掴むためのものとして記録した。補足に書いた、ジョー・スミス・ジュニアとフロイド・メイウェザーに対する皮肉が好きでこれが書きたかっただけなのだが・・・

なお、WIKIには10歳でボクシングを始め、アマチュアでは99戦95勝4敗という戦績を残しているとある。そりゃそうだろう。

とにかくホプキンスが大好きというより、色々知って理解したい。好きになりたいという想いが強い。

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プクー

原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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