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小さなライオンの大きな拳/(トリト)レオ・ガメス

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ロマン・ゴンザレス、ドニー・ニエテス、ミニマムから4階級を制した偉大なファイターの名前に井岡一翔が加わった。しかし彼らの前にもう一人、日本人は決して忘れることのできぬ、小さなライオンがいた。

日本が育てた、生んだといっても過言ではない、出来過ぎた4階級王者だった。

レオ・ガメスはミニマム級から4階級で世界王者になった唯一の南米ボクサーだ。(その後ロマン・ゴンザレスも達成した)ベネズエラの小さなファイターは世界市場では無名、過小評価されてきたが、激しい決意でそれを補っていった。20年のプロキャリアで4階級を制した。

ガメスは1963年8月8日、ベネズエラ中心部のサン・ファン・デ・ロス・モーロスで生まれた。13人兄弟の大家族だった。

ガメス
「子供の頃はとても貧しくて大変でした。9人の男の子、4人の女の子、父と母、とても貧しかった。父だけの稼ぎでは生活は厳しく、私は靴磨きやエンバナーダを売って家計の足しにしていました。」

ガメスが12歳の頃、ホセ・ボリバールという男が子供達にグローブを着けさせた。
ガメスはそれが甘い希望と痛い傷をもたらすことを知った。

ガメス
「彼はチェオと呼ばれていた。お前もやってみるかといわれ、私はリングで相手の子供を殴り倒した。毎日それをやって、時には相手の鼻を折った。ボクシングがやりたいかと言われ、その時から全てが始まりました。」

「トリト(ガメスの愛称)」は2つのナショナルタイトルを獲得し国を代表するアマチュアになった。1985年にプロになったガメスのアマチュア記録は69勝7敗だった。

1988年1月10日、世界初挑戦。空位のWBA世界ミニマム級王座を金奉準(韓国)と争い、12回判定勝ち。17戦目にして無敗のまま世界王者となった。

ガメス
「その後も世界戦をたくさん勝ってきたけど全て同じではありませんでした。はじめて世界王者になった瞬間が一番の想い出です。」

3カ月後に日本で横沢健二(日本の旗 日本/三迫)と対戦し、3回TKO勝ち。王座防衛に成功するが、腕を骨折したため王座を返上。

18か月のブランクを経て、1990年4月29日、2階級制覇を目指し世界再挑戦。WBA世界ライトフライ級王座を14度防衛中の柳明佑(韓国)に挑む。再三にわたり王者を苦しめたが、12回判定負けで偉業達成ならず。また、デビュー以来の連勝も20でストップ。11月10日、柳に再挑戦するが、ここでも12回判定負けを喫した。

1991年10月5日、フライ級での世界挑戦。WBA世界同級王者金容江(韓国)に挑むが、ここでも12回判定負け。

1993年10月21日、日本で2度目の試合(後楽園ホール)。柳の引退・王座返上で空位となったWBA世界ライトフライ級王座を八尋史朗(帝拳)と争い、9回TKO勝ち。2階級制覇を達成する。

その後、1つの引き分けを含み3度の防衛に成功。

1995年2月4日、4度目の防衛戦で元WBA世界ミニマム級王者崔煕庸(韓国)と対戦し、12回判定負け。王座から陥落。

1995年5月20日、再起戦でWBAラテンアメリカフライ級王座決定戦に出場。同国人の元WBA世界フライ級王者アキレス・グスマンを12回判定に降し、王座獲得。9月18日には初防衛に成功。

1996年3月23日、WBAラテンアメリカ王座在位のまま世界挑戦。WBA世界フライ級王者セーン・ソー・プルンチット(タイ)に挑むが、12回判定負けで王座奪取ならず。

1996年10月7日、WBAラテンアメリカ王座2度目の防衛戦でグスマンと再戦し、12回判定負けを喫し、王座から陥落。その後、2年間リングから遠ざかる。

1998年10月3日、2年ぶりの復帰戦でWBAラテンアメリカ王座再挑戦。同国人のヒルベルト・ゴンザレスを8回KOに降し、王座復帰を果たした。

1999年3月13日、通算12度目の世界戦。WBA世界フライ級王者ウーゴ・ソト(アルゼンチン)に挑み、3回TKO勝ち。ストロー級王座獲得から11年を経て、3階級制覇を達成。

1999年5月29日、WBA世界フライ級王座在位のままWBA世界スーパーフライ級暫定王座決定戦に出場。元WBO世界ライトフライ級王者ホセ・カマーチョ(プエルトリコ)を8回TKOに降し、これで4階級制覇達成。なお、この王座はすぐに返上。

1999年9月3日、WBA世界フライ級王座初防衛戦。ソーンピチャイ・クラティンデーンジム(タイ)に8回KOで敗れ、王座陥落。この試合がプロデビュー以来、初のKO負けとなった。その後、1年余りのブランク。

小さなベネズエラ人は37歳になりキャリアの黄昏を迎えていたが、2000年10月9日、3度目の日本での試合、名古屋・愛知県体育館でWBA世界スーパーフライ級王者戸高秀樹(緑)に挑み、7回KO勝ち。これで正規世界王座4階級制覇を達成。

2001年3月11日、初防衛戦(4度目の日本での試合=横浜アリーナ)でセレス小林(国際)と対戦し、10回TKO負け。王座から陥落した。

2002年11月8日、シュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズ、オスカー・デ・ラ・ホーヤに次ぐ4人目の5階級制覇を懸け、WBA世界バンタム級王者ジョニー・ブレダル( デンマーク)に挑むも、12回判定負け。

2003年10月4日、WBA世界バンタム級暫定王座決定戦に出場(5度目の日本での試合=東京・両国国技館)。3年前にスーパーフライ級王座を奪取した戸高と再戦するが、12回判定負け。3年前の雪辱を許す。

2005年12月22日、プーンサワット・クラティンデーンジム(タイ)が持つWBA世界バンタム級暫定王座に挑むも12回判定負け。この試合を最後に現役を引退した。

ベネズエラの法律では、40歳でボクサーは引退しなければならない。ガメスは結果的には42歳まで現役を続けた。通算戦績35勝26KO12敗1分、15度の世界戦、9か国で戦った。

キャリアを振り返り、ガメスには戦ってみたかった相手が何人かいた。

ガメス
「リカルド・ロペス、マイケル・カルバハル、チキータ・ゴンザレス、プロモーターがアジアを優先しアメリカで戦うことが出来なかったので彼らとの対戦は夢で終わりました。」

現在55歳になったガメスは6人の子供と2人の孫に囲まれてベネズエラのマラカイに住んでいる。ガメスは自分のジムで20人の子供達にボクシングを教えている。

ライバルについて

ベストジャブ ジョニー・ブレダル

間違いなくジャブは彼が素晴らしかった。背が高く相手を遠ざける素晴らしいジャブを持っていました。

ベストディフェンス Kaaj Chartbandit

彼はボクシングが巧くて素晴らしいアマチュアキャリアがありました。

ハンドスピード Pichitnoi Sithbanprachan

対戦した中では一番速かった。彼を倒して防衛したけど大変だった。経験差が出た試合だった。

フットワーク Pichitnoi Sithbanprachan

リングの中で彼を追いかけることができなかった。彼は私をトラブルにさせた。

屈強 柳明佑

とてもラフなファイターで彼を殴っても決して下がらなかった。

スマート 柳明佑

とてもインテリジェントなファイターだった。

ベストパンチャー ウーゴ・ソト

彼にはパンチがあった。58戦で34KOというすごい記録を持っていた。

ベストチン 柳明佑

とても勇敢でラフなファイターだった。激しく殴っても決して下がらない。

ベストスキル Pichitnoi Sithbanprachan

手足がとても速くてスキルフルだった。

総合 柳明佑

彼が一番だ。彼は全てを兼ね備えていた。パワー、体力、インテリジェンス、スタミナ。だから17度も防衛する偉大な王者になったのだろう。

ソナギは止まったまま/柳明佑

堕ちた韓国、翻す日本ボクシング、しかしこの巨人達を超えることが過去の清算、新たな道となる。 この記事が気に入ったらいいね ! しようシェアするツイートするTwitter で Follow pukubo ...

懐かしい名前が新登場だったので、紹介しました。
日本人との対戦がとても多かったけど、誰もライバルとして語られない。
残念ながら、こういうインタビューがとても多いです。

レオ・ガメスは日本人が4階級王者にしたといっても過言でないほどの選手で、本来の実力であれば並の王者であり、身長は153センチに満たないものだった。ガメスが席巻していた時代がまさに日本ボクシングの低迷期、暗黒時代であったが、当時の日本人ボクサーにとって

ガメスはあまりに破壊的なパンチャーであり
韓国人とはタフネスと根性が違い
タイ人とも身体能力が違った

芯の強さ、体力が世界的に全然足りていなかった時代でした。
さすらいのジャーニーマン、ガメスとは底力が違った。

全盛期はコテンパンにやられたが、晩年セレス小林や戸高秀樹がなんとか一矢報いたが、もう当時のガメスは40歳に近かった。身長差20センチ近い時もあったが、リーチ差などまるで役に立たず、むしろガメスの方がアウトボクシングやジャブが上手く、何より5倍くらいありそうなパンチの破壊力で皆潰された。

日本人はガメスにボコボコにやられ
韓国人やタイ人はガメスを越えて成長していった。

今思うと不思議だが、そんな時代だった。
レオ・ガメス一人に日本ボクシングは色々教わり、授業料をたくさん払った。

本名はシルヴィオ・ラファエル・ガメス。スペイン語で「ライオン」を意味するリングネームの"レオ"は母親の姓から取った。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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