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君はどこからやってきたのか/Carousel Kid(回転木馬)ブヤニ・ブング

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本場アメリカはアマチュアキャリアがないとプロになれないという話だが、世界はそんなエリートばかりじゃない。ボクシングに対する情熱も、憧れのヒーローもいなかった。貧困を脱出する手段はこれしかない、これに集中していれば嫌な事は忘れられるからと必死に没頭してきた少年はやがて金メダリストを打ち破った。

1994年、ブヤニ・ブングはどこからともなくやってきて、ケネディ・マッキニーを破りIBFジュニアフェザー級の王座を獲得した。その後10年に渡るキャリアで13度の防衛を記録した。これは南アフリカの記録だ。

南アフリカの多くのファイター同様、ブングも不幸な境遇からボクシングを始めた。1978年にボクシングに興味を抱き、学校の限られた設備でトレーニングをしていた。

いつも裸足だったが、靴を買うお金がない者にとってはそれが当たり前だった。ブングは学校給食の袋を持っていたが、休み時間になると他の生徒に背を向けて家から持ってきた弁当を食べていた。給食袋には石が入っていた。給食費も払える余裕がないことがとても恥ずかしかった。

ブング
「ボクシングは貧困を回避する手段でした。特に憧れや目標の選手はいませんでした。プロボクサーになればお金を稼ぐことができる。それしか貧困から逃れる方法はないという切実な理由があるだけでした。それは簡単なことではなかったけど、ボクシングのおかげで厳しい現実から逃れることができました。だから必死にボクシングに集中しました。」

1987年にプロに転向後、1989年に経験豊富なフランシエ・バーデンホルストに敗れるまで13連勝をあげた。その後バーデンホルストに雪辱し国内王座を3度防衛、初めての海外、イタリアでウェルカム・ニシタVSヘスス・サルードの前座に出場。将来の世界王者であるフレディ・ノーウッドに判定負けをした。

その後2年でキャリアを再構築したブングは、アメリカデビューを果たし、ケネディ・マッキニーVSウェルカム・ニシタのアンダーカードなどに出場した。1994年にそのマッキニーのタイトルに挑むチャンスを得、これまで無敗の五輪金メダリストをユナニマス判定で下し王座を奪取。この試合はその年のアップセットオブジイヤーに選ばれた。

ブング
「1994年に世界王者になった。それ以来私を邪魔する者はいなくなった。南アフリカで最も成功した世界王者になったんです。」


このケネディ・マッキニーに対する勝利がブングにとって最も印象深いものだという。

ブング
「最初の世界挑戦、大きなブレイクスルーでした。マッキニーは私の仲間のウェルカム・ニシタに勝っていたので必ずリベンジしてやると心に誓っていたのです。」

ブングはタイトルを防衛し続けた。ジュニアフェザー級でブングの記録の上をいくのはレジェンドのウィルフレド・ゴメスだけだ。ケネディ・マッキニーとの再戦やダニー・ロメロ、ヘスス・サルードら強豪相手に勝ち抜いてきた。

祖国のブライアン・ミッチェルが打ち立てた12度の防衛記録を抜いた時、ブングはタイトルを返上、2000年、ナシーム・ハメドとの決戦で孤高のスタイルをもつプリンスに4回でストップ負けをした。

ブング
「ハメド戦は人生最高のチャンスでしたが準備が上手くいかなかった。とても後悔しています。ハメドのすごい右を食って人生ではじめてノックアウト負けしました。人生をかけた試合でした。とてもショックでした。」

当時のプロモーターでGBPCEOであるロドニー・バーマンはブングが勝つには完璧な準備が必要だと感じていた。

バーマン
「ブングがハメドと試合をした時は1年以上のブランクがあった。そして階級アップもあった。ハメドの信じられないような能力を否定するわけじゃないが、欠陥もあったので、ブングならそこをつけると信じていました。しかし残念な事にブングのブランクとハメドの派手やかで華麗なスター性はブングを完全なる脇役に追いやってしまった。あの試合は実際のところ、ムードという点で試合前からハメドの勝ちでした。それでもブングは南アフリカのボクシングに素晴らしい遺産を残しました。」

ハメドに敗れた後、ブングは2勝2敗、同胞のレーロホノロ・レドワバやトーマス・マシャバに敗北しこの試合を最後に現役を引退した。

ブング
「ボクシングで成しえた功績を誇りにおもいます。両親や兄弟を貧困から救い出すことができました。彼らに大きな家を建ててやることができました。とても幸せです。」

The Beast(獣)またはCarousel Kid(回転木馬)の異名を持つブングには際立ったパワーや才能はなかった。しかし彼は人並はずれた献身と鍛錬で持てる全ての力を発揮した。

ブング
「私の強みは一生懸命トレーニングに励んだことです。ジャブが一番の武器です。どの試合でも常に全力でトレーニングしました。」

バーマン
「功績とは別に、ブングは私がプロモートしてきたファイターの中で間違いなく最も優しい、素晴らしい紳士です。」

ライバルについて

ベストジャブ ナシーム・ハメド

ハメドでしょう。彼にパンチが届かなかった。とても柔軟でチューインガムのようでした。他のファイターとは違いました。色んな角度からパンチが出てきました。

ベストディフェンス ヘスス・サルード

ジュニアフェザー級のありとあらゆる王者と戦った偉大な王者でした。経験豊富で当てるのが難しい強固なディフェンスを持っていました。

ハンドスピード フェリックス・カマチョ

ヘクター・カマチョの弟だったとおもいます。ハメドより速かった。

フットワーク ダニー・ロメロ

ダニー・ロメロとエンリケ・ジュピターですがロメロにします。足が速かった。元フライ級王者だったから経験豊富でした。

ベストチン モハメド・ヌルハダ

ベストパンチを当てまくったけど全てを食っても立ち向かってきました。ものすごくタフでした。

スマート ケネディ・マッキニー

彼は見極めるまで絶対右を打って来ないのです。ずっと集中力を全開に維持していなければならなかった。

屈強 モハメド・ヌルハダ

多くの屈強な相手がいましたが一番は彼です。打っても打っても怯まず打ち返してきた。

ベストパンチャー ナシーム・ハメド

ハメドだけが私を唯一ノックアウトしたからです。

ベストスキル ケネディ・マッキニー

とてもスリックでスマートなファイターでした。

総合 ケネディ・マッキニー

彼はとても危険なファイターでした。パンチが当たらない。私は彼から王座を奪い、7度防衛し再戦のチャンスを与えました。

最初はケネディ・マッキニーを読んでいて彼の事を書こうとしていたが、コメントが気になりブングにした。余裕で勝つつもりが、ブングはとても低く構えてやりにくく、とてもクレバーだったそうです。

ケネディ・マッキニーはメイウェザーでさえ不可能だったソウルオリンピックバンタム級金メダリスト。世界王者にはなったがもっと活躍できたはずの男だった。打たれる事を嫌いスマートに戦いすぎ、脆い面があった。誰をも凌駕する部分を持っていたが、金メダリストは南アフリカの貧困少年、ブングに勝てなかった。選手の個性、特徴、伸びしろは本当に独特です。

この時代も日本と無縁のIBFやWBOに素晴らしい王者が君臨していました。

なぜかこの頃の南アフリカには

ウェルカム・ニシタ
ブヤニ・ブング
タカラニ・ヌドロブ
レーロホノロ・レドワバ

などの優れた軽量級が多くいた。
皆恐ろしいパンチャーという訳ではなかったが、独自の柔軟性と総合力、やりにくさを備えており、偏見ですが日本人は敵わないなとWOWOWで観ていました。

その中の一人、ジョー小泉氏の大変なお気に入りだったレーロホノロ・レドワバをボコって台頭してきたのがマニー・パッキャオでした。そんな時代の選手が今も現役王者である事実が信じられません。

ブヤニ・ブングの記事にしたのは、やはり貧困からのストーリーが面白いからです。給食のくだりは感動してしまいました。モハメド・ヌルハダというのはインドネシアの雑草選手のようですが、こういう中にも猛者はいるのだな。

昔の日本人もこういうエピソードに事欠かないのですが、原田とガッツと具志堅くらいしか日本人の記事はありません。

一階級上げてハメドには完敗しましたが、ブヤニ・ブングのボクシングは参考になります。もちろん上手い、強いですが、何がそんなに凄いのかわかりにくくもあり、ボクシングの奥の深さを体現しています。ものすごく性格も良さそうです。

総合をハメドにしないところが彼のプライド、自分のピークはジュニアフェザー級であり、ライバルはケネディ・マッキニーだったのだろう。それに2連勝しているのが誇りなのだろう。有名ではないかもしれないが、ブヤニ・ブングこそ南アフリカで最多防衛の記録を誇る名王者だ。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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