1カ月の休養もとらず、8月、9月と連戦に出る怪物王者候補のエマニュエル・ナバレッテ。対戦相手は厳選したのかそれとも見込み違いか、32歳と高齢だがその血筋は確かなボクシングのゴッドファミリーだ。メキシコとフィリピン。パッキャオ一人で演じてきた大役をミグは受け継げるのか。
ボクシングのレジェンド、フィリピンのガブリエル”フラッシュ”エロルデの孫として、ファン・ミゲル・エロルデはボクシングを避けて通ることはできなかった。
子供の頃、両親がエロルデジム(ガブリエルが設立した)を運営して、ボクシングを開催していた時、「ミグ=ミゲル」はフィリピンの旗を持つ役目だった。
祖父は学校の教科書にも載っていた。友人は「お前のおじいちゃんだ、有名人だ」とはやし立てた。彼ら兄弟はジムに行ってボクサーを観察しながら、両親がいない隙にスパーリングをした。家族の血筋にも関わらず、ミグとバイ(兄)は両親からボクシングを禁止されていた。
リザ・エロルデ(ミグの母親、ガブリエルの娘)
「殴り合って人を傷つけるスポーツなので母親として子供たちにはやって欲しくありませんでした。」ミグとバイ(兄弟)は母親ではなく祖母のローラ(ガブリエルの未亡人)に頼みこんでこの問題を解決した。
ミゲル
「やがて母は学校を卒業するまで、アマチュアだけならOKだと言ってくれました。」ジュニアライト級王者としてガブリエル(フラッシュ)エロルデが7年間の統治を終えてから52年後、孫のファン・ミゲル・エロルデ(28勝15KO1敗)は9月14日、ラスベガスのTモバイルアリーナでWBOスーパーバンタム級王者エマニュエル・ナバレッテに挑戦する。
ファン・ミゲル・エロルデは1993年の国際ボクシング殿堂入りの祖父を偶像化しつつ、祖父とは大きく異なる家庭環境で育った。ガブリエル(フラッシュ)エロルデはセブ島の貧しい子供で、靴磨きや皿洗いをしながらボクシングで国民的英雄に登りつめた。
現在32歳になるミグは、これらの苦労をほとんど経験していない。ボクシングに情熱が移る7年生まではバスケットボールをしていた。アマチュアボクシングでは4戦して3勝だった。セントベニルデ大学では学業に専念し、レストランとホテル管理の学位を取得して卒業した。現在は兄のバイとサウスポーグリルというレストランを共同経営している他様々なビジネスを展開している。
左から:エロード兄弟、ニコ、バイ、ミグフィリピンのトップボクサーはそのほとんどが貧困をバックボーンに持つが、ミグはそれが唯一の指標ではないと考えている。
ミゲル
「それは献身にかかっています。金持ちであろうと貧乏であろうと、ボクシングをどのように愛し、どのように取り組むかです。私にとってはボクシングは夢です。夢を現実にしたい。世界チャンピオンになりたいのです。」エロルデ兄弟はアマチュア代表に召集されたが、すぐにプロになった。バイ(24勝11KO2敗1分)が2007年に、翌年ミグがプロデビューした。
ファン・ミゲル・エロルデ(ミグ 28勝15KO1敗)は、2011年にジェリー・ゲバラに4回判定負けで初黒星。フィリピンを出て、アメリカでパッキャオがファンマヌエルマルケスと3戦目をしたラスベガスの前座だった。
ミゲル
「たぶん、私は興奮しすぎていました。考えすぎでプレッシャーにさらされ続けました。あの試合はいい経験になりました。」敗北で落ち込んでいた時、ミゲルの父親、ジョニー(1979年の東南アジア選手権金メダリスト)は息子を励ました。
リザ・エロルデ(ミグの母親、ガブリエルの娘)
「ジョニーはまだ始まったばかりじゃないか、チャンピオンになりたいならもっと努力しなさいと励ましていました。」ガブリエル”フラッシュ”エロルデは1960年から1967年までジュニアライト級王者として有名なファイターだったが、ミグのお気に入りはそれ以前の1956年のフェザー級時代のサンディ・サドラーとの再戦だという。初戦はマニラで行われ、エロルデの判定勝利だったが、再戦ではサドラーが13回ストップでリベンジを果たした。
ミゲル
「祖父は流血していましたが、諦めずに戦っていました。」ガブリエル”フラッシュ”エロルデはミグが生まれる1年前に49歳で亡くなったので、生きた祖父に会ったことはない。しかし母親によると彼らには似ているところがあるという。
リザ
「息子たちは慈善家として、また宗教的であるという理由で父と同じです。ミグは毎週日曜日と祝日にはミサに行きます。ミグはとても静かな子で、饒舌ではありません。ただ微笑んでいます。父と同じです。質素でめったに靴を買いません。ゴム靴がすり減って履けなくなるまで何年も同じ靴をはいています。」ミグは地元のコミュニティの貧しい子供達を支援している。誕生日には聖リタ孤児院の子供たちを招待している。ストリートチルドレンにボクシングをみてもらい、食事と入浴をさせたり、マニラで最も貧しい地域のひとつであるトンドに出向き地元の子供達の奉仕活動などをしている。
11戦目の敗北以来、ミグは18連勝しているが、ほとんどがインドネシアやタイの無名選手が相手だ。
王者のメキシカン、エマニュエル・ナバレッテは24歳と若くはるかにレベルが高い相手となる。強力な王者とおもわれたアイザック・ドグボエに選ばれたナバレッテは容赦ない強烈なプレッシャーと体格差を生かし鮮やかにアップセット、再戦では差をつけてドグボエをノックアウトし、今月初めには無敗のフランシスコ・デ・ヴァカを3回でノックアウトした。現在最も勢いのある王者の一人だ。
https://www.youtube.com/watch?v=e0x4jmHiHIs
ミグは1週間前にこのオファーを受けたばかりだったが、9月21日に試合を控えてトレーニングに励んでいたという。現在のトレーニングキャンプでナバレッテに似たタイプのパートナーはいるだろうか、ロニー・マグラモの甥、ジエメル・マグラモ(23勝19KO1敗)がそれに近い。(しかしライトフライ、フライ級で小さい。拳四朗や京口の好敵手。)
この試合の鍵は王者のナバレッテが早い段階でペースを上げないよう、序盤に王者に強いパンチでダメージを与えることだとミグは言う。
ダン・ローズ(ミゲルのコンディショニングコーチ)
「ミグはとてももの静かな男ですが彼はエリートアスリートの目をしています。エリートがみんな派手で賑やかという訳ではないのです。」いいコンディションをキープし続けており、それが試合で生きると信じている。
ダン・ローズ(ミゲルのコンディショニングコーチ)
「ナバレッテがすぐに試合をする理由は、減量が大変だからだ。アクティブに試合をこなすことでしか体重を維持できない。明らかに減量苦だろう。まだ24歳だから、身体が大きくなって減量がきついとおもうよ。ミゲルはナバレッテと変わらない身長があり、体重を苦にせずコンディションがいい。そんな相手に王者がどうするのかだ。」偉大な祖父の名声にあやかって地元で戦うのはミグにとっては容易いが、かつて初めて負けたラスベガスで、圧倒的有利と言われる強力な王者に挑むことは、ミグにとって過去最大の試練といえる。
ミグ
「それは本当に大きなプレッシャーです。エロルデ家の威信とかいうと大変な重圧ですが、両親はそんな事は気にするなと言ってくれます。」この試合は自分の祖父が誰なのか、そして祖父が人々にとって何を意味するのかに気づいた時からミグが待ち望んでいたものだ。彼がどれだけそれを望んでいるかを示すのもファン・ミゲル・エロルデ、自分次第だ。
ミゲル
「私も祖父のようになれることを証明したい。とても難しい相手だが、私も世界チャンピオンになることができるとみんなに証明したいです。」
https://www.youtube.com/watch?v=znubqH5k7og
昨今マッタリ(自分だけ)なボクシング界にあって、8月17日に試合を終えたばかりのナバレッテが9月14日にも試合に出るというのは少し驚きだった。最近ではアルベルト・ゲバラに勝ったウーゴ・ルイスが代役でゲルボンタ・デービスに挑戦したが、初回で粉砕された。勢いは違うが、減量逃れという意味ではナバレッテの連戦もこれに近い理由なのかもしれない。大きな舞台で勝って統一戦やフェザー級へのステップにしたいのだろう。
ファン・ミゲル・エロルデは
[st-card id=46302 ]ここでも紹介した、いわゆる日本に来ないフィリピンのガチな奴だとおもうが(日本人との対戦歴はある=川島翔平)よくいるフィリピンのスラッガータイプのハードパンチャーではなく、背が高く痩せたアウトボクサー寄りの技巧派だ。そして何より血族だ。32歳と若くないなとおもっていたら、学業やビジネス優先のエリートだったのだ。見た目は優しそうで弱そうで年齢より若く見える。
強力な王者、ナバレッテに予想が大きく傾く試合だろうが、フィリピン人というのは大きな仕事をしでかす。
前戦のナバレッテは3回KOと強さをみせたが強引で被弾はする。ドグボエのようなフックファイターよりもファン・ミゲルのような長く貫通力のあるパンチの方が面白いかもしれない。消えたマービン・ソンソナのような才能か。
大きな舞台で派手にノックアウトし、いいところを魅せたいナバレッテの強引な強襲に対しいいカウンターを当てることが出来ればひょっとする。
惨敗の構図とアップセット、ファン・ミゲルの潜在能力がミステリアスなだけに両方が期待できる面白い組み合わせだ。
ガブリエル“フラッシュ”エロルデ
(Gabriel "Flash" Elorde、1935年3月25日 – 1985年1月2日)は、フィリピンの元プロボクサー。元WBA・WBC世界スーパーフェザー級王者。
「フラッシュ」(閃光)のリングネーム通りの超高速のスピードと堅実なボクシングテクニックで1960年から1967年にかけてスーパーフェザー級に君臨し、10度の防衛を成し遂げた60年代を代表する名王者。ノニト・ドネアの異名フラッシュはこの同国人の偉大な先輩エロルデからちなんで名づけられている。