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長く老獪な道/(El Raton・The Mouse=ネズミ)ダニエル・サラゴサ

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正直に言えば、地味でパワーや怖さのない年寄りだから、日本人が狙い撃ちしたような晩年のサラゴサだったが、経験値が違い、あまりに老獪すぎた。

ダニエル・サラゴサは1980年代後半から90年代にかけて最も優れたロードウォリアーのひとりだった。他と比べて決して才能豊かなファイターとはいえなかったかもしれないが、かなりの決意と解決策をもって、数々の世界戦をしぶとく勝ち抜いた、バンタム級、ジュニアフェザー級の名王者といえる。

サラゴサはメキシコシティのボクシング一家で生まれた。父のアグスティンは優秀なボクサーだった。12人兄弟のうち5人が父親からボクシングを教わった。ダニエルの兄、アグスティンジュニアは1968年のメキシコシティーオリンピックで銅メダルを獲得した。
ダニエルは1978年にメキシコのゴールデングローブを獲得し、国際レベルで競い合った。メダルは獲得できなかったが、1980年のモスクワオリンピックでメキシコを代表し準々決勝で敗退。54勝4敗というアマチュア記録を残した。

当時は弁護士を目指していたがメキシコ代表チーム監督であったナチョ・ベリスタインに誘われ方向転換しプロへ転向。2年以内にメキシコバンタム級王座を獲得、10回以上防衛に成功した。

30戦目でWBC世界バンタム級王座決定戦に出場し、西インド諸島アルバのオラニェスタットでフレディ・ジャクソンと対戦。7Rにジャクソンが頭突きによる反則を取られ失格となり世界王座を獲得した。

しかしこの王座は初防衛戦でミゲール・ロラ(コロンビア)に0-3の判定負けで陥落。

サラゴサはジュニアフェザー級に階級を上げ、オーストラリアのスーパースター、IBF世界バンタム級王者ジェフ・フェネック(オーストラリア)とノンタイトルマッチで対戦し、0-3の判定負け。(El Raton / The Mouse=ネズミ)のキャリアは挫折と復活の繰り返しで、粘り強く勝ち続け、WBC世界スーパーバンタム級王座決定戦でカルロス・サラテ(メキシコ)と対戦し、10回TKO勝ちで、2階級制覇に成功。

サラゴサはサラテに勝つためにナチョ・ベリスタインによってトレーニングされ、のちの殿堂入りトレーナーの最初の世界王者となった。数年後、ベリスタインが自分のジムを開いた時、彼は教え子のヒルベルト・ローマンとサラゴサを組み合わせてジムに「ロマンサ」という名前をつけた。

このジムからファン・マヌエル・マルケス、ラファエル・マルケス、ウンベルト・ゴンザレス、リカルド・ロペスなど多くのエリート王者が誕生することになる。

サラゴサは、李承勲(大韓民国)、バレリオ・ナチ(イタリア)、ポール・バンキ(アメリカ合衆国)、フランキー・デュアルテ(アメリカ合衆国)、朴讃栄(大韓民国)を相手に5度の防衛に成功した。

6度目の防衛戦でポール・バンキと再戦し、9回KO負けで王座から陥落。

その間に王座は変遷していったが、日本の畑中清詞を下しこのタイトルを取り戻した。ポール・バンキとラバーマッチで対戦し、3-0の判定勝ちで2度目の防衛に成功。3度目の防衛戦でティリー・ヤコブ(フランス)と対戦し、0-3の判定負けで王座から陥落した。

1992年12月5日、WBC世界スーパーバンタム級王者トレイシー・ハリス・パターソン(アメリカ合衆国)に挑戦し、1-1の判定ドローで王座返り咲きならず。

1993年9月25日、トレイシー・ハリス・パターソンと再戦し、7回TKO負けで王座返り咲きならず。

1995年6月2日、WBC世界スーパーバンタム級王者エクトール・サンチェス(ドミニカ共和国)に挑戦し、0-1の判定ドローで王座返り咲きならず。

1995年11月6日、エクトール・サンチェスと再戦し、2-1の僅差判定勝ちで38歳にして同階級3度目の王座を獲得した。

サラゴサはこの試合がキャリア全体で最も誇らしい瞬間であるという

サラゴサ
「私にとっては4度目の世界タイトルでした。38歳でWBCのタイトルを獲ったのは最高齢記録だとおもいます。」

1996年3月3日、横浜アリーナ初のボクシング興行、辰吉丈一郎(日本/大阪帝拳ジム)と対戦し、11回TKO勝ちで初防衛に成功。サラゴサは試合前から1996年中の引退を宣言するなどしていた。

1996年7月20日、大阪府立体育会館で原田剛志(日本/ハラダボクシングジム)と対戦し、7回TKO勝ちで2度目の防衛に成功。

1997年1月11日、ウェイン・マッカラー(北アイルランド)と対戦し、2-1の判定勝ちで3度目の防衛に成功。

1997年4月14日、辰吉丈一郎と再戦し、3-0の判定勝ちで4度目の防衛に成功した。

1997年9月6日、40歳を目前にした5度目の防衛戦で当時無敗のエリック・モラレス(メキシコ)と対戦。中盤までほぼ互角の熱戦を繰り広げたが、11回KO負け。

40歳までキャリアを全うし55勝28KO8敗3分という記録を残してグローブを吊るした。

メキシコシティー生まれのサラゴサは17年間のプロ生活、22回の世界戦をしてきたが、ホームで戦ったことがほとんどなかった。タフな血と勇気のファイターとして人々に記憶される試合運びの上手い老獪なサウスポーだった。

サラゴサ
「3年間のアマチュアと17年間のプロ、計20年ボクシングをやってきたこと。オリンピックに出て、プロで世界王者になれたこと。殿堂入りできたことが最高の想い出であり、大変誇りにおもっています。」

現在61歳になるサラゴサはボクシングに関わり続け、自身のジムであるサラゴサボクシングホールを運営しアマチュアとプロを指導している。既に孫もいるおじいさんでもある。

WBC世界スーパーバンタム級王座(1期目は防衛5度、2期目は防衛2度、3期目は防衛4度)
WBC世界バンタム級王座(防衛0度)
メキシコバンタム級王座(防衛10度)
NABF北米スーパーバンタム級王座(防衛2度)

ライバルについて

ベストジャブ カルロス・サラテ

基本に忠実な素晴らしいジャブでした。

ベストディフェンス ヘクター・アセロ・サンチェス

身体能力が高く腰の動きが素晴らしかった。サイドステップが良かった。彼は試合内容やファンのことなど気にせず、自分の身体能力のアピールだけを気にしていました。

ベストチン ウェイン・マッカラー

とてもアグレッシブで勝利を追求する熱いハートを持っていました。

ハンドスピード トレーシー・ハリス・パターソン

彼の右手は速く爆発的でした。見えませんでした。最初のパンチを感じたらすぐに次のパンチも打たれました。

フットワーク 李承勲

リングを本当によく動き回った。私から常に離れるスペースを作っていた。けれど彼の攻撃に戦略性は皆無でした。

スマート エリック・モラレス

若いのに世界王者になる完璧な能力とタイミングを持っていました。

屈強 ジェフ・フェネック

スーパーバンタム級の体重しかなかったのにとても強靭でした。

ベストパンチャー ポール・バンキ

彼はあらゆる角度からパンチを打ち続けてきました。自分がどれだけパンチを受けても気にしませんでした。

ベストスキル モラレス

最後に戦った相手ですが、無敗の有望な若手でした。スーパーバンタム級では本当に力強くて背が高かった。

総合 モラレス

その後素晴らしい実績を作りました。(4階級制覇)それだけのファイターだったという事です。

畑中はともかく、辰吉の事にも触れていなかったのでスルーしていましたが、改めて書き出してみるとこれだけ濃厚なキャリアがあれば出ないわなといえるものでした。辰吉戦時は40歳近く、もはや引退を考えていた時期で、培った老獪な技術だけで攻略していたのだろう。

辰吉との再戦の次にレジェンドのエリック・モラレスに敗れ母国の若手に引導を渡された。こんなに老獪な相手なら辰吉はまだエリック・モラレスのような若い選手の方がいい勝負になったかもしれない。

世界戦のほとんどがアウェー。
いつも古傷をカットし血まみれだった。

カルロス・サラテから王座を奪い、エリック・モラレスに引き継ぐという完璧な仕事だった。

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プクー

原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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