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Welcome back/(イーストロンドンの鷲)ウェルカム・ニシタVol.1

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南アフリカのスーパーバンタム級ビッグ3、最初に歴史のドアをこじあけた先駆者が、The Hawk(鷲)ウェルカム・ニシタだ。なんでウェルカムなんだろう?後の2人、ブヤニ・ブングとレーロホノロ・レドワバの記事は既に書いたがこの先人の情報を見つけたので緩やかに紹介する。

それは1990年の事だった。高校を卒業する頃だった(記者)がとても大事な夜だった。ウェルカム・ニシタがイスラエルのテルアビブのヒルトンでIBF世界スーパーバンタム級王者ファブリス・ベニシュに挑んだからだ。

南アフリカはプロスポーツからのボイコットを脱却したばかりで、1986年にタイトルを取り戻したジュニアライト級のブライアン・ミッチェルに続く世界王者が待望された時期だった。シザ・マカシーニ、スラニ・マリンガ、サイモン・スコサナ、フランシー・バーデンホルストらは全て世界挑戦に失敗していた。ニシタも同じ運命だろうとの意見もあった。

しかし私はニシタが勝つと信じていた。ベニシュはタフで荒っぽい王者だったが、ニシタの滑らかなスピードボクシングがそれを上回った。ニシタのニックネーム、「The Hawk」に相応しい試合だった。

しかし実はテレビで試合を観戦するのは大変だった。当時の南アフリカ唯一の有料チャンネルのデコーダーを持たない我が家のテレビは数秒間ちらついた画面が映るだけですぐにスクランブルになった。ラジオのチューニングを必死に合わせ唯一確認できたのはアフリカの11の公用言語のひとつであり、ニシタの母国語のisiXhosaで放送しているUmhlobo Wenene局だけだった。

コメンテーターの言葉が理解できなかったがこれしか手段はなかった。「この言語を習得せねばならない」と本気で考えていた事を覚えている。ラジオから聞こえる声の興奮具合、チラつきスクランブルを繰り返すTV画面の奇妙なシーケンスに基づいて、試合の流れを予想し、ニシタが勝っていることを期待し想像するしかなかった。

私は最終的に大学でisiXhosaを勉強し入門レベルを習得した。今となってはそのレベルは英語とは比べるべくもないが、ニシタと会話し彼の伝記を伝えるにはまだ十分だ。

ニシタの故郷、イーストロンドンへ飛んだ。

一部のファイターは引退後障害を抱え記憶喪失になるがウェルカム・ニシタは健康だ。年はとったが、ニシタはまだ当時女性ファンが「リトルシュガーレイレナード」と呼んでいた頃の面影を残している。翌日、笑顔のニシタとホテルのロビーで出会った。

イーストロンドン郊外の東ケープ州ムダントセーンで生まれ育ったニシタはサッカー選手になりたくてボクシングには興味がなかった。兄の1人Mzwandileがボクサーで、この地域では子供たちは格闘ゲームをしてよく遊んだ。

ニシタ
「子供の頃は牛乳パックと新聞紙でグローブを作ってボクシングごっこをしていました。サッカーがしたかったけど兄たちがボクシングに私をしつこく誘うので試してみようとおもいました。リングに引きずりこまれて、当時地元のスーパースターといわれるアマチュアと戦わされたりしました。兄の仲間も加わって一緒にボクシングをしようとしつこいので仕方なく始めました。」

当時ニシタは13歳だった。

ニシタのアマチュアとしてのキャリアは次第に強固なものになり、1982年の南アフリカ大会で金メダルを獲得し、代表チーム入りを果たした。

ニシタ
「当時は全くわかっていませんでした。後になってそれが何を意味するのかを知りました。私の街では過去に一人も金メダルを獲得した者はいなかったそうです。それが全ての始まりでした。」

1984年に4回判定勝ちでプロデビューを飾ると2年後には12戦目で南アフリカフライ級王者のヨハネス・ミヤにスプリットで勝利し国内王座を獲得。3度の防衛に成功した。同時に、フライ級とスーパーフライ級で国際的な舞台に進出していった。

1988年、ニシタはルー・デュバとジョージ・ベントンのジムでトレーニングするためにアメリカを訪問した。

ニシタ
「パーネル・ウィテカー、メルドリック・テーラー、イベンダー・ホリフィールドなどのスターが勢ぞろいしていました。私の事など誰も気にしていなかったので一人静かに練習していました。ある日ホテルでルー・デュバから電話をもらいました。「ヒンシータ、ロビーに来てくれ」「それは私の名前の発音ではありませんよ」「まぁ、いいから来てくれよ」

マネージャーと一緒にロビーに行きました。

それから私たちはジムに行きました。彼ら(ルー・デュバとジョージ・ベントン)はいままでずっと私の練習をよく見ていたのです。注意深く、細かいところまで、私がやった事は全て。私は驚きました。南アフリカでは有名で好きなファイターの真似をするだけです。自分に向いているかいないかは関係ありません。しかしアメリカでは、ファイターのスタイルを分析し、身体的にも肩幅や腕の長さ、歩き方までみて「これは間違っている」とか「こうやって立つべきだ」と個人の特徴に合わせた指導をするのです。そこで私はボクサーであることの真の意味を学びました。なぜアメリカがボクシングにおいて支配的なのかわかるような気がしました。」

最終的に、当時のルー・デュバとジョージ・ベントンはあまりに多くの有望なファイターを抱えており、デトロイトのクロンクジムに彼らの拠点を移すことを決めた。

ニシタ
「私はトーマス・ハーンズのファンだった。(クロンクジム)当時ハーンズに勝ったシュガー・レイ・レナードが好きじゃなかったけど後にレナードも好きになりました。レナードの戦い方で参考になる部分があったし彼の話し方に好感を持ちました。でもクロンクジムに行くとハーンズ、ヒルマー・ケンティ、ジミー・ポールがジムの全てでした。」

エマニュエル・スチュワードは、ニシタにアフリカ時代のムングニとルーサー・バージェスをトレーナーとして割り当てた。

Vol.2に続く

当時WOWOWで何度か観た気がする程度で、日本人に無縁なIBFのミステリアスな王者だった。32勝無敗とかで、南アフリカかぁ、すんげぇのがいるなぁ、しなやかだなぁ、なんでこんな名前なんだろ?くらいにしか感じていなかったが、こういう選手が出てくるのがボクシングの奥深さであり、彼だけでなくそれを継ぐ者までしっかりと現れる。やはり、ブライアン・ミッチェル然り、ウェルカム・ニシタの功績が大きかったのだろう。

レジェンドシリーズはやっぱり貧困からのサクセスストーリーが面白くて、今までの個人的MVPはメキシコのオルランド・サリドだが、ニシタの牛乳パックと新聞紙のグローブのさりげない言葉の中にもトキメキを感じてしまいます。ブヤニ・ブングの石ころが入ったの給食袋とか・・・

そういうのが好きな方は是非以下もどうぞ・・・

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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