階級別 フライ スーパーフライ レジェンド

小さなマービン・ハグラー/トゥーシャープ・マーク・ジョンソン

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知っている人は少ないだろうが、米国黒人軽量級でめちゃ強かった人です。日本人との絡みはありません。同時に軽量級で米国黒人という不遇がついてまわったレジェンドでありました。

現代の軽量級で最も偉大なファイターの一人が彼、マーク・ジョンソンです。2階級で3度の王座を獲得しました。

全盛期のジョンソンは無敵であった。超絶なスピードと破壊力があり、ジョンソンを衰えさせたのは、刑務所暮らしと加齢による体重の増加だけだった。

1971年8月13日、ワシントンDCで生まれたジョンソンはギャングライフに抗った。彼の父、ハムはボクシングチームを持っており、当初は息子をボクシングから遠ざけようとしたが、若いジョンソンはボクシングにのめりこんでいった。

わずか5歳で45ポンドしかなかったジョンソンはそれでもボクシングの大会に出ようとポケットにコインを入れて55ポンド制限の試合に出て優勝した。そのくらいの傑出した才能があった。

ゴールデングローブ優勝などの実績を残しながらも1988年のオリンピックに出場することはできなかった。彼の兄のジェームズやハリスは五輪を目指すも挫折したので、ジョンソンは次のオリンピックを待つことをしなかった。

米国アマチュアランキング1位、105勝5敗の戦績を残しプロに転向したが、才能は間違いないのにキャリアを構築するのはとても困難だった。

ジョンソン
「東海岸の小さなボクサー(自分)が試合を組むのはとても難しかった。2試合目にアイルランドのベルファストでリッチー・ウェントンに負けたけど、あれは地元判定でアイルランドのセントパトリックデーでもあった。」

母国に戻り、西海岸で主にメキシカン相手に11連勝し、ジョンソンは「Too Sharp」としてフォーラムの顔になったが、それでも世界戦のチャンスは訪れなかった。

ジョンソン
「私はフライ級のマービン・ハグラーです。チャンスに恵まれなかった。俺がサウスポーなのと、スキルもパワーもあるから、皆戦いを避けた。」

1996年、ついにダニー・ロメロが空けたIBF王座を元王者のフランシスコ・テヘドールと争うチャンスを得た。

ジョンソン
「ダニー・ロメロが王者で俺は1位のコンテンダーだったが、奴は試合を受けてくれなかった。初回91秒でテヘドールをKOし112ポンドで歴史上初のアフリカ系アメリカ人の王者になった。」

その後3年で7度の防衛に成功、その中にはアマチュア時代のライバルでオリンピアンだったアーサー・ジョンソンを初回KOした試合も含まれます。

ジョンソン
「あの頃がピークだと感じた。常にハングリーで集中している限り、誰にも負けないとおもった。」

ジョンソンは新たにキャメロン・ダンキンと契約し、空位のスーパーフライ級王座を鉄のアゴを持つタイのラタナチャイ・ソーウォラピンと争い、獲得。タイトルを2度防衛した。」

キャメロン・ダンキン
「すごいファイターだった。過去最強のファイターと言えました。超絶なスピードだけでなく技術もディフェンス力も高く、ワンパンチでノックアウトできる。信じられない才能でした。」

しかしジョンソンのキャリアは投獄により18カ月ストップしてしまう。

ジョンソン
「元妻への家庭内暴力で収監されました。彼女が殴り私が殴り返し傷つけてしまった。その間もタイトルは保持したままでした。」

2001年にリングに復活したジョンソンはバンタム級に階級を上げた。刑務所暮らしがボクシングに影響を与えたことを認めている。2連勝してラファエル・マルケスと戦い、勝利コールを受けたが、試合後に集計ミスでSD負けに変更された。

再戦でマルケスに8ラウンドで負けたが、仕切り直しし当時無敗のフェルナンド・モンティエルを破りWBOのスーパーフライ級王座を獲得した。そのタイトルは2度目の防衛戦でイバン・ヘルナンデスに敗れて失った。

最後に3階級制覇をかけて、ジョニー・ゴンザレスと戦うチャンスを得たが、自身の体重オーバーによりノンタイトルに格下げされ、試合も8ラウンドで失った。

ジョンソン
「ゴンザレスの試合で自分の長いボクサー人生の終わりを感じた。ボクサーにとっては、いつもあと一試合、もう一試合とおもうものです。」

政治的な障害で、ジョンソンは決して試合に恵まれなかったが、現役時にどうしても戦ってみたかった相手が2人いると言います。

ジョンソン
「ジョニー・タピアだね、素晴らしいファイターですごい試合になっただろう。何年も彼をみて追いかけ続けたものです。そしてもう一人は126ポンドでナジーム・ハメドと戦ってみたかった。俺の方が小さいけど、この挑戦はしてみたかった。」

ジョンソン(44勝28KO5敗)は現在47歳、結婚して8人の子供とワシントンで暮らしています。ジムを経営し7人のファイターを指導しています。

印象に残る対戦相手

ベストジャブ:ラファエル・マルケス

ナチョ・ベリスタインの選手には勝てていないんだ。マルケスとゴンザレス。俺はベリスタインに負けたんだ。マルケスのジャブはピンポイントで距離支配が巧みだった。片側にしか避けれないから彼の右を浴びてしまったんだ。

ベストディフェンス:フェルナンド・モンティエル

俺がみてきたメキシカンでベストだ。スリックでパワフルでいいヘッドムーブをしていた。

ハンドスピード:フェルナンド・モンティエル

俺より速いやつは誰もいなかったけど、モンティエルが最も俺に近い速さだった。

ベストフットワーク:フェルナンド・モンティエル

やつはスキルフルでパワーもあっていいフットワークもあった。最高の選手だ。

強いアゴ:アルマンド・ディアス

12ラウンド判定勝ちだった。ありとあらゆるベストパンチを当ててもノックアウトできなかった。野球のバットじゃなきゃ奴は倒れないね。

スマート:ラファエル・マルケス

俺がリスペクトするボクサーだ。スマートな奴でボディをたくさん食らった。それで俺はスローダウンした。

強靭さ:ラファエル・マルケス

フィジカルが強い。大きくて強力だ。試合で体重を大きく戻していただろう。ジョニー・ゴンザレスも同じだ。112ポンドでは俺は強いと感じたが118ポンドではそう感じなくなった。

ベストパンチ:ラファエル・マルケス

マルケスとゴンザレスだが、マルケスは俺をKOしたからな。ゴンザレス戦は衰えていたし、あれは一発じゃなくコンビネーションだった。

ベストスキル:フェルナンド・モンティエル

モンティエルだろう。デカいやつとはたくさん戦ったけど、対等な技術戦となるとモンティエルが一番ハイレベルだった

総合:ラファエル・マルケス

モンティエルが総合力は一番だよ。だけど俺は奴には勝った。マルケスは俺に2度勝った。おもえば俺がマルケスのキャリアの原動力になってしまったかもしれない。俺が118ポンドに上げて王者のティム・オースティンと戦いたかったけど、マルケスは俺に勝ち、オースティンにも勝った。そしてその後にイスラエル・バスケスとの戦争に入った。俺と戦うまでのマルケスは、ファン・マヌエル・マルケスの弟でしかなかったのにね。

改めてジョンソンを振り返ると、ジョンソン戦を経てスターへの階段を上り詰めた

ラファエル・マルケス
フェルナンド・モンティエル
ジョニー・ゴンザレス

などはジョンソンの晩年だったのだな、米国軽量級、Lフライかフライが適正であったろうジョンソンのキャリアは常にヒールでした。
速すぎて強すぎて、まさに彼がいう、軽量級のマービン・ハグラーのごときでした。

モンティエルは当時無敵の天才で、それに勝つのだから並じゃなかった。

こういう立場の選手は今でも不遇です。
文章に出てきたティム・オースティンも現在のラウシー・ウォーレンも現王者のゲイリー・ラッセルも恵まれたキャリアと言えません。こういう猛者も公平に混じってこその世界タイトルです。

西岡もマルケスのジャブやインテリジェンスを評価してましたが、対峙したものにしかわからない上手さがあるのでしょう。

ジョンソン自身はかなり不遇で日本人との絡みもなく、無名の帝王といえる存在かとおもいますが、殿堂入りを果たしました。彼の話は予想通りでもありとても興味深く面白いものでした。

マルケス初戦は試合後判定覆りですが、今となっては潔く2度負けたと言ってたり、俺はナチョ・ベリスタインに負けたんだ、とか、一番はモンティエルだが、負けたからマルケスが最強と言ってたり・・・

若気の至りで粗暴な面はあっても性格は素直そうな人柄を感じました。

個人的にはフライ級の歴代最強は、大場政夫でもマイケル・カルバハルでもなく、このマーク・ジョンソンとユーリ・アルバチャコフです。

こんな選手、今SuperFlyやWBSSバンタム級にいても脅威の優勝候補です。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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