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母との約束/ジョン・ジョン・モリナ

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ジョン・モリナではなくジョン・ジョン・モリナ、オールドファンなら知っている名前だろう。
改めて振り返ると彼はWBOという当時新団体の初期を代表する王者であり、ビッグマネーを求めて未来のスターに挑みつつ、彼らの引き立て役に終わった、過小評価された名王者である。

こういう男がいるからプエルトリコのボクシングはいつの時代も強い。

プエルトリコのボクサーパンチャー、ジョン・ジョン・モリナは1980年代から90年代にかけて、過小評価されてきた王者です。3度ジュニアライト級(スーパーフェザー級)王者になっています。

1965年、3月17日、プエルトリコの海辺の町ファハルドで7人姉妹、4人兄弟という大家族で生を受けました。

モリナの母親は息子がボクシングをする事に反対していましたが、兄のホセが母を説得しました。ホセは156ポンドで1979年のパンアメリカン大会で金メダルをとりました。それが、14歳でボクシングをはじめたジョンの心に火をつけました。

モリナ
「兄のホセをみて彼のようになりたいとおもいました。ホセは私のアイドルでありインスピレーションでした。」

モリナの母親は看護師だったが事故にあい仕事が出来なくなってしまった。彼女の障害者年金は家族を養うのに十分ではありませんでした。

モリナ
「学校が終わって家に帰ると母が泣いていました。今の家を失い、行政のアパートに戻らなければならないと聞いて、いつの日か母に家を買うと約束しました。」

モリナはアマチュアとして活躍し、1983年の世界ジュニア選手権、1985年のゴールドカップで金メダルを獲得しました。1982年の世界選手権、1984年のロサンゼルスオリンピックにもプエルトリコを代表しました。アマチュアの通算成績は103勝45KO11敗でした。

モリナはプロモーターのルー・デュバのメインイベンツと10万ドルでプロ契約し1986年2月にデビューしました。

モリナ
「デュバとの契約は素晴らしいもので多くの学習機会を得ました。ここの一員になれたことはとても良かったです。」

主に東海岸で戦い、最初の1年で12連勝を記録、15戦目で当時21勝1敗であったルーペ・スアレスに9回TKOではじめて敗北を味わいました。

再び常勝気流にのったモリナは1988年、初の世界挑戦をしますが、王者のトニー・ロペスにユナニマス判定で敗れました。113-114が二人、111-115という接戦でした。

1989年同国のファン・ラポルテを下してWBOジュニアライト級王者になりました。振返ればこれがモリナにとって生涯最高の瞬間だったかもしれません。

モリナ
「ラポルテ戦ではじめて世界王座を獲った時、彼は29歳で私は24歳でした。予想は50-50と言われていました。試合はプエルトリコ、サンファンのロベルトクレメンテスタジアムで行われました。プエルトリコ人同士のこの戦いは決して忘れません。私の誇りです。」

そしてこの勝利で10年前の母との約束を果たすことができました。

モリナ
「ついに夢が叶いました。母に家をプレゼントしました。夢は叶うのでしょうか?それは努力次第なのです。」

モリナは当時は軽視されていたWBOの王座を返上し以前負けたIBF王者のトニー・ロペス(33勝1敗)に挑み10回TKOで王座を獲得してみせました。

その後、因縁の相手、ルーペ・スアレスに6回TKOで雪辱しトニー・ロペスと3度目の戦いをしましたが議論を呼ぶスプリットの判定で敗れました。

その後5連続KOを続け、ブライアン・ミッチェルが王者のトニー・ロペスを下し引退して空いた空位のIBF王座を、南アフリカまで遠征しジャッキー・ガングルーサ相手に4回TKOで再び獲得しました。

その後はマヌエル・メディナやグレゴリオ・バルガスなどを含む7度の防衛に成功しましたが、ビッグマネーファイトには縁がなく、タイトルを返上、ライト級でオスカー・デラホーヤに挑むも、ユナニマス判定で敗れてしまいました。

その後モリナは3年間で9連勝を続け、IBF王者のシェーン・モズリーに挑むも、当時全盛期のロサンゼルス在住のモズリーは強く、8回KOで敗れました。

8ヵ月の休息を経て一階級下の当時IBFスーパーフェザー級の無敗王者ロベルト・ガルシアに挑むも112-115×3という僅差で敗れた。

2001年にファン・ラスカノに敗れるまで、彼はその後も7連勝をあげた。
15年間のプロ生活で52勝33KO7敗という記録を残してグローブを吊るした。

振返ると、モリナが戦ってみたかった選手が2人いました。

モリナ
「アズマー・ネルソン、真の紳士です。かつて同じ興行で私の控室にネルソンが訪ねてくれたんだ。私の試合に関心してくれて、お前が最高だと言ってくれた。私はすぐに、あなたが最高だと言い返しました。もう一人は(勝ったまま引退した)ブライアン・ミッチェルとも戦ってみたかったね。」

現在53歳のモリナは生まれ故郷のファハルドに住み、離婚しているが3人の子供がいます。ボクシングを引退後、電話会社で働いていましたがそれも辞めて今はプエルトリコのWBOのチャリティーイベントや地元コミュ二ティで活動しています。モリナの銅像が建てられる計画があるそうです。

ジム経営など直接的な事はしていないが、サブリエル・マティアスやアローヨ兄弟、アルフレド・サンチャゴなど、地元ファイターをサポートしています。

心に残る対戦者たち

ベストジャブ オスカー・デラホーヤ

ジャブが速くて驚いたけど最善を尽くしました。

ベストディフェンス マヌエル・メディナ

モズリー、オスカー、そしてメディナです。メディナは厄介な相手でした。どんなパンチでもディフェンスしました。他の相手ほどスピードがなかったけど正確でクレバーな素晴らしい選手で戦いながら感銘を受けていました。

ハンドスピード シェーン・モズリー

モズリーは完璧なファイターでした。ハンドスピードは驚異的で次元が違いました。

フットワーク シェーン・モズリー

ウィルソン・ロドリゲスとモズリーです。どんなにトレーニングしても自分より速い選手はいます。そんな時は自分の他の武器を使う必要があります。タイミングも重要です。モズリーでしょうね。

鉄のアゴ ファン・ラポルテ

オーマイゴッド!私はベストパンチを何度も当てた。でも彼は頑丈でした。
彼のどの試合をみても打たれ強い事はわかります。

スマート オスカー・デラホーヤ

モズリーとデラホーヤは素晴らしいスピードとコンビネーションを持っており、相手の弱点をついてきました。最もスマートだったのはデラホーヤでしょうか。

屈強さ ファン・ラポルテ

圧倒的にラポルテです。瞬きすらできません。彼はトラクターのようでした。
常に前進しハードパンチを打ってきました。試合途中でファイトする事を決心しましたが、前半は注意深く出入りを駆使してアウトボックスする必要がありました。
後半、セコンドはもっと左回りでアウトボックスしろと指示してそれを守りました。何発か食らったけど最後まで動き続けてなんとか勝てました。

ベストパンチャー エマニュエル・アウグストゥス

エマニュエルはすごいパンチを私にあてたけど、私はポーカーフェイスで彼は気づかなかった。ボディでした。神に感謝する。もし彼が私の苦しみに気づいていたら私はパニックだったでしょう。本当は叫びたいほど苦しかった。あの時は心身ともにコンディションがよかったから試合を続けられたのでしょう。

ベストスキル オスカー・デラホーヤ

彼が最初に思い浮かぶ。とてもテクニカルだった。

総合 シェーン・モズリー

モズリーは私のスタイルをよく研究してて戦術が多彩でした。準備万端でした。

ジョン・モリナじゃなくてジョン・ジョン、ジョン×2
当時はトップ戦線でよく見かける名前でしたが、あまり試合をじっくり見た記憶がありませんでした。
YouTube以前の世界だったのかなぁ・・・

トニー”ザ・タイガー”ロペスとか、今じゃ名物トレーナーのロベルト・ガルシアとか、ジャッキー・ガングルーサとか、懐かしい名前が出てきたなぁ。

恐らく当時のWBOがまだ深く認知されておらず、歴史の浅い信用の置けぬ団体であるという先入観がそうさせたのだろう。当然日本も未加盟だった。WBOはその後、ナジーム・ハメドで大きな信用をつけた。

それでもジョン・ジョンという個性的な名前に一定の敬意はあり、職人的な選手という印象はありました。負けてもまたトップに返り咲いてくる。

そして、彼の本領は恐らくジュニアライト級=スーパーフェザー級だったのだろう。ビッグネームを求めて向かった敵がオスカー・デラホーヤであり、シェーン・モズリーであったのだ。彼らは若く、ライト級にふさわしい体格とパワーを持っており、原点であり全盛期であった。

そんな将来のスターのほんの少し前、少し小さなウェイトで活躍していたジョン・ジョン・モリナ、日本の横浜市足らずの人口のプエルトリコのボクシングがあんなに強いのも、モリナのような先達が築いた伝統が脈々と生きているからなのだろう。

モズリーとデラホーヤ、彼らを認めつつ、コメントが短いのは(特にデラホーヤ)意地と嫉妬でしょうか・・・

エマニュエル・アウグストゥスの逸話は面白かった。
話の中にボクサーにとって大事な要素が散りばめられているような気がしました。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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