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日本の至宝、世界の損失/内山高志

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スポーツジムでランニングマシンをやってると苦しいし何といっても退屈だ。そんな時、今時のマシンはネットに接続できるので、ボクシング動画を観てると時間があっという間に過ぎる。平成最後の一時、内山のダイジェストをみてあっという間に目標距離を走りぬいた。平成も駆け抜けた。

KOダイナマイト 内山高志 世界戦集 14試合 | ボクシング動画アンテナ
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内山 高志は、日本の元プロボクサー。第35代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者。元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者。その戦いぶりから「ノックアウト・ダイナマイト」の異名を持つ。かつては歴

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アマチュアボクシング:113戦 91勝 (59KO・RSC) 22敗
プロボクシング:27戦 24勝 (20KO) 2敗 1分

内山 高志(うちやま たかし、1979年11月10日 - )は、日本の元プロボクサー。第35代OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者。元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者。その戦いぶりから「ノックアウト・ダイナマイト」の異名を持つ。かつては歴代世界戦KO率日本No.1のボクサーだった。日本におけるボクシング世界王者として、歴代3位となる11回連続防衛の記録を保持した。

長崎県の三人兄弟の次男として生まれ、幼少期に埼玉県春日部市に転居。小学校時代は内牧少年野球クラブで野球に親しみ、春日部市立春日部中学校時代にはサッカー部に所属。辰吉丈一郎や川島郭志などの影響を受け、ボクシングの強豪である花咲徳栄高校に進学し、ボクシングに転向した。高校3年時の1997年に初の全国大会出場となる高校総体にバンタム級で出場しベスト8入り。同年のなみはや国体少年の部バンタム級では榎洋之らを倒し準優勝した。

高校卒業後はボクシングの名門である拓殖大学に進学。しかし、補欠にも選ばれず同級生の荷物運びという厳しい扱いを受ける。この屈辱をばねにして努力を重ね、階級もライト級に上げた。大学4年時の2001年には新世紀・みやぎ国体で、当時アマチュア最強とされた飯田育夫(日本大学)を追いつめたものの判定で敗れた。同年の全日本アマチュアボクシング選手権大会では飯田を破り優勝。

大学卒業後、高知県の久保建設に事務員として勤務しながら2002年のよさこい高知国体で優勝し、全日本選手権を連覇。同年に行われたタイ王国主催のキングスカップでは、優勝したアトランタオリンピック金メダリストのソムラック・カムシンに敗れ、銅メダルを獲得。同年度のアマチュア部門努力賞を受賞。東京都の青和観光株式会社に転職した2003年には全日本選手権3連覇を果たし、国体も含めアマチュア4冠を達成。同年の世界選手権大会ではベスト16入りし、同年度のアマチュア部門年間優秀選手賞を受賞。

2004年のアテネオリンピック出場を目標として日本国内予選を勝ち抜いたが、同年5月11日にカラチ(パキスタン)で開催されたアジア地区最終予選で1回戦敗退。本選出場を逃し引退を決意するが、同年の彩の国まごころ国体が出身地の埼玉県で開催されたこともあり、体調が万全でないまま出場し決勝まで進むものの細野悟(法政大学)に敗れた。国体後は再び引退の意思を固めてプロのジムやK-1などからの誘いも断ったが、ビータイトプロモーションの瀬端幸男の説得で引退を撤回し、ワタナベボクシングジムからプロへ転向することを決めた。

以下プロでの活躍は省略。

ボクシングマガジン2016年3月号の巻頭インタビューにて「今回もアメリカ進出を逃したら、ちょっともう何を目指して練習したらいいのか分からない」とまで吐露していた内山は、世界的にも全く無名のコラレスとの日本での12度目の防衛戦が発表された会見でも「正直、モチベーションが下がった」と初めて公の場で自身のマッチメイクへの不満を露わにした。また、内山の世界戦を中継してきたテレビ東京は、具志堅用高の持つ最多連続防衛記録更新が懸かった14度目の防衛戦を大晦日に日本国内で実現させたいと意向であるため、2016年内のアメリカ進出のチャンスはコラレス戦に勝利した後の9月頃までの4カ月程度しか残されておらず、11月には37歳となり肉体の衰えと引退の時は近づいている。これまでマッチメイクに文句を言わずに戦ってきた義理人情に厚い内山に対して「コラレスに勝利した後は念願のアメリカ進出のために我が侭を通してもいいのではないか」と指摘する声もあった。

海外記事からの紹介を探そうとおもったが、見つけられなかった。
それだけ海外では知られていない、島国の謎のファイターだったのだろう。

「今回もアメリカ進出を逃したら、ちょっともう何を目指して練習したらいいのか分からない」

この言葉に象徴されるように、日本ボクシング界に偉大な足跡を残しはしたが遂に世界に羽ばたくことはなかった。それが唯一ファンの失意、ワタナベジムに対する憤りだ。

先日、フェリックス・ヴェルデホVSブライアン・バスケスを観て、結果はヴェルデホのUDなれど、バスケスの互角以上の奮闘をみるにつけ

「あぁ、内山の方がヴェルデホより全然強い、パンチ力も比較にならないな」

と感じた。

共通の相手ではオリバー・フローレスも、内山にボディで瞬殺されたがベルデホには健闘していた。バスケスは内山戦後、ハビエル・フォルトゥナやレイモンド・ベルトランにも肉薄していた。完敗は内山だけ。内山が倒してきた相手はただノックアウトされただけでなく骨折したり怪我したり、こりゃもう立てない、病院送りという非情なものだった。

観戦仲間のチャベスさんのブログで平成の総括のような事をやっており、内山が技能賞になっていた。

リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論
リングサイドで野次を聞いた ~独善的ボクシング論

チャベスのボディ・ブローさんのブログです。最近の記事は「更に骨法・・・「骨法再発見」」です。

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それを受けてこの記事を書いたのかもしれない。

ノックアウト・ダイナマイトの異名通り、どちらかというとパンチャーのイメージがある内山ですが、そのベースになるのは左ジャブを起点とするアウト・ボクシング。独特の距離感とポジションをキープして相手を削っていき、最後は大砲をドカン!とぶち込んでいくスタイルです。

己の距離、ペースを維持してれば盤石の強さ、安定感を持ってましたが極端に踏み込みが速い相手とは相性が良くなかった印象です。

特にサウスポーの速くてパンチがある相手に相性の悪さを感じたが、ジョムトーンのようなリズムのサウスポーとなると半殺しに近かった。傑作試合といえるものだが、その後ジョムトーンも何者でもないボクサーとして消えた。ジョムトーン戦、ソリス戦は永遠のマスターピースだ。

パンチ力ばかりが際立つ内山だが、最後の相手となったジェスリル・コラレス以外ポイントもほとんど譲らないほどの鉄壁さ、決して速攻型ではない理詰めでジャブから解体する頭脳的なスタイルだった。かつては、ガンボア、マイキーとの試合の可能性すら噂されたが、そんな試合は起こりえぬ夢物語だったのだ。

ベルデホと言わず、マイキーVSスペンスを観た時でさえ

「あぁ、マイキーよりも内山の方がウェルターで通用するパンチだな」

と感じたのも事実だ。

山中にも言えることだが、日本の宝として大事に国内だけで、挑戦者を厳選していく時代は終わろうとしている。内山に負けてもトップランクの高級カマセ的な立場で奮闘するバスケスや、山中戦後ホープの踏み台と化しているカルロス・カールソンのような姿こそが残酷なボクシングのリアルだ。

内山に憧れ目指した京口はマカオで見事2階級制覇を果たした。
圧倒的不利が予想される船井龍一もアメリカでアンカハスに挑む。
内山以上なんてありえないとおもわれた伊藤雅雪は海外を志向しトップランクと契約した。

内山が目指した海の向こうは皮肉にも今やっと開かれようとしている。
内山の無念まで後輩たちが晴らしていって欲しいと願う。

東京四谷でジムをオープンさせたみたいだけど、今でも最強、最高のトレーナーになるだろう。願わくば日本のジムの構造自体を変えるような存在になって欲しい。偉大なプロモーターになって欲しい。

「ロマチェンコ?ゲルボンタ?いや、内山高志こそスーパーフェザー級で歴代最高のパンチャーだった」

という想いは死ぬまで変わらないだろう。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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