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信仰と忍耐/アンソニー・ピーターソン

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静かに、熱く、応援したいとおもえる兄弟だ。

彼はボクシング界で最も忍耐強い男かもしれません。その名はアンソニー・ピーターソン。

今ボクシング界では何かで"最高"である事が最も称賛されますが、忍耐強い事が役に立つ事はないかもしれません。

しかしピーターソンは彼のやり方を変えようとはしません。2010年、ミゲル・コットVSユーリ・フォアマンの前座で試合をした頃、彼はトップランクにプロモートされていましたが、ブランドン・リオスに失格負けをして以来、はずされ、それから5年半も待たされることになりました。今37勝1敗となっているピーターソンは、未だにチャンスを待っています。嘆くことも泣き言を言う事もなく。SNSで不満をぶちまける事もありません。その代わり、トレーニングに一層力を入れ、2018年こそ王者になり、長年のツケを清算すると考えています。

アンソニーは兄のラモンVSスペンスのオープニングでルイス・エドゥアルド・フローレス(23-8、19 KOs)と戦います。

アンソニーは2012年、2013年、2016年、2017年は一度も戦わなかった。
その理由について説明したり、不満を言うことはなかった。

アンソニー
「ボクシングはビジネスです。まもなくタイトル戦ができるだろう。その日まで私は信仰を守ります。私は王者になれるでしょうか?わかりません、ボクシングは何が起きるかわかりません。」

昨年、ミッキー・ベイと戦う予定があり、その試合をクリアすれば、2010年にブラントン・リオスに敗れた唯一の黒星の挽回ができるチャンスだったが、ベイの怪我で流れてしまいました。

アンソニーはほとんど非活発であったため、その鋭さは失われていません。

アンソニー
「より進化しましたが、ほとんど同じスタイルです。よりスマートでより忍耐強く、より強いパンチを打てます。誰も名指ししたりしません。苦言もありません。SNSや言葉でボクシングや世界についてあれこれ言ったりしません。多くの人はSNSで鍋をかき回すようにしゃべりますが私の性格には合いません。誰にでも二面性があります。私は38試合を通じてただ殴り合いがしたかっただけです。ボクシングは殴り合い傷つくスポーツですが、試合が終わって、報酬が私の手元にある時だけ話したい事があります。試合以外で私がSNSでしゃべったりすることに何の意味がありますか?誰が聞きたいでしょうか?変わらぬ現実を嘆くのは無意味です。誰もが勝者の声に耳を傾けたいだけでしょう。」

それでも、時に現状に不満を感じる事もあるが、兄の活躍をみて厄介な妬みを感じるほどではない。

アンソニー
「たしかにフラストレーションはありますが、それはボクシングに愛があるからです。それがあれば、私は待つ事ができる。あと2年以上待つつもりです。ラモントのチャンスを単純にうれしくおもいます。神への信仰を保ち、精進していくだけです。私はボクシング以外の人生も持っています。コメディーが好きです。」

アンソニーのコメディーな側面は彼のインスタグラムでみる事ができます。

しかしお笑いは置いて、1月20日、土曜の夜のピーターソン兄弟の試合に注目しましょう。

アンソニー
「全ての試合でノックアウトを考えている。誰が相手でも、早い回でそれができればいいと。ラモントに関しては後半勝負になるのではないか?10ラウンドとか11ラウンドとか。ラモントがスペンスに何ができるか?ある一定レベル以上の経験値をみせるだろう。戦いはリングの中だけのもの。何が起きるかわからない。土曜の夜に目撃しましょう。」

果たして2018年はピーターソン兄弟の年になるでしょうか。

37勝24KO1敗

ラモントの話題が出る度に、たしか兄弟共にホームレスボクサーだったよな。
もう一人は引退したのかな、いくつか負けて大きく後退したのかな

とおもっていましたが、このような状況だったのですね。

痛恨の一敗は当時無敗のブラントン・リオスに倒され、反撃でローブローを連発しての失格負けでした。

仕方ない敗北だが、レフリングによっては、ウォードVSコバレフのような結果も起きる。この敗北だけで6年以上無敗でノーチャンスというのは過酷だ。

生い立ちのせいか、兄弟共に、シャイで控えめな印象でそれがボクシングにも表れている気がする。

静かに、熱く、応援したいとおもえる兄弟だ。

ピーターソン兄弟の物語

ピーターソンは1984年1月24日、米国の首都ワシントンDCで生まれた。1歳下の弟アンソニーものちにプロボクサーになり、世界ランカーになっている。

この兄弟は幼くして両親と離れ離れになってしまった。父親が問題を起こして収監され、残った母親も育児を放棄して失踪してしまったのである。レイモントとアンソニーは住む家もなくなり、ふたりで路上生活を送ることになった。

幼い兄弟は物乞いをしながら命をつないだという。そんなピーターソン兄弟に手を差し伸べた人物がいた。バリー・ハンターというボクシングのコーチだった。レイモントが10歳のときにハンターは兄弟を引き取り、生活の面倒をみることになる。

やがてハンターは兄弟にボクシングの手ほどきをすることになり、ふたりに類まれな才能があることを見抜いた。ハンターはふたりの意思を確認したうえで本格的にボクシングの指導を施すようになり、兄弟も期待に応えてメキメキと上達していった。

01年、17歳になったレイモントはライト級でアマチュアの全米ゴールデングローブ大会優勝を飾り、03年には全米選手権でも優勝した。弟のアンソニーも18歳で出場した03年全米ゴールデングローブ大会で優勝するなど、ふたりは際立った活躍をみせた。

その後も兄弟は毎回のように同じ日にリングに上がり、勝利を積み重ねていった。スーパー・ライト級のレイモントは06年にWBC米国王座、07年にNABO北米王座、08年にNABF北米王座をそれぞれ獲得。ライト級のアンソニーも06年にNABO北米王座、08年にNABF北米王座を手中に収めるなど、ふたりは快進撃を続けた。揃って世界ランキングにも名を連ね、そのまま一気に兄弟世界王者誕生かと周囲の期待は膨らんだ。

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