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飴と鞭(ラティゴ)/ファン・マルチン・コッジ

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世界王者が遥かに遠い存在だった頃、日本人との対戦、来日も厭わず戦ってくれた王者の一人がファン・マルチン・コッジだった。しかし日本屈指のハードパンチャーとは異質な強打、鞭のようにしなるその豪打はホンモノの世界を感じさせた。やはり世界は遠いままだった。

ファン・マルチン・コッジはジュニアウェルター級のWBA王者として三年間、世界中で戦い続けた。同時期の対抗王者フリオ・セサール・チャベスの陰に隠れて地味な存在であるが、WBA王座を3度獲得、通算10度の防衛を成し遂げた。

1982年にデビューしアルゼンチン国内で5年間戦い続け、初の海外での試合(イタリア)で当時48戦無敗のモスクワ五輪金メダリスト、パトリツィオ・オリバをアップセットで3回KOで下し王者になった。

アルゼンチンのボクシングではカルロス・モンソン同様、イタリアでの活動は自然な流れであり、コッジも祖母の祖国であるイタリアで3度防衛戦をした。韓国のパンチャーSang-Ho Leeやハロルド・ブレイジャー、平仲明信らを退けた。

「El Látigo(鞭)」のニックネームで知られるコッジは1990年4月の4度目の防衛戦を自身のベストにあげている。

コッジ
「フランスのコルシカ島で戦ったホセ・ルイス・ラミレス戦です。リングを動き回らなければならなかった。そのためにたくさんパンチを打ったしフットワークを絶やさなかった。12回にわたりやりきりました。」

5か月後、ロレト・ガルサに僅差のMDで敗れタイトルを失うが、即時再戦は叶わず、世界戦線から離れて戦い続けた。2年半後、ガルサは既に王者ではなかったが、王座の変遷を経て、モーリス・イーストをアルゼンチンに呼んで8回TKO。再び同王座を取り戻した。

その後18カ月にわたりコッジは6度の防衛に成功、その中には日本の吉野弘幸に対する勝利も含まれた。(5回TKO)。母国でも3度の防衛をほとんどノックアウトで記録した。

1993年、5度目の防衛戦でエデル・ゴンザレス(コロンビア)と対戦したが、2回にゴンザレスに痛烈なダウンを奪われてKO負け寸前まで追い込まれたが、地元贔屓のレフェリーにも救われて何とか態勢を立て直して逆転7回TKO勝ちで王座を防衛。あまりにも王者を優遇する露骨なレフェリーの態度にWBAもすぐさま再戦を指示し、このレフェリーはWBAの世界戦から永久に追放されることとなる。

コッジ
「私のせいではないが、公正ではなかった。なので再戦を承諾した。」

1994年3月18日、アメリカでゴンザレスと再戦。前回の試合とはうって変わってコッジが終始ゴンザレスを圧倒し、3回TKO勝ちで王座を防衛。

1994年9月17日、フリオ・セサール・チャベスに初黒星を付けた強豪フランキー・ランドールと対戦し、激しい打撃戦の末に12回判定負けで2度目の王座陥落。

1995年5月6日、2度目の日本の試合で、坂本博之に10回判定勝ち。

1996年1月13日、フランキー・ランドールと再戦し、4回負傷判定勝ちという幸運な形で執念の王座返り咲きを果たした。

1996年8月16日、フランキー・ランドールと3度目の対戦で、初戦以上の差をつけられて3度目の王座陥落。それ以降はマイナー王座に矛先を移し、1999年5月29日にWBU世界ウェルター級王者ミケーレ・ピッチリーロ(後にIBF世界ウェルター級王者となる)に挑んだが、ピッチリーロの動きについていけず大差の判定負け。この試合を最後に引退。

通算戦績75勝44KO5敗2分、16度の世界タイトルマッチをこなした。

この時代の他の多くのファイター同様、コッジはフリオ・セサール・チャベスと対戦したかったと語る。

コッジ
「契約真近でしたが2カ月前になって金銭問題で成立できなかった。チャベスと戦ってみたかったね。」

コッジは現在ルーカス・マティセとその仲間たちのヘッドトレーナーをしている。(当時)結婚し息子と娘が一人づついる。息子のファン・マルチン・アントニオはジュニアウェルター級のボクサーで32勝16KO6敗3分だ。

ライバルについて

ベストスキル 自分

人々が選べばいいとおもうよ、でも私はリングでスピードとパワーを証明したとおもう。

ベストジャブ フランキー・ランドール

速かった。驚くべき男だった。ジャブが見えなかった。パトリツィオ・オリバもいいジャバーだった。

ベストディフェンス フランキー・ランドール

彼にパンチを当てるのはとても難しかった。

ベストチン ホセ・ルイス・ラミレス、ハロルド・ブレイジャー、平仲明信

みんなタフで強いアゴをしていた。

ベストパンチャー フランキー・ランドール

ランドールだとおもうけど世界戦レベルのファイターは皆ハードパンチャーだ。Sang-Ho Leeとハロルド・ブレイジャーもすごいパンチャーだったけどランドールがベストだ。(コッジは笑いながら指を2本下に示した。それはランドールに2度ダウンを奪われたことを意味する)

ハンドスピード ハロルド・ブレイジャー

ハロルド・ブレイジャーとフランキー・ランドールだね。

フットワーク ハロルド・ブレイジャー

ハロルド・ブレイジャーは速くていいフットワーカーだった。

スマート ハロルド・ブレイジャー

彼とは最後まで戦い抜いた。12回フルに戦った。パンチも強くディフェンスも固かった。

屈強 全員

王者として戦った相手はみんな屈強だった。

総合

ホセ・ルイス・ラミレス、ハロルド・ブレイジャー、平仲明信、Sang-Ho Lee、フランキー・ランドール。みんなタフだった。それが世界王者たるゆえだ。

他の誰かにしようとしたが、ふと目にとまり、平仲の名前が出ていたので決めた。
あの試合の詳細は書かれていないが、WIKIによるとこうだ。

1989年4月29日、3度目の防衛戦で日本の平仲明信と対戦したが、3回に2度のダウンを奪われてKO負け寸前に陥るも何とか耐え抜き、その後も平仲優勢の展開で試合が続いたが、レフェリーとジャッジの露骨な地元贔屓にも救われて12回判定勝ち。

実質、平仲明信の勝ちだった。平仲はその後、メキシコでレジェンドのエドウィン・ロサリオを初回KOで破り世界王者になるも、オーバーワークが原因とかで、王者レベルではないモーリス・イーストに敗れ一度も防衛ができなかった。結局イーストを破り再度王者になったのはコッジだった。コッジ戦といいロサリオ戦といい、初回、パワー勝負の一か八か、豪快な沖縄ファイターだった。

コッジが王座を失って、ステップとして挑んだ当時ピークの坂本博之だったが、和製デュランと呼ばれ、破壊的だった坂本でさえコッジの「El Látigo(鞭)」に比べたら静かなもので、キャリアの差をみせつけられた。(坂本のプロ初黒星ではなかったかな)

弾丸のような左フックを持つ吉野弘幸も通用しなかった。
世界は遠い、果てしないを痛感させられる想いだった。

坂本でも吉野でもなく平仲なのが世界なのだろう。

スピードもスキルも驚くほどではないのだが、なんだろう、日本人にはない身体能力とまさに鞭のような強打を誇り、敵わんなを強く印象付けた。どうしても当時のスーパースターはチャベスだったが、対戦したらどうなっていたかわからない、独自の強みを持っていた。

タイトルを奪った、パトリツィオ・オリバは当時48勝無敗(モスクワ五輪金メダリストにして57勝2敗で引退している)
Sang-Ho Leeという韓国人は当時47勝39KO1敗(コッジに負けて引退)
ハロルド・ブレイジャーに至っては通算戦績105勝65KO18敗
ホセ・ルイス・ラミレス通算戦績102勝82KO8敗(コッジに負けて引退)

ランキー・ランドールはご存知チャベスの無敗記録を止めた男

やはりホンモノ中のホンモノの世界王者であったのだ。
チャベスは無理でもそんな男が日本人と戦い、日本にもやって来たこと事態が奇跡だったのかもしれない。

ラティゴはやっぱり、かつてみたことないような強烈な鞭、世界王者のメッセージだった。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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