最近の有名なところではアドニス・スティーブンソンとザブ・ジュダーが試合後脳障害で病院搬送されたが、前者は重く苦しい時を経て回復に向かい、後者はかなり軽傷で翌日には病院で子供達と戯れていた。
どうかマキシム・ダダシェフが健康に、健常に、元通りになって社会に復帰できますように・・・
[st-card id=80447 ]ラスベガスのMGMグランドアリーナでは大勢のファン、特にパッキャオ最愛のフィリピン人ファンが「マニー、マニー、マニー」と大声援を送り熱狂の渦をまいた。この試合はビッグイベントでヘビー級の世界戦を凌駕するほどのものだ。
マックス
一方、マキシム”マッドマックス”ダダシェフの妻エリザベスは、ロシアのサンクトペテルブルクの自宅からアメリカのメリーランド州の病院にかけつけた。金曜日の夜、ダダシェフはMGMの別の施設であるオクソンヒルのMGMナショナルハーバーでプエルトリコの破壊的ファイター、サブリエル・マティアスによってノックアウト(棄権)された。
28歳のダダシェフは281勝20敗のアマチュアキャリアを誇り、プロとしてここまで13連勝、IBF3位のスーパーライト級プロスペクトだったが、強打のマティアスに試合を支配された。
11回が終了し、セコンドのバディ・マクガートはダダシェフに告げた。
「もう終わりだ、マックス、しかし彼は拒絶した。恐らくマックスの脳がまだだと告げていた。しかし彼の傷ついた心はこういっていた。もう無理だと。」マクガートはダダシェフを憤慨させたが、ダメージがこれほど深刻だったとは誰にもわからなかった。
マクガート
「地獄の戦いだった。タフでタフでタフな試合、ダダシェフは強烈なボディをたくさん食った。試合をストップする時が来たとおもいました。あまりに多くのショットに見舞われていた。私は言った。試合を止めるぞと、けれどマックスはいや、止めないでくれと言った。」ストップされた時のスコアは109-100、108-101、107-102だった。集計によると319-157でマティアスが手数で上回っていた。そのうちの112発がボディだった。
ダダシェフはただちに病院に搬送され、脳内出血の圧力を軽減するため、開頭手術が施された。このまま昏睡状態に陥ると最悪のシナリオが始まるが、幸いにも脳の腫れは収まり、出血が止まり、深刻な状況が回避できそうな状況だと言うが、いずれにせよ、マックスは二度とボクシングをすることはない。世界王者になるという夢は実現しない。
試合後のインタビューでESPNのアナリスト、ティモシー・ブラッドリーは次のように述べた。
ブラッドリー
「とても恐ろしい状況です。試合の度に私は妻に話をしました。リングに足を踏み入れる前に妻を座らせ、みつめ、俺をよく見て、大きく目を見開いてよくみてくれ、リングから戻って来れないかもしれない。少なくとも、リングに入る時と同じような状態で戻ってくることはないと。」マニー
翌日の大きな戦いに戻る。
パッキャオの崇拝者はもはやヒステリー状態で、大声で歌い、大歓声を上げ始めた。パッキャオがリングインすると「マニー、マニー、マニー」という声援はより大きなものに変わる。そのシーンは実にシュールだ。
海を超えて
土曜日の早い時刻に、大西洋を越えたロンドンではヘビー級のデビッド・アレンが、巨人のデビッド・プライスに痛烈に殴られて酸素呼吸器を注入された。倒れたアレンは病院に救急搬送され心配されたが、大事には至らなかった。プロモーターのエディ・ハーンによると眼窩骨骨折と舌を怪我したが脳に異常はないと言う話だ。
デビッド・アレン
「デビッド・プライスと戦えたことを誇りにおもう。私は大丈夫です。実はここ1年体調がおもわしくなかったんだけどこのチャンスに飛びついたんだ。お金も稼げたし、やるべき事はやったとおもう。」マニー、マニー、マニー
ラスベガスでは初回いきなりパッキャオはサーマンからダウンを奪ってみせた。会場は興奮のボルテージだ。サーマンは決して諦めることなく力強く対抗してきたが、ファンはパッキャオの夜であると皆感じていた。10回、パッキャオは破壊的なボディを炸裂させて「ワンタイム」からの勝利を手繰り寄せた。
戦いは終わり、マニーは勝者コールを受けた。
フィリピン人ファンが「We Are The Champions」を歌い出すと音声レベルが限界を超え、視聴者は消音ボタンを押す。彼らはカルト信者というほどのファンではない。大声で歌っている人々はボクシングの過酷な側面を露呈した週末であった事を果たして自覚しているのだろうか。