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笑顔の少年の怒り/(アメリカンドリーム)エリスランディ・ララ Vol.2

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もう一人の亡命者、エリスランディ・ララはスター渦巻く中量級の選手なので、金銭的には一番成功者といえるだろう。それでも守備的な判定勝ちはララにとっては勝利ではない。引き分けは敗北を意味する。

マイアミ

ミラーロードの外れ、ストリップモール市場の片隅にあるヤングタイガースジムは空気が薄く湿度の高い空間だ。ティーンエイジャーはランニングマシンを全力で走り、筋肉質の男は重いサンドバッグを叩く。

ここがキューバボクシングの中心であり、おそらくハバナやサンチャゴ、長い間ボクシングのメッカと考えられてきたキューバのどこよりもメッカと言えるかもしれない。

2004年オリンピック銀メダリスト、ユデル・ジョンソン、パンナムや世界選手権覇者のヨルダニス・デスパニエ、オリンピック金メダリストのヤン・バルテレミ、ユリオルキス・ガンボア、3度のナショナルチャンピオンのユニオール・ドルティコス、、そしてギジェルモ・リゴンドー、彼らの現時点でのプロ戦績は82勝4敗となる。オリンピック金メダル4つ、銀1つ、その他大会で12個以上のメダルを獲得している。

ルイス・デ・クバス(プロモーター)
「ボクシングの歴史上、キューバのファイターがこんなに大勢マイアミという同じ場所に集まったことはありません。今日のキューバ代表のオリンピックチームでさえも、ここのチームには勝てないでしょう。」

ユデル・ジョンソン
「家族全員をキューバに残してきたので、ここのファイターは皆マイアミの家族です。ここに多くの素晴らしいファイターがいることをファンに知って欲しい。」

エリスランディ・ララの人生の旅は、このグループの多くの苦悩とボクシングが直面する問題のパラダイムといえる。

少年

ララは、グアンタナモの最貧民地区バリオスで生まれた。
アメリカの恐怖の刑務所と言われるグァンタナモ米軍基地から数マイル離れた丘の斜面に立つ家畜小屋がララの家だ。ララのような子供たちは毎日学校からこっそり抜け出しては路地で争いをはじめた。母のマリソルは毎日ララを叱った。

ララは父親には会ったことがない。
祖母のシルビアは近所のカフェで一日中プランテンを揚げて、エリスランディと妹のヤネットを必死に育てた。少年は学校の机の上で本を開くよりも外へ出てケンカするのに多くの時間を費やした。

ララ
「おばあちゃんはケンカはやめろとしょっちゅう言ってました。でもいくらケンカしても私の顔に傷がないことを知っていました。」

少年の拳は、後に続くアマチュアでのロケットのような活躍を示唆していた。祖母が他界してから彼のキャリアは本格的に始まった。

11歳の荒れた少年だった。

ララ
「おばあちゃんが好きでした。彼女が死んで私はきちんとしなければとおもいました。」

それから少年は学校に通い始め、放課後、路地でケンカする代わりに、公式の青年ボクシング大会に参加した。共産主義の機械のような指導者が、その才能に気づくのに時間はかからなかった。栄養不足の子供でも、ララは足を稲妻のように動かし、ジャブを機械のように連射した。

ジョンソン(ララのアマチュア時代のコーチ)
「彼は信じられないような才能だった。パンチが速くてファイターの本能に優れていた。」

10代半ばでララはハバナのフルタイムのトレーニングキャンプに移行した。体重を増やし155ポンドに設定しランクを上げていった。2004年のオリンピックを目指し必死にトレーニングを続けたが、そこで不動の王に出くわした。

ロレンゾ・アラゴン、9歳年上で2度のアマチュア世界王者だ。ララとアラゴンは2003年、2004年、4度戦ったが全てアラゴンが勝った。

ララ
「とても巨大な壁でした。どの試合も1,2ポイントの接戦でした。」

しかしララが学んだ教訓がさらなる上昇の鍵となる。2004年のオリンピックを諦め、フィジカルトレーニングを重視し、ベネズエラの専門家と毎日トレーニングをした。アラゴンがアテネオリンピックで銀メダルを獲得し引退を発表した時、遂にララの時代が到来した。準備はできていた。

2005年、次の北京オリンピック代表チームに選ばれたララはキャプテンに指名された。ララも仲間もみな北京オリンピックでメダルが期待されるキューバの希望だった。

ララ
「無敵だと感じました。誰も私に触れることもできないと。」

リオデジャネイロの陽炎

2007年8月3日、ブラジルの軍事警察が電話に出ると、ララはためらった。3年前にアテネで金メダルを獲ったギジェルモ・リゴンドーと目配せした。公衆電話の外はリオデジャネイロの正午の太陽が陽炎を映していた。

リゴンドーはうなずき、ララはスペイン語でこう伝えた。

ララ
「私たちはキューバのボクサーです。あなたたちが探している人です。」

その一言で、フィデル・カストロのお気に入り、ゴールデンボーイとしてのララの地位は終わった。警察が到着すると、彼のキャプテンの地位はなくなり、ハバナでのキャリアは終わり、グアンタナモのヒーローとしての人生は失われた。

ララ
「他になにも出来ることがなかったので警察に電話しました。私たちは何も怖くありませんでした。終わらせる準備が出来ていました。」

キャプテン

全ての終わりは衝撃的なスピードで、3年前にキューバ代表のキャプテンになったララの急激な上昇を反転させた。

誰よりも激しくトレーニングし、肩が破裂しそうになるまで重いバッグを叩き、太陽の下で何時間も走り、脱水で足が痙攣するまで蒸し暑いリングでスパーリングした。ララはチームメイトにも同じことを求めた。

ジョンソン(ララのアマチュア時代のコーチ)
「ララは自分が他の誰よりも一生懸命トレーニングに励むことで自らが模範となって主導しました。キャプテンが怠けたら他の選手にも影響が出ます。彼はとても優秀なキャプテンでした。」

ララの国際的な知名度は、キャプテンという役割によって高まっていった。2005年、中国四川省で開催された世界アマチュア選手権。ウェルター級で出場したララは国内最大のライバルだったロレンゾ・アラゴンを倒してアテネで金メダルを獲得した、バフティヤル・アルタイエフ(カザフスタン)を準決勝で破り、決勝で後のヨーロッパチャンピオン、マゴメド・ヌルティノフ(ベラルーシ)を破って優勝した。

ララはアマチュアの世界王者に輝いた。キューバではハバナからグアンタナモまで「ララ!ララ!ララ!」と祝賀の嵐だった。政府は、マレコン近くのアパートをララの家族に与えた。

リングでは北京オリンピックの準備で、相手を次々に倒していった。

ララ
「誰にでも勝てる気分でした。時には酒に酔ったまま試合をしたこともありましたが問題ありませんでした。」

一方で、名声を得たにも関わらずララはキューバでのボクシングライフにうんざりしていた。政府はファイターに年間51週間の過酷なトレーニングを義務づけている(1年は52週間!)が、祝賀を除いては実質的な利点は何もなかった。2006年初頭、ララはパーティーで出会ったガールフレンドとの間に長男のエリスランディジュニアをもうけたが、他のボクサー同様、子供を育てるために十分な食料を確保する事さえ困難だった。

チームがパンアメリカン大会に向けてブラジルに遠征した2007年7月までに、ララは亡命を計画していた。有名なチームメイトが既に亡命を成功させていた。前年の12月にヤン・バルテレミとユリオルキス・ガンボアはベネズエラで金メダルを換金し、ドイツに亡命していた。

ララはチームメイトをリオデジャネイロに残すことは本望ではなかったという。今でなく、その年の後半にシカゴに亡命する計画だった。

提案

2007年7月21日リオデジャネイロ。

ララとリコンドーは葉巻を吸おうとリオのホテルを抜け出し通りを歩いた。
ベネズエラでガンボアとバルテレミーの亡命を手助けしたドイツのプロモーター、アフメド・オナー率いる男性グループが近づいてきた。ララはオナーが待っているとは知らなかったと誓う。

ララ
「彼らは我々のホテルを狙い撃ちしていたのでしょう。」

オナーはララとリゴンドーを食事に誘った。彼らは受け入れたがララはその夜の亡命については真剣に考えていなかった。

ララ
「年末にシカゴに亡命する計画があり、そっちの方が簡単だったとおもう。」

キューバからの移民はアメリカに着けば強制送還される可能性が低いと考えていた。

しかし、その場でララとリゴンドーはオナーの提案に同意した。彼らはドイツに向けて出発するまで安全な家に隠れていた。午前5時、酒を飲んでほろ酔い気分だった二人は今日の体重計にはのらない事を確信した。

ララ
「私たちはもともとその時の亡命を計画していませんでした。けれどそれが最良の提案のように感じてしまいました。」

オナーは彼らをほぼ3週間隠し、ドイツに送ろうと計画した。しかし計画は挫折した。特に、ブラジル軍事警察がキューバの行方不明のボクサーの捜索に協力したのが大きな誤算だった。2人の顔は、新聞の見出しや空港に貼られた。彼らの亡命のニュースがマイアミにまで流れた。8月3日、マイアミヘラルド(マイアミの新聞)はフィデル・カストロのコラムを、彼らの亡命記事に書き換えた。

もうリオデジャネイロは包囲されていた。ララとリゴンドーは公衆電話で警察を呼んだ。ブラジル人が彼らを拾い、ホテルに連れて行き、カストロのプライベートジェットでキューバに送られた。

ララ
「政府は私たちを裏切り者と言い、もう二度とボクシングジムに足を踏み入れることはできないと告げました。私たちはもはや彼らにとって何の価値もなくなりました。彼らは私たちを脇に追い出しました。」

ほんの3週間前まで、ララはキューバで最も有名なアスリートの一人であり、伝説のオリンピック代表チームのキャプテンだった。しかし今、ララはハバナ郊外のマリアナオにあるガールフレンドの小さなアパートに追放された。

何か月もの間、ララの周囲は再びアメリカに逃げろと言い続けてきたが、ララはただ惰眠を貪り、酒を飲んで過ごした。新たな人生に満足しているふりをした。

ララ
「私が彼らに逃げたいと言ったら、彼らが第一通報者になるでしょう。」

ガールフレンドのミリータ・タバレスだけが、ララの本心を知っていた。
彼女は出ていかないでくれと懇願した。彼女は2人目を妊娠していた。2007年後半、彼女はララの次男、ロバーランディを出産した。

ララ
「彼女は私がキューバに留まり、家庭を築いてくれることを願っていた。しかし真実は、キューバにいる私たちの家族に未来はありませんでした。私に未来はありませんでした。」

2008年1月、ララはロバーランディを腕に抱きしめ、乳児の柔らかな頬にキスをした。それから妻のタバレスにキスをし、ラム酒を買うために角の店に行くと告げた。バイク、パスポート、着ている服と5ペソの紙幣を除いて全てのものを置き去りにした。

淀んだ夜の川までバイクで走ると、数ブロック歩いてララは暗流に飛び込んだ。小さな島まで泳ぎ、そこに停泊したスピードボードに横たわる。何十人もの脱走者を乗せてボートは出発した。

12時間後、ボートは危険な雷雨の湾を横切り、メキシコに入った。

Vol.3に続く

孤独なサクセスストーリー/ギジェルモ・リゴンドーVol.2

ギジェルモ・リゴンドーのアメリカへの逃走はさながら映画のようなストーリーで進んでいく。 この記事が気に入ったらいいね ! しようシェアするツイートするTwitter で Follow pukubox

アマではデメトリアス・アンドラーデを筆頭にほとんど勝利しているララにも国内に強力な先輩がいた。

ロレンゾ・アラゴン
超強力なトップアマでこの記事の前のオリンピック、1996年アトランタでは、フェザー級でメイウェザーに11-12で敗れている。だからメイウェザーすごいと言えるくらいの巨人だった。キューバには代わりになる選手がたくさんいるから、平気でリゴンドーやララ、ビネント(誘われただけで亡命してないのに)を裏切り者と捨て去ってしまう。

記者が違うのでノリも違いますが、ララにも重厚なストーリーがありました。
キューバには亡命者を追放はしても、亡命を手引きする者に対する措置はないのだろうか?
リゴンドーの件と合わせて読むと、私たち日本人でも亡命マフィアになれそうな気さえする。

本気の情熱と野心と資金と言語とコネやツテがないと無理だが。

キューバじゃなくてモンゴルでええや。
モンゴル語わかんねぇや。

最終回をお楽しみに・・・

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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