当時タイソンブームでバブルな日本でも試合をこなしたが、そのタイソンと戦わせるべく引っ張ってきたのが旧ソ連のアマチュアエリートたちだった。
ヘビー級に混じってユーリ、ナザロフ、ヤノフスキーがおこぼれ気味にくっついてたわけだがこの3人のパフォーマンスがまさに驚愕であった。
ナザロフはデビューからプロ向きであった。地響きが鳴るくらい強烈でえぐい左ボディーで余裕のKO
それから日本で微妙なキャリアを積むこととなり、世界戦は遠く南アフリカ、ディンガン・トベラを2度もくだし王者となった。
その後フランスに渡り、眼失の影響で伏兵にタイトル取られ、記録より記憶に残るボクサーとして静かにグラブを置いたが自分は一生忘れないだろう。
何でも試合中にメンディの指が目に入り見えなくなったようだ。
引退した今も網膜はく離の後遺症が見て取れる。
当時、獣のように強かったシェーン・モズリーや大人気のオスカー・デラホーヤにも勝てるのではないかとおもっていた。
アマチュアではジューと五分の星であったという。
しかし日本とフランスでのキャリアは主流から注目されるわけもなく、V2戦のジョーイ・ガマチェ戦の戦慄のKO勝利など、彼と戦うにはハイリスク、ローリターンすぎた。
そのスタイルは安定感抜群、練習のように軽いシャドーのような動きでリズムを作り、攻撃の際はパンチスピード、破壊力、角度のついたきれいなコンビネーション、心が折れる左ボディなどなど誰もが対戦を恐れるような風格ある鬼人のようなボクシングであった。モノが違いすぎる・・・文句のつけようのない大人のボクシング。
以前も書こうとしたがとにかく情報が少なく、映像はおろか写真すらもほとんどなく、心のレジェンドとしていたが、今のうちに残せるものは残しておこう。
超一流の素質を備えていながらもビッグマッチに恵まれず、静かにグローブを置くものもいる。
彼はロシアのハグラーになりえた巨人であった。
ロシアという国は広く民族も言葉も多様なようで実態を把握しずらい。ボクシングのプロモートなどどのようになっているのだろう。
自分のようなロシアボクサー好きにとり、突如出てきたバトルサイボーグ、ディミトリー・ピログの防衛戦の動向やサーシャの世界挑戦は気になって仕方がないがなかなかスムーズではないようだ。
ナザロフは今もボクシングに関わり、穏やかに平和に活躍してるようだ。
彼の記事を紹介する。
http://sport.akipress.org/news:26671/
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