アイデンティティー/アンドレイ・ミハイロヴィチとジェシー・ロドリゲス 他

しばらくビッグマッチは終わった、穏やかな時間かとおもいきや、マニアにとってはそうではありません。

ラモン・ローチVSフェアガル・マッコリー

Sフェザーで一番穴王者かなぁと感じるローチですが、防御に抜かりない負けにくいスタイルではある。そんな彼の初防衛戦は無名で知らないが16勝8KO無敗のアイリッシュ。まだチェックしていませんが侮れないかもしれません。

ファン・フランシスコ・エストラーダVSジェシー・ロドリゲス

直近に迫ってきました。なぜか皆、ジェシーが勝つことが当たり前のようになっています。彼は井上尚弥とのP4P対決を夢にみています。帝拳所属で日本が大好き、第二の故郷と言ってます。2階級ジャンプするならそれもいいじゃないかとおもいますし、新旧交代、エストラーダの時代が終わるならココかなともおもいますが、めちゃ手ごわい王者です。ジェシーが負ける可能性も大いにありえる。

ジェシー・ロドリゲスは天才だとおもいますが、パワー型ではないのでエストラーダは倒せない、となるとポイント、技術でどこまで差をつけるかだが、エストラーダの総合力は半端ないからな。

テオフィモ・ロペスVSスティーブ・クラゲット

こんな試合があることを知らなかった。スティーブ・クラゲットという選手は38勝26KO7敗2分というカナダの雑草キャリアで、テオフィモがこんな試合している場合かよと言いたくなるが、クラゲットの最後の敗北は3年前でそこから強者相手に全勝だから今伸びている選手なのかもしれない。

最近井上が表彰式だかで渡米した時に記念写真を撮ってもらったテオフィモさんだが、そこでは完全にただのファン、井上の方が偉大に映ったが、興味深いことも言っていた。

「クロフォードもカネロも井上も偉大だがもう30代だ。俺はまだ25歳だからこれからは俺の時代になる」

そうだ、まだこんなに若いんだもんな。かつてテオフィモはちょっと井上尚弥っぽいとおもっていた。パワー、爆発力、躍動感がすごかった。しかし最近は停滞気味。そしてやっぱり井上尚弥のファンだったのね。あのスタイルは無視できないですよね。

シャクール・スティーブンソンVSアルテム・ハルチュニャン

タンクを抜いてP4Pのトップになるためにはスティーブンソンはこんなところで負けていられない。相手はライアン・マーティンに敗れているのだ。しかしハルチュニャンは五輪メダリストのトップアマにして重厚なファイトをする。侮れない相手だ。シャクールも2試合連続で塩試合は出来ないはずだ。

井岡一翔VSフェルナンド・マルチネス

個人的には井岡はここで負けるとおもっている。これに勝ったら謝ります。マルチネスは突進、突貫ファイターだが、距離があっても意外と上手い。無駄なパンチを食わない。ジェシー・ロドリゲスはここでも勝った方と統一戦がしたいと言っていたが、やっぱりエストラーダに勝つのが既定路線になっている。大丈夫かい?

しかしマルチネスは遠くアルゼンチンからやってくる。もう出国してアメリカに到着したがビザの問題でアルゼンチンに逆戻り、もう一回出国し直すそうで、アウェーの苦労は不利に働くだろう。

ジャロン・エニスVSダビッド・アバネシャン

個人的にはエニスがP4Pの2位なので、クロフォードが倒したアバネシャンをそれ以上に圧倒して欲しいがアバネシャンは狂犬のようなファイトをする。タンクだシャクールだと言ってもエニス越えは出来ないとおもっていたりするのだ。

ジャニベク・アリムハヌリVSアンドレイ・ミハイロヴィチ

この記事を書いたのはこれが書きたかったのだ。アリムハヌリは知名度よりは素晴らしい王者で、今不毛のミドル級ナンバーワンの世界王者だとおもうが、打たれて強い方ではないだろう。極度に打たれることを嫌う。

アンドレイ・ミハイロヴィチという選手が面白くて、この名前でニュージーランドの選手です。

ミハイロヴィッチは、ラスベガスのきらびやかな光とはかけ離れた世界で人生をスタートさせた。1997 年、ソ連崩壊後のロシアのサンクトペテルブルクで生まれ、赤ん坊のときに双子の兄弟ニコライとともに孤児院に送られ、養子に出された。ニュージーランドの夫婦、マルセルとパウラドリセンが彼らを養子にした。

ミハイロヴィチ
「私が生まれたとき、母親にまったく必要とされず、望まれもしなかった赤ちゃんだったんです。
ソ連崩壊後、母親が子どもに食事を与えることができなかったり、その他のことも理解できます。経緯は詳しく知りませんが、私はまったくの無一文から生まれたんですよ。生まれて最初の18ヶ月間は全く愛されませんでした。もちろん、孤児院などで世話をしてくれた人たちはいましたが、ここから今まで、私は自分が何者であるかを見つけなければならない旅をしてきました。

これが本当の自分だと言ってくれる人がいなかった。私は自己開示の旅をしなければならなかった。自分が誰なのか、自分の好きなところを忘れてしまった。だから私が勝ったとき、人々は『どうやってそんなことをしたの?』と驚くんだ。でも信じてくれ、私が人生で戦ってきた戦いは36分よりもずっと大きなものなんだ。

これまでの人生で経験した苦難、感じた痛み、浮き沈み、そういったことすべて、私にとっては今日もただの一日なんだ。

まず、ジャニベクをとても尊敬している。彼は素晴らしいファイターだ。素晴らしいサウスポーだと思うし、アマチュアとしての経験も豊富だし、世界チャンピオンになったのには理由がある。私はもっと努力して、細部まで気を配り、24時間365日、非常に集中していなければならない。けれど準備はできている。最高の気分だ。最高だ、生きている実感がある、今が私の瞬間、これが私の運命だ。このために何年もトレーニングしてきた。もし私が戦うために作られた街があるとしたら、それはラスベガスだろう。

これは単なるチェスのゲームであり、チェックメイトを達成した人が勝者です。」

ミハイロヴィッチが現在の地位にたどり着くまでには、波乱万丈の道のりがあった。アイデンティティーに関する疑問は、どこにいても彼を悩ませてきた。キャリアのある時期、彼は「反逆者」として知られていた。また別の時期、彼は「ロシアン」と呼ばれていた。

彼は今、自分自身に満足している。

「反逆者」は私の人生の一時期だった。「ロシアン」も私の人生の一時期だ。でも今はただアンドレイ・ミハイロヴィチと呼んでくれればいい」

強い王者相手にやる気に満ちています。

ニュージーランドでボクシングはあまり聞いたことがなく、ジャニベクの精巧なスタイルに及ぶべくもないですが、喧嘩上等、気持ちのこもった熱いファイトをします。

映画さながら、だから私はどん底から這い上がったアンドレイ・ミハイロヴィチを応援しています。

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