流星のリアル/長谷川穂積

書き終えてどんなタイトルにしようかなと迷った長谷川穂積、彼もまた内山と同じ、「日本の至宝、世界の損失」ではあっても海外進出を待望された時代というわけでもなかった、時代は急速に移り変わる。流星でぴったりだ。私にとっては・・・

長谷川穂積は2000年代半ばから後半にかけて最高のバンタム級ファイターだった。日本のサウスポーは5年間の在位でWBCバンタム級王座を10度防衛した。タイトルを失った後はフェザー級に上げ、短い期間だが王座にも就いた。

長谷川は5人兄弟の上から2番目で父親の影響で小学2年生でボクシングを始めたが、中学校で一旦ボクシングを辞め17歳になってから再開した。

1999年にプロに転向するも、最初は3勝2敗というスタートだった。しかしその後8連勝しOPBFバンタム級王者で経験豊富なジェス・マーカを破る。この王座を3度防衛し2005年春、WBC長期王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーションに挑戦した。

https://www.youtube.com/watch?v=mZ3sYwuK_KI

長谷川
「自分のボクサー人生で最高の瞬間はウィラポンに勝って世界王者になった時です。」

15度目の防衛戦だった安定王者を下した長谷川は1度の防衛を挟んでウィラポンと再戦、タイの伝説の王者を9回KOで破り、絶対王者を継承する男として成長をみせた。

初期の長谷川はアウトボクサー寄りでメキシコのベテラン、ヘナロ・ガルシアや未来のフェザー級王者シンペウェ・ベチェカを判定で退けたが、防衛とともにノックアウトアーティストに変身し、王者として最後の5人を4回以内に連続KOで破った。

2010年春、長谷川は事実上の統一戦(WBOは認可されていなかった)でWBO王者フェルナンド・モンティエルと対戦。4回終了間際の一発で長谷川はモンティエルにストップされるも、その時点までポイントでリードしていた。

https://www.youtube.com/watch?v=4pKo4u8d-a4

引退も示唆される中、空位のフェザー級王座をファン・カルロス・ブルゴスと決定戦を行い、2階級制覇を達成。母親をガンで亡くしたばかりの長谷川にとってそれは嬉しくて切ない想い出となった。

長谷川
「自分の最高のパフォーマンスがこの試合です。試合の一か月前に母親が亡くなったので特に想い出に残る試合になりました。」

しかし初防衛戦でハードパンチャーのジョニー・ゴンザレスに敗れ、王座を陥落、フェザー級は長谷川には大きすぎた。

その後4連勝し一階級下げてIBFスーパーバンタム級王者のキコ・マルチネスに挑戦。ストップされる7回まで僅かにポイントリードしていたが、ハードチャージを続けるマルチネスのパワーに屈した。

35歳の長谷川は日本のボクシング界で4度もMVPに輝いたヒーローだ。その後2戦勝利しWBCスーパーバンタム級王者のウーゴ・ルイスに挑戦、9回TKOで3階級制覇を達成した。

https://www.youtube.com/watch?v=4qYLFjpxvd4

長谷川
「素晴らしい王者に挑戦できて光栄です。ベストを尽くして戦います。どのクラスでもかまいませんが、スーパーバンタム級は特にコンディションがいいので、最高のパフォーマンスを発揮できます。これが自分のラストチャンスです。人生で悔いを残さぬため、最高のトレーニングをしてこの試合に備えます。」

王者のまま引退した長谷川は神戸に住み、妻と2人の子供と暮らしている。子供たちと卓球などを楽しんでいる。日本のマエストロには「意志道拓」という自伝も出版されている。

10のカテゴリで長谷川にライバルたちの話を聞いた。

ベストジャブ ウィラポン・ナコンルアンプロモーション

ノーモーションの右ストレートをジャブのように打ってくる。ゴルフや野球のバックスイングのように打つ前に腕を引きながら。特にサウスポーには有効でまるでストレートがジャブのようでした。

ベストディフェンス フェルナンド・モンティエル

パンチを当てるのが難しかった。私のパンチはほとんど避けられました。

ベストチン ファン・カルロス・ブルゴス

バンタム級で戦ってきた相手と違って頑丈で階級の壁を痛感しました。当時の私にはタフな相手でした。

ハンドスピード フェルナンド・モンティエル

彼のノーモーションのパンチを避けるのは大変でした。彼の場合は腕を引く動作もないパンチでした。パンチするための初動がなにもないんです。全く動作なく放たれる彼のパンチは巧みでした。

フットワーク シンペウェ・ベチェカ

足が速くて距離をキープするのが上手かったです。距離があるから私のパンチは当たらない。でも彼のジャブは当たるんです。

スマート ウィラポン・ナコンルアンプロモーション

キャリアの長い名王者でムエタイの実績も豊富でした。このキャリアの賜物で右のタイミングが抜群でした。自分のパンチを当てる術を心得ているんです。彼はボクシングに精通していました。

ストロング キコ・マルチネス

とてもパワフルで突進力があった。プレッシャーがきつかった。苦しい接近戦を強いられました。

ベストパンチャー ジョニー・ゴンザレス

とてもハードパンチャーでした。他のファイターに比べればスピードはないのですが彼の左フックは突如私の顔の右に着弾しました。組み立てが上手くそのパンチを外しても次のパンチでノックアウトされていたでしょう。

ベストスキル フェルナンド・モンティエル

彼のスキルが私が経験した中では最高でした。スパーリングと同じように、目、足、身体を使って細かくてナチュラルなフェイントが出来る。よほどの経験がないとできない芸当でした。

総合 ウィラポン・ナコンルアンプロモーション

私は結果的には彼に2度勝ちました。ウィラポンは長期防衛の名王者でした。オーソドックスだろうがサウスポーだろうが、とても熟練の技を持っていました。名人芸でした。世界王者なのにジムに住み込みしていたウィラポンはいつもハングリーで戦う準備が出来ていました。そんな彼を人として尊敬しています。

今まで書かなかったのではなく書けなかった一人、長谷川穂積・・・2000年代半ばから、日本ボクシングを支え続けた絶対的エース、彼だけが日本の誇りだった時期もあった。リアルという冠のTV中継は長谷川のボクシングだけがホンモノなんだという暗喩でもある。

生観戦したフェルナンド・モンティエル戦は個人的に生涯一張りつめた試合。あれで防衛記録も緊張の糸も全て切れてしまったが、清々しい珠玉の試合でした。

その後、減量苦から解放されて3階級を制覇するも、数々の感動、ドラマはあれどもう以前の長谷川ではなかった。それだけモンティエルとの試合で切れたもの、失った何かが大きかったのだろう。

それでも、あの長谷川の輝きよもう一度と最後まで応援し続け、偉大な記録を見届けることになるのだが、なかなか書けなかったのは、ブルゴスにはジョニゴン、ウーゴ・ルイスにはレイ・バルガスという指名挑戦者がおり、それを押しのけての挑戦と戴冠だったこと、勝利のまま引退したが、最後にレイ・バルガスまで引き受けて欲しかったというのがある。

ノックアウトアーティストに変身と書かれているが、あれはまさに開眼、スピード、感覚、タイミング、全てが研ぎ澄まされて生まれた芸術だったのだろう、タイミングの妙技といえるものでフェザー級をも倒すパワーというのとは違ったが、あの妙技の味が抜けず階級上では苦戦した。ドネアもモンティエルもリコンドーも苦労した壁、このあたりに何かがあるのだろうか。

日本だけでそのキャリアの全てを終えた長谷川、本人は強く海外を志向していたが当時の地方ジムの状況では仕方がない面もあった。海外識者がYoutubeで長谷川の試合をみて大騒ぎしていたほどの無視のできないバンタム級だった。

全盛期であればレジェンドクラスでさえ名勝負になったであろう、日出づる国の流星のごときボクシング。

若き日本ボクシング界の担い手として、未来のボクシングを牽引する優秀なビジネスマンになっていただきたい。

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コメント一覧
  1. 山中や長谷川みたいにバンタムだと海外行くよりも日本のテレビ局で試合組んだ方がファイトマネーも高いですからね。
    アメリカでもバンタムは不人気階級なので。
    なぜSバンタムの西岡が海外進出できたかというと、日本ではwowow放送中心で地上波すら無い不人気王者だったので海外で試合しても日本で試合してもあんまりファイトマネーやスポンサー収入が変わらないって背景もあったんですよね。

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  2. TVとの契約があると海外に行きにくいのではないのでしょうか?
    日本によくあるお世話になったというような義理や人情は
    チャレンジには邪魔だと思います。
    井上尚弥さんや村田諒太さんも日本で試合をすることにこだわってたらチャンスを逃す。
    全部海外でやるっていう覚悟がないと山中さんや長谷川さんのように後悔?する。

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  3. 2006年
    ・「いずれは海外で試合がしたい。ボクシングの本場であるラスベガスでできれば」(「ラスベガス行く行く詐欺」の始まり)
    ・ラファエル・マルケスを対戦相手に指名(売名行為にビックネームを使った「強豪とやるやる詐欺」の始まり)

    2007年
    ・ホルヘ・アルセにオファーするが長谷川には勝てないと断られる(嘘くさい・・)
    ・本田「相手が誰でもいいなら(海外での試合は)すぐ決まる。どうせなら、強い方がいい」(嘘乙未だに海外で試合していません)
    ・「海外で強い相手と戦いたい。ボクシング界のイチローになりたい」(嘘乙、海外で試合する気ないくせに)
    ・イスラエル・バスケスを対戦指名(「強豪とやるやる詐欺」)

    2008年
    ・対戦候補、ホルヘ・アルセ、クリスチャン・ミハエル、階級を上げてイスラエル・バスケス(「強豪とやるやる詐欺」)
    ・ホルヘ・アルセとアレクサンデル・ムニョスにオファーを出す(嘘くさい・・)

    2009年
    ・ビック・ダルチニアンからオファーが届く(でも逃亡)
    ・「一番やりたいのはクリス・ジョン、プーンサワットもいい」(また口だけ)
    ・「クリス・ジョン、ユリオルキス・ガンボア、プーンサワット・クラティンデーンジムの順に興味がある」(いつも通り口だけ)

    2010年
    ・長谷川「(プーンサワットには)むっちゃ強い勝ち方をしてほしい。倒しがいがある」 → 試合後「(プーンサワットは)まあまあ強かった」とあまり関心を示さず、山下会長「WBC裏切れない」(また逃亡)

    2011年
    ・長谷川「クリス・ジョンなら60%勝てる、ユリオルキス・ガンボアなら60%勝てる、エリオ・ロハスなら70%勝てる、ファン・マヌエル・ロペスなら50%勝てる。」(はぁ?モンティエル、ジョニゴン程度に負けてるのに自信だけは凄いね )
    ・ドネアvsモンティエルの試合後、「勝敗は予想通り、モンティエルはスキがある、再戦すれば勝つ自信がある」(完敗してるのにこの言いぐさ、口だけ)
    ・「(ジョニゴンは)もう全盛期過ぎたでしょ。ビデオも見ていない。ごちそうさまって感じ。」(結果4ラウンドKO負け、口だけ)

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    • 人間には陽と陰の部分もあるし、思っても叶わないこともあると思います。

      出来てない部分をあげつらうのは簡単です。

      匿名さんは長谷川選手みたいに努力したり、何かを成し遂げたり、大勢の人を感動させたことがありますか?

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  4. 素人なのでテクニック云々はわかりませんが、ブルゴス戦とルイス戦は気持ちが伝わってきて感動しました。

    ブルゴス戦はもう判定でも勝てるだろうに最後まで倒しに行ったところ、ルイス戦はロープ際での攻防。

    よく一緒にキャンプしてた粟生選手はもう引退したのでしょうか?

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  5. 私もそのように感じてました。バンタム級で連続防衛をしていた頃は、本当に無敵感満載でした。でも、連続防衛更新中のリングで何かを拾い、その後の早いラウンドにKO防衛を続けた頃に何かを失くしてしまった感じがしてました。

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  6. 長谷川にせよ山中にせよ、長期KO防衛を重ねる中で失われていくものも多かったように感じます。

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  7. ジョニゴンへの潔い賞賛が読めてよかった。
    うろ憶えですが、たしか敗戦直後は相手の実力より自分の精神的な問題だとか言い訳じみたコメントしていて、その点が少し引っかかっていたので。

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  8. 徳山からは逃げてないよ。長谷川とやりたければ挑戦状ではなくバンタム級に転級すればいいだけ。
    ヤップ、バルガスにしても無理にやる相手ではない。

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  9. バンタムでKO連発していた時よりも、Sバンタム、フェザーで無冠戦やってた頃の相手の方が強かった。日本ではそれなりに強い奴を選んで調整していたとおもう。

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  10. 村田に無視された石田の如く、徳山は無駄に強敵でしたからね、売り出し始めに戦うには避けたい気持は解らないでも無いです…

    ただ、後にKO魔と変貌した長谷川には、もう勝てないと徳山自身がコメントしてましたね。

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  11. 長谷川はT拳拾われてなきゃ、こんなに防衛出来てない。徳山やヤップ、バルガスから逃げたという臆病なイメージですかね。千里馬時代のスタイルは好きでした。

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  12. モンティエルには勝てなかったのか、
    足を踏まれての攻撃でなければこの後どうなっていたのか、ずっと気になっています。

    実力が拮抗しているビッグマッチは大抵判定までいくことが多いので、
    出た結果が実力だとも思いますが。
    もし勝っていたら対ドネアで長谷川がモンティエルになっていたかもしれませんし、
    結局なるべくしてですかね。

    そして井上がドネアと対戦することになるのか、ボクシングは面白いですね。

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