パーネル・ウィテカー永遠なれ!最高の相棒/ジェームス・バディ・マクガート

ウィテカーの急逝を受けて、多くの偉大なボクサーからの追悼メッセージをみかけましたが、ここではそのカウンターパートとして、ウィテカーも高く評価していたバディ・マクガートを紹介し彼とウィテカーの偉大さを再確認したい。

みんなバディと呼ぶが、本名はジェームス・ウォルター・マクガートであり、Buddyはニックネームだ。そして、そのルーツは知らないが(Buddy=兄弟、相棒)という意味なので、ウィテカーの好敵手、相棒として、現在トレーナーとしても優秀なバディを紹介する。

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ジェームス・バディ・マクガートは1980年代から90年代初頭に2階級制覇した世界王者だ。80戦を超えるプロキャリアを通じて当時最高のファイター達と戦いを繰り広げてきた。そして今や世界的なトレーナーとして名を馳せている。

1964年1月17日、ニューヨークのロングアイランドの町、ブレントウッドで生まれたマクガートは6人兄弟の一人で両親は既に別居していた。兄がストリートの誘惑、特に悪名の高かったLa Placitaショッピングセンターからマクガートを遠ざけてくれた。

マクガート
「みんなそこにたむろしていました。ポン引き、ドラッグの売人・・・もし私がそこにいたなら兄は2分きっかりでそこを離れろと言いました。私はバイクに乗ってすぐ言いつけを守りました。」

マクガートは優れたアマチュアボクサーであり、学業にも熱心だった。高校を卒業して大学でビジネスを専攻するつもりだったが、計画を変更せざるをえない事が起こった。

マクガート
「ガールフレンドが妊娠してしまったんだ。だからすぐにプロになって稼がなければならなくなった。一晩で大金持ちにね。(笑)」

マクガートは54勝9敗というアマチュア記録を残し1982年の3月にプロに転向した。デビュー戦を引き分けた後、28連勝し、当時無敗のフランキー・ウォーレンに挑むも10回判定で敗れた。

https://www.youtube.com/watch?v=lewRt-NPF0w

先行き不明のまま、若きマクガートはスキルを磨き続け、18か月後にその後5戦し未だ無敗のウォーレンと空位のIBFジュニアウェルター級王座をかけて再戦、12回1分32秒TKO勝ちで王座獲得に成功した。

https://www.youtube.com/watch?v=o8iy3fkixuc

マクガートの2度の防衛戦はいずれもオリンピック金メダリストが相手だった。

1988年7月31日、モントリオールオリンピックライト級金メダリストハワード・デービス・ジュニアと対戦し初回2分45秒KO勝ち。
1988年9月3日、メルドリック・テーラーと対戦し12回2分TKO負けで2度目の防衛に失敗し王座から陥落。

巧妙なボクサーパンチャーであるマクガートは敗北を糧にしぶとくキャリアを継続し3年間、16試合勝ち続け、WBCウェルター級王者のサイモン・ブラウンへの挑戦を手に入れた。

1991年11月29日、WBC世界ウェルター級王者サイモン・ブラウンと対戦し12回3-0(119-108、2者が117-110)の判定勝ちで2階級制覇に成功。

マクガート
「その戦いで私はある種のゾーンに入っていました。ブラウンがどんなに強くパワフルでもあの夜は関係なかった。みんな私のベストパフォーマンスはサイモン・ブラウン戦だと言うけど、自分ではフランキー・ウォーレンに雪辱した試合がベストだ。」

元WBA世界スーパーライト級王者でモスクワ五輪ライトウェルター級金メダルのパトリツィオ・オリバ(当時57勝1敗)を含む3度の防衛に成功したマクガートのキャリアはピークに達していたが、運悪く、史上最高傑作の一人、パーネル・ウィテカーと運命を交差することとなる。さらにはウィテカーとの試合前に左回旋腱板を負傷しユナニマス判定(111-117、113-115、114-115)で敗れた。

その後18か月で5連勝しウィテカーとの再戦のチャンスを掴むも返り討ちにあい(110-117、113-117、112-118)王座奪還ならず。

気まぐれなニューヨーカーはその後も数年間ボクシングを続けたが、もう二度とタイトルを争うことはなかった。33歳でダーレン・マキウンスキーと対戦し10回0-3(91-100、94-99、94-95)の判定負けを最後に現役を引退。

73勝48KO6敗1分という優れた記録を残した。

多くのファイターと違い、マクガートは自分の未来を設計していた。それは彼が長い間準備していたものだった。

マクガート
「1976年1月17日、私の12歳の誕生日にボクシングを始めたんだけど、まさにその翌日にはファイターではなくトレーナーになりたいとおもったんだ。プロキャリアの中頃には試合をしながらアマチュアボクサーを指導していた。」

1996年、翌年引退することになるマクガートはトレーナーになる序曲を作り始めていた。アントニオ・ターバー、バーノン・フォレスト、ポール・マリナッジ、アルツロ・ガッティらの背後で彼らを支えた。

ターバーがロイ・ジョーンズJrを破った夜、ガッティVSウォードの3戦目、最近ではセルゲイ・コバレフがエレイダー・アルバレスに雪辱した試合のセコンドには彼がいた。

マクガート
「ガッティVSウォードのトリロジーは、ファンの狂乱で悪寒がしたよ。あれはやばかったなぁ。」

現在55歳になるマクガートは結婚生活30年、8人の子供がいる。フロリダのベロビーチに住み、ボクシングのトレーナーをしている。

10のカテゴリ別で偉大なライバルたちについて丁寧に答えてくれた。

ベストジャブ パット・コールマン

2人いる。パット・コールマンとサウール・マンビーだ。マンビーのジャブは厄介だった。経験豊富で様々な角度からジャブを入れてきた。コールマンは突き刺すようなジャブだった。鋭くて前に出れず、どうしたらいいか悩まされた。一人に絞ればコールマンだな。

ベストディフェンス パーネル・ウィテカー

パーネルはナチュラルなディフェンス能力を持っていてそれをジョージ・ベントンが鍛えてさらに昇華させたんだ。誰が相手でもパーネルにパンチを当てるのは困難だった。パーネルはどこにも逃げず、目の前に立って相手を欺くんだ。ナチュラルな本能でパンチを避けて襲い掛かってくるんだ。

ハンドスピード メルドリック・テーラー

テーラーは決してベストなディフェンスを持っていなかったけどハンドスピードがものすごくて、パンチの嵐に取り囲まれたような気持ちになったよ。

フットワーク パーネル・ウィテカー

興味深い質問だね。フランキー・ウォーレンはプレス型のファイターだったけどインサイドワークの脚は素晴らしかった。接近戦で角度を変えて有効打を打ち込んでくる。バランスが完璧だった。パーネルはそんなに動き回らないんだ。目の前に立って、相手を打ち気にさせる。でもそこからの彼のサウスポースタンスは驚異的だった。そのポジションから回り込んで滑らかに移動する。同じ場所でパンチを受け流し、攻撃できる。彼のバランス感覚は素晴らしかった。彼はそれを完璧にやってのけた。

ベストチン フランキー・ウォーレン

再戦で私は皆をノックアウトできるようなパンチを打ち込んだ。何度も彼をぶっ飛ばしたんだ。でも彼はどこにも行かなかった。ダウンを奪ってもケロッと立ってきた。悪夢のような奴だった。実際、試合が終わって2か月も奴が夢に現れたよ。

スマート サウール・マンビー

とてもトリッキーなファイターだった。いい右を当ててマンビーの膝が揺れたから私は倒しにいった。私が最初に彼をノックアウトする男になるんだと。私が右を放った瞬間、左レバーを食らった。あんな強烈なレバーは今まで一度も受けたことはない。クリンチにいった時、マンビーは「若造、ゆっくり行こうぜ」と囁いた。

https://www.youtube.com/watch?v=7UxkWw4qTWk

屈強 フランキー・ウォーレン

フランキー・ウォーレンとビンセント・レールフォードだな。一人にするならフランキー・ウォーレンだ。彼は小さく強靭な肉体で元フットボールプレーヤーだった。まるで2人を同時に相手しているようだった。

ベストパンチャー ビンセント・レールフォード

彼はパンチが強かった。左右両方とも強かった。彼の強烈なボディを鼻腔で感じた。でもダウンはしなかった。トニー・バルタザール戦でダウンをした。7回に渡って自分がどこで誰と戦っているのかわからなくなった。ふと気づくと9ラウンドでマネージャーに聞いたんだ。俺はどうやって9ラウンドまで来たのかって。すると今まで通りでいい。すべきことをしろと言われた。何だって?ボクシングを続けろ。ダウンを食ってから毎ラウンドとっていたようなんだけど、今になっても何も思い出せないんだ。

https://www.youtube.com/watch?v=jEO2XLLqh4I

ベストスキル パーネル・ウィテカー

パーネルと言わねばならない。メルドリック・テーラーも巧かったけど彼にパンチを当てることはできた。でもパーネルは巧い上にパンチが当たらない。

総合 パーネル・ウィテカー

パーネルだね、信じられないかもしれないけど彼は大変なボディパンチャーだった。俺が保証する。パーネル・ウィテカーこそベストだ。

73勝48KO6敗1分

すさまじい戦績だ。私がボクシングにハマりだした頃にチラホラ聞いた名前であったが、その試合を、存在を良く知らなかった。すごい戦績の選手がいるなぁ、風貌はハグラーのようだなぁ、ああいうやばいファイターなんだろうなぁくらいであり、ミドル級やそれ以上の大きな男を想像していた。それが身長169センチのスーパーライト級、ウェルター級の王者だったとは随分後になって知った。

トレーナーとして優秀なように、恵まれた生活環境でなくとも紳士でインテリ、知的な面がみえるインタビューだ。セルゲイ・コバレフはマクガートから去って負けて出戻りしてリベンジを果たした。やはりボクシングに関する秘伝の奥義をこの男は超一流の選手としてもトレーナーとしても確実に持っているのだろう。

彼の試合は改めてじっくり堪能させていただくとして、やはりウィテカーは自分で言っていたように

惑星一のディフェンスマスターであり驚愕のボディパンチャーであった事を相棒がちゃんと保証している。

相棒はウィテカーの分までしっかりとあのミラクルなテクニックを未来のボクシングに受け継いでいく。

友よ安らかに眠れ・・・

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