明日も本場は元気なボクシングウィークですが、メンツは少し地味です。それぞれの選手にとって負けられない、大事なターニングポイントではあります。メインはラモン・ピーターソンVSセルゲイ・リピネッツ。ウェルター級では2番手レベルを突破するのはどっちだろうか、特にピーターソンにとっては年齢的にも最終章です。スペンス戦の敗北を糧にできるか、そして弟のアンソニーも最激戦区のスーパーライト級ですが、一度くらい世界戦をしてもいい戦績です。
古い記事ですが、そんなピーターソン兄弟に敬意を込めて・・・
クブラト・プーレフVSボグダン・ディヌ
ジェシー・マグダレノVSリコ・ラモス
チャーリー・エドワーズVSアンヘル・モレノ
レイモンド・ピーターソンVSセルゲイ・リピネッツ
アンソニー・ピーターソンVSアルヘニス・メンデス
アリ・アクメドフVSマリオ・ラモス
ちょっといい話なんで紹介。美談も人生の不公平もそんなの関係なく決着するのがボクシングの残酷な魅力ですが・・・
親がおらず、時にホームレスであったピーターソン兄弟は、そのような過酷な経験がボクシングにプラスであったと考えています。
ラモン
「生き残るための術を学びました。鍵のかかっていない車やバス、公園のベンチで眠るところを確保しました。車の窓を洗ったり、スリをしたり、盗んだバイクを売ったりして金を稼いだり、何をしてでも生きてきました。」スペンスのような優れた相手に勝つには、スリだけじゃなく、走っている車のホイールを盗むくらい難しい事かもしれない。ピーターソン兄弟にとっては、それらサバイバルよりはスペンスと戦う方がまだ楽であるのかもしれません。不幸な人生は障害ではなく、数奇な道を経て、アドバンテージとして働くと言います。
ラモン
「捉え方次第です。状況がどうあれ、始まりが最悪でも、調整し変更し、解決の仕方を学びました。私と弟は悪の道に迷い込みそうでしたが、克服して何かをすることができました。それは人生のリングと同じです。
スタートがどん底でも、戦いが終わったわけじゃないのです。」
確かに、ピーターソンは前向きだ。刑務所に父親がいて、母親が世話できなくなって放棄されたにもかかわらず、ラモンとアンソニーはワシントンDCの通りに住んでいる間、前向きであり続けた。
ラモン
「子供だったから、子供らしく楽しまないはずがありません。8歳から10歳の頃を想像してください。規則も夜間外出禁止令もありません。何を食べればいいか誰も教えてくれません。何をすべきか、いつ寝ればいいのかもわかりません。楽しむしかないでしょう。他の人生の選択肢が訪れるまで、それがどんなに過酷な事であるのかすらわかっていませんでした。」ラモンには今子供が2人いて、スペンス戦に勝利すれば生活水準もあがるでしょう。彼自身の数奇な経験が、お笑いのネタになって、アマチュアの子供たちに受ける事も彼の誇りになっています。
2011年、スペンスはオリンピックの準備で、ラモンはアミル・カーンと戦う準備で、スパーリングをする機会がありました。このスパーリングについてお互い多くを語りませんが、当時20歳のスペンスがラモンに強烈な印象を残したことは明らかです。
ラモン
「素晴らしいスパーリングでした。何度かスペンスの事が脳に焼き付いています。いい子でした。今でも仲良しです。そんなに会ったりはしませんが。スペンスの試合は全て見ています。スペンスの大ファンです。こんな舞台で戦える日がくるなんて光栄です。」そのような友好関係は、土曜の夜はきっぱりと捨て去ります。
ラモン
「友情とビジネスは区別する。これはビジネスです。」ボクシングであれ、ビジネスであれ、問題は突如、予期せぬ時に現れ、解決を迫ります。しばしその場で解決されるものです。
ラモン・ピーターソンは今、エロール・スペンスという大きな問題に直面しています。土曜の夜、住む家も、金も、親もいなかったワシントンDCの子供がそうしてきたように、彼はあらゆる解決策を持って臨みます。
ラモン
「人生で起きた問題は全て克服してきました。この試合だって同じです。」
これは絶対感動的な試合になるだろう。
試合後の両者の抱擁まで見逃せない。