ミスターオネスティ/(チカニート)ヘナロ・エルナンデス

ヘナロ・エルナンデスは次元の違う強さで左手一本で日本期待のホープを涼しく潰していったが、その絶望的までに大きく強力なファイトに反しとても優しい紳士だった。

スーパーフェザー級2団体の王者チカニート(チカニート)ヘナロ・エルナンデスがカリフォルニア州のミッションビエホにある自宅で死んだ。発症率が極めて低いとされる癌の一種「横紋筋肉腫」に侵され3年間、2011年6月7日家族に囲まれ静かに息をひきとった。45歳だった。

1984年から1998年までプロとして戦ったエルナンデスは、リトルメキシカンと呼ばれ、ファンに愛され、カリフォルニア州イングルウッドのグレートウェスタンフォーラムで定期的に戦ってきた。

1966年5月10日に住民が今でも南中部ロサンゼルスと呼んでいる場所で生まれたが、その無名の地域は後に南ロサンゼルスと改名された。父親のロドルフォはメキシコの脅威として名を馳せたプロボクサーだったが、本業は靴職人だった。

ロドルフォは治安の悪い地域で生きていくために、8歳でヘナロにボクシングを薦めた。兄のルディもウェルター級の優秀なボクサーだった。幼いころからボクシングに親しんだが、アマチュアボクシングでは4戦全敗だったという。

エルナンデスの誇りは、1991年にフランスに飛んで、後のWBO世界スーパーフェザー級王者のダニエル・ロンダ(フランス)とWBA世界スーパーフェザー級王座決定戦を行い、9回TKO勝ち、無敗のまま世界王座に就いた瞬間だ。

ルディ・エルナンデス(ヘナロの兄)
「ヘナロのベストファイトはフランスでの一戦だったと思います。ロンダを捕まえて倒すのは時間の問題だった。そして見事にやり遂げた。私はヘナロの兄であり、トレーナーであり、相談相手であり、マネージャー、友人だった。」

竹田益明、渡辺雄二を下すなどし日本でも活躍した。3度目の防衛に成功した渡辺戦では試合後、リング上で悔し涙を流す渡辺に優しい言葉を掛け慰め、インタビューでも「渡辺は気を落とさないで欲しい」と気遣いを見せた。

エルナンデスはこのタイトルを8度防衛し、念願のビッグチャンスを掴んだ。ライト級に階級を上げて、1995年、ラスベガスのシーザーズパレスの屋外ホールでWBO世界ライト級王者オスカー・デ・ラ・ホーヤに挑戦。

同じカリフォルニア州出身でともに無敗という注目の対決となったが、6回終了後のインターバルで自ら棄権を申し入れTKO負け。2階級制覇はならず、プロ初黒星となる。

棄権したエルナンデスは厳しく批判され謝罪した。

エルナンデス
「申し訳ない。何があってもノーマスとだけは言いたくなかった。」

当時は誰も知らなかったが、エルナンデスの鼻は骨折していた。試合の一週間前にシェーン・モズリーとスパーリング中に骨折していた事実を隠していた。デ・ラ・ホーヤのパンチによってさらに大きなダメージを負い限界だったのだ。

その後3試合を経て、スーパーフェザー級に戻しての世界再挑戦。WBC世界スーパーフェザー級王者アズマー・ネルソン(ガーナ)に挑み、2-1(116-114、118-110、114-115)12回判定勝ち。1年9か月ぶりの世界王座返り咲きを果たした。

https://www.youtube.com/watch?v=9l7gx806ELU

勝利よりもエルナンデスが試合で魅せたファイティングスピリットを覚えておいて欲しい。

7回終了のゴングが鳴った直後にファウルパンチを受け、しばらく起き上がれなくなるほどの深刻なダメージを負った。試合続行不可能をアピールすれば勝利は確実だったが、エルナンデスは自ら続行を志願。その後は苦戦を強いられた。試合後、そのことについて尋ねられたエルナンデスは「ネルソンのことは尊敬しているし、何より自分はこの競技に誇りを持っている」と答えた。デ・ラ・ホーヤ戦での棄権の苦い想い出が失格勝ちを拒否した。

ネルソン戦をはじめ、エルナンデスのキャリア後半の試合をプロモートし、癌との闘いでも多くの支援をしてきたボブ・アラムは語る。

ボブ・アラム
「(チカニート)エルナンデスは愛すべき素敵な男だった。ボクシングを心からリスペクトしていた。ネルソン戦のアクシデントを覚えています。ダウンしたままで勝つことができる(失格勝ち)状況だった。でもそんな勝ち方はしたくなかったんだ。彼は勇敢で偉大なナイスガイでした。」

3度の防衛に成功したエルナンデスは若きフロイド・メイウェザー・ジュニアと対戦。8回終了TKO負けを喫し、王座陥落。その年の12月に血栓と軟骨の破裂があることがわかり、この試合を最後に引退した。

その後もトップランクの興行で解説者としてボクシングに関わり続けた。

ボブ・アラム
「解説者としてもとても聡明で的確でした。リングの中で起きていることがとてもよく理解できていました。本当に素晴らしい人物でした。癌に冒されたあとも勇敢に病気と戦い、癌に打ち克ってきました。長きにわたり本当に頑張った。熱いハートの持ち主です。」

エルナンデスが最後に解説した試合は2010年12月のウンベルト・ソトVSウルバノ・アンティロン戦のペイパービューだった。

ボブ・アラム
「あれが最後の仕事でした。彼は試合をとても楽しんでいました。我々はみんな彼のことが愛しいです。」

ヘルナンデスは2008年に「横紋筋肉腫」が発覚した。通常は小児にみられる極めて発症率が低いとされる癌で、骨に付着している筋肉繊維に影響を与える。懸命の治療により、いったんは寛解(快復)したものの、その後再発した。

ルディ・エルナンデスは、ヘナロはまだリングでポテンシャルを100%発揮していなかったと冗談交じりで語った。

ルディ・エルナンデス
「ヘナロは時に相手を傷つけ過ぎず安全に戦うことを好みました。自分のスキルを披露するだけで十分だったのです。必要に応じてコントロールしていました。物事を簡単に処理する(勝つ)方法を身に着けていた。けれど彼はボクシングに対してはとても献身的でいつも100%のコンディションを整えていました。試合の予定がなくてもいつもジムに残っていました。土曜日にアズマー・ネルソンと戦った時も火曜日にはジムに戻っていました。」

母親は既に他界しているが、妻のリリアナ、3人の息子と2人の娘、父親のロドルフォ、兄のルディを残し天国に旅立った。

38勝17KO2敗1分

どうしてこんなナイスガイに神は試練を与えるのだろうか。
エルナンデスの癌は「横紋筋肉腫」という極めて発症率が低い特殊なもので手の施しようがなかったものとおもわれる。

結局は日本人が敵うわけがない超一流の本格的な世界王者であり

オスカー・デ・ラ・ホーヤとフロイド・メイウェザー・ジュニア、2人のスーパースターにしか負けなかった。2人にとってもエルナンデスは大きな試練で、勝って歓喜の涙を浮かべるほどだった。

それでも当時の私には、エルナンデスが実力負けしたというより、これからの若き才能に道を譲ったように感じる試合だった。

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コメント一覧
  1. 非常に強かった選手でした。
    メイウェザーとアラムのエピソードは素晴らしいですね。

    ライバルとされたマクラレンの治療費を負担したジョーンズを思い出す。

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  2. デラホーヤですらピークだったS・Feのヘナロを避けてましたからね。

    崔龍洙も畑山もヘナロの返上のタイミングを見計らってたような気がします。

    崔は地球の裏側まで出張って無敗のビクトル・ウーゴ・パスと、ヘナロの返上したタイトルの決定戦を制して戴冠したので立派ですが。

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  3. ジュー戦は忘れたけど、デラホーヤ戦はデラホーヤは試合終盤には顔を腫らしてたし
    手も足も出なかったわけじゃないよ>ゴンザレス

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  4. デラホーヤやメイウェザーのような歴史に残るスーパーボクサーよりワンランク下の実力者だったね

    晩節も汚さなかったし  

    普通のランカーには勝てるけど、デラホーヤ ジューに手も足も出なかったミゲルアンヘルゴンサレスに近いイメージ

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  5. 結局は日本人が敵うわけがない超一流の本格的な世界王者

    当時の状況ならそうだったでしょうね。
    今はアマチュア上がりの選手も多いし少し状況が変わってきているような気もします。
    日本はこれからでしょう。ただその前にプロボクシングそのものがヤバそうだけど。

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  6. はなそらさんに賛同です!!ボクシング愛とボクサーに尊敬ですよね。まぁ、人それぞれには、色んな意見が有りますから、それはそれで、私には新鮮で、ありがたいアドバイスが多いです。本当に当時は、日本の期待の星が、子ども扱いでしたから。私には二人の豪打、渡辺さんと坂本さんがダブッてしまいます

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  7. 僕は管理人さんの表現方法は好きですけどね。
    時にドラマティックに、ときに冷静に客観的に。いずれのケースでもボクシング愛を感じます。
    ボクシングへの愛とボクサーへの尊敬がなければ、このような記事をたくさん提供する熱意は続かないでしょう。
    それによって僕らは楽しませていただいています。無料で(笑)。

    結局は日本人が敵うわけがない超一流の本格的な世界王者であり……

    あれだけのスター候補で破竹の勢いだった豪打の渡辺が、本物の技術とインテリジェンスの前に敗れ去る切なさみたいなもの。僕はこの一文からそれを感じましたけどね。

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  8. 無駄な挑戦をした「竹田益明、渡辺雄二」が愚か

    と言われても仕方ないんじゃないか。
    完敗だったし、勝てる(特に渡辺は)気満々でフジテレビもノリノリだった。

    で、あの完敗では観る目がなさすぎとしか・・・

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    • そう考えるとやっぱ亀田1は"観る目"だけは超一流でしたね

      ポンサクレックも河野も無駄な挑戦ではなかった

      想定以上に本人が弱かった所為で負けたけど、勝てない相手ではなかったと思います

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  9. 「結局は日本人が敵うわけがない」
    この言葉を一々付ける必要があるのかが疑問です
    「超一流の本格的な世界王者であり」
    だけで十分で他の意図があるようにしか思えません

    無駄な挑戦をした「竹田益明、渡辺雄二」が愚かと言ってる様に思える
    結局は世の中ローリスク・ハイリターンが利口で出来ない奴は駄目ってことですね

    亀田の様にテレビと組んで出来るだけローリスク・ハイリターンを目指して
    複数階級制覇・海外試合・統一戦等で時折話題を作って大金を得るか
    山中、内山の様に一つの階級・一つの団体で自国に引き籠って国内スターが幸せでしょう
    口先で「統一戦」や「海外進出」って言ってさえいれば
    試合を組まないジムが悪いって日本で山中、内山は擁護してもらえましたから

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    • 何を言いたいのかわからないけど、批評家でもないんだしネチネチ持論を説くなら自分の場所で言えばとおもう。

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  10. ヘナロが横紋筋肉腫になったとわかると、メイウェザーはすぐさまボブ・アラムと協力して数億円とも言われる治療費のほとんどを何年にもわたって支援し続けました
    しかも自分の悪役のイメージを壊されたくないメイウェザーは匿名で寄付しており、ヘナロの葬儀代も全額負担しました
    金の亡者と言われる2人もなんだかんだ言って悪人ではなく、そしてヘナロが愛すべき人間だったということです

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  11. 当時の日本のホープでKOキングの渡辺さんを左一本で翻弄しましたからね。うろ覚えですが、TV観戦で、リングに向かう渡辺さんが、やけに満面の笑みでしたから、度胸あるなと、これは期待が出来ると観てましたが、エルナンデスに一蹴されましたもんね。世界は強いと思いました。

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