あまり本気で詳しくは調べられませんでしたが、デビュー戦で八重樫に負け、その後も日本人を中心に1勝3敗2KO負け1分という戦績からP4Pトップのロマゴンを破ったシンデレラボーイ、シーサケットについて気になっていたので記録しておきます。
日本人は皆、ロマゴンが好きで初戦もロマゴンの勝ち、9月の再戦はきっと雪辱するとおもっているでしょう。自分もロマゴン優位かなと感じている一人ですが、彼にも肩入れしたい気持ちがあります。勝ち逃げではなく堂々リマッチを受ける姿勢も素晴らしいです。
シーサケット・ソールンビサイ
43勝39KO4敗1分
タイのシーサケット県出身なのでそんなリングネームであり
本名はウィサクシル・ワンゲクだとおもわれる。
デビュー時は
ウォーラウット・ウォーポーシサケット
シーサケット・シッサイトーン
佐藤洋太戦で
シーサケット・ソールンビサイ
というリングネームで戦った。
彼はタイのシーサケット県の非常に貧しい家庭から来て、わずか13歳のときに貧困から逃れるためにバンコクに移動しなければなりませんでした。生活費を稼ぐためにムエタイをはじめた。
同時に、デパートの警備員として一日60マイル(96キロ)歩いて勤務していたという。
職場のデパートのゴミ箱を漁って食べていた。
「良い日には5センチほど残ったラーメンのスープを、一緒にバンコクに来た彼女と分け合っていた」
ムエタイだけでは食えないので、ほんのこずかい稼ぎのためにボクシングにも手をだし、何も経験のない状態でバカげたハードマッチを組んでしまった。八重樫やその他選手に負けて1勝3敗2KO負け1分。唯一の勝利も同国のデビュー戦相手である。
このような戦績ではグローブを吊るすところだが、彼はそうしなかった。ボクシングの虫に刺され、これに集中しようと決めた。
その後、本腰を入れたボクシングで結果をだしはじめたのは記録の通り。
佐藤洋太が破ったスリヤン・ソールンビサイはジムメイトであり彼の後を追いかけるようなキャリアだった。スリヤンの雪辱を果たし世界王者になったシーサケット、その後、メキシコのクアドラスに敗れた。
彼はシーサケットの足が遅い事をついてきてポイントメイクのボクシングでベルトを奪ったが、展開的には微妙なものだった。
バッティングで勝ち逃げされたような試合であった。
ずっと欧米のボクシングファンには無視されてきたが、タイ人は彼のスタイルを好んだ。ゴロフキンのような派手なKOはできないが、シーサケットは破壊的でエキサイティングで根性があった。
ロマゴンの事は彼が10代で日本で戦っていた頃からみてきたそうです。
「自分と違って最初から特別な選手で国を代表する英雄、超エリートで尊敬もしているが、彼はスーパーフライの選手ではない。クアドラスとの戦いでそれを確信した。彼は勝ち、私は負けたが、クアドラスを痛めつけたのは私の方だから
再戦に向け、ロマゴンは最高の準備で来るだろうが臨むところだ。自分もハイレベルな環境でハードな練習をしている。」
だそうです。
真面目に調べたわけではないので、テキトウな感じですが、やはりメイウェザー、パッキャオが心の支えだったようです。何もなく貧しくとも大成功できるのがボクシングだと。
そしてやはり、ロマゴンとの試合はタイでは最も偉大な金字塔だそうで、かつてタイの選手がP4Pの選手と戦ったこと、破ったことは一度もないからだそうです。
ロマン・ゴンサレスを破った後の2017年3月、彼はシーサケット州で警察官に任命され、チャルマルカルナチャナ大学政治学部に入学した。
当時の日本ではイーグル、辻に敗れた八重樫の再起、自信回復のかませ扱いだったかもしれないシーサケット。
けれどシーサケット自身もボクシングの怖さも何も知らぬ状態で飛び込んだ世界、日本に行けばいくらやるというこずかい稼ぎが、八重樫のボクシングに触れ、その奥深さと可能性を見出していったのかもしれません。
チャンスがあればどこでも、誰が相手でも逃げない姿勢に敬意を表します。
シーサケットの奮闘に栄光あれ・・・
別れたんか知らんが一緒についてきた彼女にも・・・