いつも心に太陽を/エマニュエル・オーガスツ

たまに読むと明るくなれるから再アップ。メイウェザーは彼が一番難敵だったと褒めたたえているんですね。

今日は開き直って誰も知らないシリーズ。最後まで読めばきっと明るくなれる、勇気をもらえる、そんな素晴らしいストーリー。いつも陽気でポジティブな名脇役のゲートキーパーがいるからこそボクシングは魅力的であり続ける。

エマニュエル・オーガスツは世界タイトルを獲得したわけではないが、いつでも誰とでも戦うだろう。彼の熱いハートと独特で変わったスタイルは1990年代後半から2000年代前半にかけてカルト的な人気を博した。

1975年1月2日にイリノイ州シカゴで生まれたオーガスツの名前はエマニュエル・バートンだったが、両親の結婚で父親の姓のオーガスツに変わった。

彼が3歳の時、育児放棄で児童養護施設に預けられ、里親を転々として育った。
法律すれすれの人生を経てオーガスツは偶然ボクシングに出会った。

オーガスツ
「これで刑務所に行かずに喧嘩ができるとおもいました。私は殴り合いが好きでした。」

17歳の時アマチュアの試合に出て25戦ほどこなしローカルタイトルを手に入れたが、1992年の五輪予選で敗北した。

1994年7月にプロに転向したオーガスツはジェリー・クーパー相手に判定勝ちでデビュー。

しかし彼のキャリアを管理してくれるマネージャーはおらず、オーガスツは相手の名前など気にせず戦った。何の予備知識もなくヘスス・チャベスやイバン・ロビンソン、ディオベリス・ウルタドなど後のトップクラスらといきなり拳を交えたりした。それでもオーガスツはウィルフレド・ネグロン(12勝1敗)やデビッド・トレド(25勝1敗)、フレディ・ラッド(45勝1敗)らを番狂わせで破ったりして意外な能力を発揮した。

ラッド戦後のオーガスツの戦績は14勝6KO12敗3分、決して正確に彼の実力を反映したものではなかった。

けれど甘くはなかった。オーガスツはデンマークに出向き、セーレン・ソンダーガード(38勝1敗)と引き分け、イギリスのジョン・サクストン(16勝3敗)に勝ったりしたが、再びデンマークでアラン・ベスター(10勝無敗)と対戦しキャリアではじめてノックアウト負けをした。アメリカに戻ってもテレル・フィンガー(21勝無敗)にKO勝ちしたり相変わらずの意外性を発揮したがその後はいつものように敗北が続いた。

2000年10月、WBOジュニアライト級王者のフロイド・メイウェザーの相手に選ばれたた時、オーガスツの凸凹のキャリアは報われた。

https://www.youtube.com/watch?v=dr2cNU5Y9l4

この試合はノンタイトルで行われたがオーガスツは大健闘した。しかしメイウェザーとの実力差は大きく試合は9回に止められた。翌夏、オーガスツはタフなミッキー・ウォードとその年のファイトオブジイヤーに選出されるほどの激闘を演じたが勝利したのはウォードだった。

オーガスツの予測不可能でおおらかな性格は、人々に"Drunken Master=ドランクモンキー 酔拳"と呼ばれ親しまれた。

モーバント(オーガスツの25年に渡る親友)
「オーガスツは決して試合を断らない。突然のオファーでさえも。そして誰と戦うのかも気にしない。フロイド・メイウェザーやミッキー・ウォードと戦う時でさえ、オーガスツは相手の事など知らないんだ。みんなが必死にボクサーの研究をしている時でも彼はビデオゲームをしていた。とても陽気な男で他のボクサーとは全然違う面白い奴さ。当時でもフロイドがどんな奴なのか、ミッキー・ウォードが誰なのかみんな知っていた。エマニュエル以外はみんな。エマニュエルは「来週の金曜日に試合をするんだ」とだけ言い、「相手は誰なんだ」と聞くと言う。「分かんない(笑)」

オーガスツは戦い続け、勝ったり負けたりを繰り返しながらレバンダー・ジョンソン(31勝3敗)と引き分けたり、カルロス・ビルチェス(37勝1敗)をTKOで下したり、相変わらずの奇想天外な活躍をみせた。2000年代後半にオーストラリアに移住したがうまくなじめずホームに戻ってきた。

オーガスツは最高のゲートキーパーだった。
キャリア最後に4連敗して引退したが、4人みんな無敗のプロスペクトだった。

Wale Omotoso
Ruslan Provodnikov
Charles Hatley
Vernon Paris

2011年、無敗のバーノン・パリスに僅差の判定負けを喫し現役を引退した。

生涯戦績
38勝20KO34敗6分

翌年、パウンドフォーパウンドのフロイドメイウェザーはインタビューでオーガスツを改めて賞賛したことで再び再評価された。

2014年10月13日、ルイジアナ州バトンルージュでオーガスツは頭部を銃で撃たれ脳腫脹で10日間昏睡状態を彷徨った。栄養チューブ、酸素チューブを入れられた状態で言語障害のリハビリ施設に移送され、聴覚障害、複視、脳卒中など様々な損傷を負ったが順調に回復した。

親友のモーバントはいつもオーガスツの傍らで世話をした。

モーバント(オーガスツの25年に渡る親友)
「オーガスツは何よりもリングに上がる機会を逃したことを悔やみ、チャンスがあれば再び戦おうとするでしょう。彼はいつも私に感謝の気持ちを伝え、俺に何か恩返しできることはないかと聞いてきます。でも実際は私の方が彼に恩があるような気がします。言い訳など決して言わない、自ら犠牲になって危険なファイトに飛び込んでいく、そんなオーガスツから多くのインスピレーションをもらいました。彼の生き方は私の人生の鏡です。彼のモットー「Don’t talk about it, be about it=話ばかりしないでやればいいんだ」は私をいつもポジティブにしてくれます。」

現在44歳のオーガスツはドロシーという女性と婚約しており、以前の関係から2人の子供がいる。バトンルージュに住みながらビデオゲームをしたりジムに通ったりしている。

戦ってきた相手について

ベストジャブ オマール・ウェイス

あらゆる角度からジャブが出てきた。その上スピードもパワーもあった。バックステップしながらジャブを使うのが巧かった。私は彼のジャブに対処できなかった。

ベストディフェンス フロイド・メイウェザー

ジャブとフットワーク、ボディワーク、ショルダーロール、全てが巧くてパンチを当てるのが難しかった。だから私は肘や肩や腕を打つしかなかった。

ハンドスピード フロイド・メイウェザー

パワーが不足していた分、スピードでそれを補った。彼からみればみんなスローモーションにみえただろう。

フットワーク フロイド・メイウェザー

私はただ彼の胸に頭をつけて殴りたかっただけです。でも彼はキレ者で機敏に動いたりのけぞったりしてその機会すら与えてくれないのです。

スマート ウォール・オモトソ

右の打ち方をラウンド毎に変えてくるんだ。ちょっとした奴だった。右を当てるために左を多用してくる。でも彼は俺のクラス(体重)ではなかったな。

屈強 ルスラン・プロボドニコフ

オーマイゴッド!奴は強かった。俺に触れる全てのパンチが痛かった。彼に合わせることさえできなかった。俺が打ったパンチでさえその手が痛かった。

ベストチン ミッキー・ウォード

打っても打っても前進し続けてきた。あのファイトは楽しかった。私はハードパンチャーとは認識されてないけど、彼を十分痛めつけることができなかった。正々堂々ガチンコで殴り合ったよ。

ベストパンチャー ルスラン・プロボドニコフ

彼のパンチは全部痛かった。他の相手ならブロックしたり、ミスを誘ったりできるけど彼のパンチには悪意が宿っていた。ジャブさえ痛かった。

ベストスキル フロイド・メイウェザー

私は彼のスタイルは好きじゃない。でも彼は自分のすべき事をした。一発のパワーがない代わりに、抜群の反射神経でハンドスピード、フットワーク、ディフェンス、コンビネーションを磨いたんだ。

総合 フロイド・メイウェザー

こういう答えをしたくなかった。私は彼を特別だなんておもっていなかった。140ポンドで再戦がしたいくらいだ。すべきことをしたと言う意味で評価している。ビッグパンチャーでなかった事が彼を偉大にしたんだ。ジャブ、スピード、フットワーク、ディフェンス、カウンター、距離のコントロール複合的なものを磨きに磨いて偉大な存在になったんだ。

育児放棄され、里親を転々としてきた人生でも、こんなにポジティブで陽気でいられる人がいる。
自分の不幸を呪い真逆の方向に向かう人間も多い中、これもひとつの大きな才能だ。

オーガスツならではの陽気で愉快なインタビューだが、素朴だからこその鋭い視点もあり

やっぱりプロボドニコフは恐ろしい奴だったんだな。
やっぱりメイウェザーはパンチは軽かったのだ、だから別の武器を究極に磨き上げたんだ

というのが浮き彫りになった。

人生はコメディ
こういう友人がいるといいですね。

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