ハットンに関しては様々な情報や思い入れがあるだろうが、一度整理しておくことにする。
リッキー・ハットンは2009年にキャリアを終えたが(2012年に復帰してビチェスラフ・センチェンコに負け)マニー・パッキャオに強烈に倒された試合の印象が鮮烈だ。しかし彼自身は2階級制覇の超一流王者だった。
WBA世界スーパーライト級スーパー王者、IBF世界スーパーライト級王座を2回、WBA世界ウェルター級王座を1回獲得。ファイティングスピリットに溢れた突進力と回転の速い連打とボディブローが持ち味で、猛然と相手を打ち倒すことからThe Hitman(殺し屋)の異名を持っている。
私生活は大変不摂生として知られ、ギネスビールとフィッシュ・アンド・チップスが好物であるため毎試合約20ポンド減量しており、試合のない日は度々太った体で公の場に顔を出していてファンの間ではリッキー・ファットンというあだ名がついた。
リチャード・"リッキー"・ハットンは1978年にストックポートに生まれた。
父と祖父はロッチデールAFCに所属していた元サッカー選手だった。ハットンもユースチームの入団試験を受けたことがある。アマチュアとしてのボクシング歴はそれほど長くなく15歳ぐらいから本格的にボクシングを始めた。実家がカーペット内装業を営んでいたことから職人を目指すが、カッターナイフで一度に4本の指を切ったことがあるほど不器用だったため販売員に転職する。しかしこちらでも仕入れ値で販売してしまうなど商才は発揮できなかった。ボクサーとしては2000年代前半にスーパーライト級を席巻し2005年6月4日、当時長期療養後ではあったがIBF世界スーパーライト級暫定王者のシャンバ・ミッチェルを苦もなくKOで下し、同階級で最強と目されていたIBF世界スーパーライト級王者コンスタンチン・チュー(ロシア)を執拗なボディ攻めで11回終了後TKO(チューの試合放棄)で破り王座を獲得。
この試合は「リッキー・ハットン」の名を一躍世界中のボクシングファンに轟かせ、英国内での彼の人気を不動のものにした。
2006年、ウェルター級への転向を目指し王座を返上。
2006年5月13日、WBA世界ウェルター級王者ルイス・コラーゾ(アメリカ)に12回判定勝ちを収めデビュー以来の無敗記録を41戦に伸ばすと共に王座獲得に成功。しかし、階級を上げての出来は決して良いものではなく、すぐに同王座を返上し階級を元のスーパーライト級に戻すことを発表した。
2007年1月20日、IBF世界スーパーライト級王者ファン・ウランゴ(コロンビア)を判定で破り王座の獲得に成功し同時にIBO世界スーパーライト級王座獲得に成功。
2007年2月に、同年7月に既に予定されたホセ・ルイス・カスティージョとのビッグマッチを優先させるため、IBF世界スーパーライト級王座の指名挑戦者との指名試合を拒否し、2月10日にIBFから王座を剥奪された。同王座は指名挑戦者だったラブモア・ヌドゥが戴冠した。
6月23日に実施されたホセ・ルイス・カスティージョ(メキシコ)との対戦はブルファイター同士の対決ということもあり激戦が期待されたが、一方的な内容で4回2分16秒KO勝ちを収めWBCインナーナショナルスーパーライト級王座獲得とIBO王座の初防衛に成功。
2007年にフロイド・メイウェザーと戦うまでのハットンの戦績は43勝31KO無敗というものだった。
イギリスで大人気のハットンはほとんどの試合を地元でこなしたが、ついに2007年12月8日にMGMグランド・ガーデン・アリーナでWBC世界ウェルター級王者フロイド・メイウェザー・ジュニア(アメリカ)と対戦。中量級の無敗のスーパースター同士の大一番であったが、メイウェザーの高度なテクニックと異次元のスピードについていけず10回TKO負け。キャリア初黒星となった。
https://www.youtube.com/watch?v=6AxZewEw7eQ
それでもハットンの歩みは止まらない。
2008年5月24日、イギリス・ランカシャーシティ・オブ・マンチェスター・スタジアムでフアン・ラスカーノ(メキシコ)と対戦し、ジャッジ2者がフルマークを付ける12回3-0(120-110、118-110、120-108)圧勝でIBO王座の2度目の防衛に成功するとともにプロ初黒星を喫して以来の再起戦を飾った。
2008年11月22日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでポール・マリナッジ(アメリカ)と対戦し、11回TKO勝ちを収めIBO王座3度目の防衛に成功。
2009年5月2日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでマニー・パッキャオ(フィリピン)と対戦。1回に2度のダウンを喫したのち、2回終盤にパッキャオの左フックで失神させられ、2回2分59秒KO負けを喫しIBO王座から陥落。ボクシング界を揺るがす衝撃のノックアウトシーンを残してハットンのキャリアは終わった。
https://www.youtube.com/watch?v=Jmo9MmAV-2Q
2010年9月12日、ハットンがコカインを吸引をしている姿がスクープとして新聞の一面を飾り、英国ボクシング統制委員会によりボクサーライセンスを剥奪された。
しかし2012年にライセンスの再交付が認められることとなり現役復帰を宣言する。
2012年11月24日、地元イギリスのランカシャー州マンチェスターにて約3年半ぶりの復帰戦として、ウェルター級10回戦で元WBA世界ウェルター級王者ビチェスラフ・センチェンコ(ウクライナ)と対戦。ポイントではリードするものの、9回KO負けを喫し復帰戦を白星で飾ることはできず、試合後に改めて現役引退を表明した。
リッキー・ハットンのキャリアは最高の瞬間、最悪の瞬間の激しいコントラストに満ち溢れていた。
通算戦績:45勝32KO3敗
ハットンが想い出す、最高のファイターは次のとおり。
ベストボクサー フロイド・メイウェザー
テクニックで言えば彼はとても優秀だった。ディフェンシブなアウトボクシング、アクセルを踏む瞬間の選択が上手い。ディフェンスに関しては彼は本当に天才だった。
ベストパンチャー マニー・パッキャオ
パッキャオと言わねばならないね。階級を上げれば上げるほど彼は強くなっていった気がする。
ベストディフェンス メイウェザー
さっき言った通りさ。
ハンドスピード メイウェザー
フロイドは非常に速かった。パッキャオも非常に速かったが、実際にパッキャオを知る前に倒されてしまった。だからフロイドだね。
フットワーク
フロイドの脚は速い。でも彼はリングに足をしっかりつけて戦う。それが彼の自然なディフェンススタンスなんだ。だからパッキャオの方がよく動いて速かったね。
ベストチン コンスタンチン・ジュー
ベストショットを何度当てても屈することなく立ち向かってきた。彼を倒すためにかなり苦労した。
屈強 ジュー
ファン・ウランゴもものすごく強靭な男だったけど、スピードがなかった。彼はただただ強靭だった。
スマート メイウェザー
間違いなく彼だ。
総合 パッキャオ
パッキャオだ。サウスポーでスピード豊かでとてもパンチが激しい。フロイドも素晴らしかったけど、想い出すほどパッキャオだなと感じるよ。そしてコンスタンチン・ジューも恐ろしいほどのパンチャーだった。
https://www.youtube.com/watch?v=Q6BBRNVlbyQ
コンスタンチン・ジューを破ったのはあれがジューの晩年で、人生の究極のタイミングだったとおもいたい。(ユーリが負けたのと同じく)かなりラフでダーティーな試合だったが、ハットンは間違いなく特別な王者だった。殿堂入りするだろう。しかし気持ちとタフネスの塊のようなハットンだけに、パッキャオに完璧に失神させられたのが鮮烈だった。
減量や激闘のツケがたまっていたのか、あれだけ完璧なパッキャオのパフォーマンス、パンチを食らえば誰だって意識を失うだろう。我慢の限界を遥かに超えた、ボクシング史上究極のノックアウト劇だった。