日本ボクシングの暗黒時代、寡黙に駆け抜けたレパード(豹)がいた。
レパード玉熊は今や多くのボクシングサイトで見かける名前ではない。それは、玉熊が本名でなくリングネームで戦っていた事、日本ボクシングの低迷期に活躍した世界王者だった事などがある。玉熊は1980年代から90年代初頭に世界王者不在の日本に明るい光を灯した。
筋金入りのファンは彼を忘れない。
1964年、青森県青森市で生まれた玉熊は青森商業高等学校で、当初体操部に入部しようと部室を訪れたが誰も居らず、隣のボクシング部から声を掛けられ入部。当初は右のオーソドックススタイルだったが、1年の秋監督のアドバイスにより、サウスポーに転向。2年の春季大会では、県モスキート級チャンピオンとなり頭角を現す。3年時はインターハイ・ライトフライ級準優勝した。
右効きのサウスポーである事が彼の強さの秘訣であり、右のリードブローが多彩で、ディフェンスでも右のカバーリングが巧みだった。
顎の脆さをカバーするため、顔を打たれないよう顔面のみの防御に集中し、ボディを打たれても効かないくらいまで徹底的に鍛え上げた。長身で手足が長いが、アウトボクシングではなく接近戦を得意にし、至近距離で相手のパンチをガードしながら効果的にボディブローやカウンター攻撃をする。日本王座を獲得した試合では、ボディを打たれるたびにわざと苦しそうに唸り、相手の意識をボディに集中させるなど、頭脳的なボクサーだった。
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