自分が苦しい時は相手も苦しい/レパード玉熊(玉熊 幸人)
AOMORI, JAPAN - DECEMBER 06: Champion Leopard Tamakuma (L) of Japan connects his right on challenger Jesus Rojas (R) of Venezuela during their WBA Flyweight Title Bout at Aomori City Gymnasium on December 6, 1990 in Aomori, Japan. (Photo by The Asahi Shimbun via Getty Images)

日本ボクシングの暗黒時代、寡黙に駆け抜けたレパード(豹)がいた。

レパード玉熊は今や多くのボクシングサイトで見かける名前ではない。それは、玉熊が本名でなくリングネームで戦っていた事、日本ボクシングの低迷期に活躍した世界王者だった事などがある。玉熊は1980年代から90年代初頭に世界王者不在の日本に明るい光を灯した。

筋金入りのファンは彼を忘れない。

1964年、青森県青森市で生まれた玉熊は青森商業高等学校で、当初体操部に入部しようと部室を訪れたが誰も居らず、隣のボクシング部から声を掛けられ入部。当初は右のオーソドックススタイルだったが、1年の秋監督のアドバイスにより、サウスポーに転向。2年の春季大会では、県モスキート級チャンピオンとなり頭角を現す。3年時はインターハイ・ライトフライ級準優勝した。

右効きのサウスポーである事が彼の強さの秘訣であり、右のリードブローが多彩で、ディフェンスでも右のカバーリングが巧みだった。

顎の脆さをカバーするため、顔を打たれないよう顔面のみの防御に集中し、ボディを打たれても効かないくらいまで徹底的に鍛え上げた。長身で手足が長いが、アウトボクシングではなく接近戦を得意にし、至近距離で相手のパンチをガードしながら効果的にボディブローやカウンター攻撃をする。日本王座を獲得した試合では、ボディを打たれるたびにわざと苦しそうに唸り、相手の意識をボディに集中させるなど、頭脳的なボクサーだった。

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