階級別 ライトフライ レジェンド

100万ドルのゴーン・ベイビー・ゴーン/(チキータ)ウンベルト・ゴンザレス

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ウンベルト・ゴンザレスとマイケル・カルバハルこそが正しくミリオンダラーベイビーであり、軽量級ではじめて100万ドルを超えるファイトマネーとなったビッグネームだ。王者になる前から無冠の帝王と言われ、その名に恥じぬ通りアジア最強であった張正九もあっさり下し、この階級もアジアを超えていくのかと無力感に襲われた。

アメリカのハンサムな五輪メダリスト、マイケル・カルバハルの登場と出会いの幸運が彼らを一躍ドル箱スターにしたのであり、リカルド・リぺスやユーリ・アルバチャコフとの交差があれば違う衝撃がみれたはずだと今でもおもう。永遠のライバル、才能だけでは掴めない栄光を掴んだ2人。

ゴンザレス
「メキシコ州のネツァワルコトヨルというとても貧しくて危険な街で育ちました。でも穏やかに何も問題を起こさず過ごしました。父が私に、街にはギャングがいるが敬意を払っておけばいい。決して一緒に行動したり友達になってはいけないと言われていたから。

父もボクシング経験者だったので自然とボクシングをはじめた。多くの試合を父と観戦した。ピピノ・クエバス、彼がヒーローでした。父はジムに連れて行ってくれました。」

小さなメキシコの少年は水浴びするアヒルのようにボクシングに励んだ。29のアマチュアの試合全てに勝ち、メキシカンゴールデングローブで優勝した。

1984年プロになり19連勝を記録、ナショナルタイトルを獲得し2度の防衛に成功した。

1989年6月25日、25戦目で世界初挑戦。敵地でWBC世界ライトフライ級王者李烈雨(韓国)に挑み、12回判定勝ち。無敗の世界王者に輝いた。

ゴンザレス
「はじめて世界王者になったこの試合が最大の勝利です。韓国まで旅をしました。とても長い旅でした。私はアンダードッグだった。最初の世界タイトル、それは特別なものです。」(アンダードッグではなかったとおもう。)

12月9日の初防衛戦では前年まで同級王座を15度防衛した後の殿堂入り王者張正九(韓国)と対戦し、12回判定勝ち。その後、防衛回数を5まで伸ばす。

1990年12月19日、6度目の防衛戦でローランド・パスクア(フィリピン)と対戦。前評判では圧倒的に有利とされたが、まさかの6回KO負けを喫し王座陥落。プロ初黒星を喫してしまう。

ゴンザレス
「自信過剰だった。パスクアを簡単な相手だと舐めていました。以前の戦いのように動けず、パスクアを簡単に倒すとおもっていたら倒されてしまった。再戦がしたかったが残念ながらパスクアは初防衛に失敗した。」

パスクアを降してWBC世界ライトフライ級王座に就いた同国人メルチョ・コブ・カストロに挑み、12回判定勝ち。1年半ぶりの世界王座返り咲きを果たす。

「仲間のカストロではなくパスクアと戦いたかった。その方がファイトマネーもよかっただろう。しかしパスクアに勝つために一生懸命トレーニングしたのが功を奏した。」

1992年9月14日の3度目の防衛戦では元WBC世界ミニマム級王者のナパ・キャットワンチャイ(タイ)を2回KOに降し、2階級制覇を阻止。続く12月7日の4度目の防衛戦では前王者カストロを12回判定に降し、返り討ちを果たす。

1993年3月13日、5度目の防衛戦はIBF世界ライトフライ級王者マイケル・カルバハル(米国)との王座統一戦(カルバハルにとっては7度目の防衛戦)カルバハルは27戦全勝を記録していた。序盤にIBF王者から2度のダウンを奪い、王座奪取目前にまで迫ったが、迎えた7回、相手の強烈なアッパーからの攻勢を許し、よもやの大逆転KO負け。2度目の世界王座陥落となった。

人気者同士の統一戦はライトフライ級としては前代未聞の100万ドルのファイトマネーが保証された。

ゴンザレス
「カルバハルはトップクラスの男だったので準備は万端だった。2度彼を倒すことができたけど疲れてしまった。最後はフックで倒されました。」

その後、ゴンザレスは有名なナチョ・ベリスタインに師事を仰ぎ、再戦に備えた。

ゴンザレス
「カルバハルは私のファイトスタイルを熟知していたからそれを利用することにした。」

11か月の時を経て1994年2月19日、雪辱を期しカルバハルと再戦。前回同様、今回も打ち合いが予想されたが、前回と戦法を変え、今度はアウトボクシングに徹する。その結果、統一王者の強打を空転させ、結果2-1の判定勝ち。11ヵ月前の雪辱を果たすと同時にWBC王座3度目の獲得。さらに、IBF王座も初めて獲得した。カルバハルとは11月12日の2度目の防衛戦でも対戦し、12回判定勝ち。

ゴンザレス
「初戦で私が勝っていれば再戦はなかっただろうが、カルバハルが勝って誰もがリマッチを観たがっていた。戦術を変えました。学びは敗北にある。その敗北のおかげでリベンジと大きなファイトマネーをゲットできたんだ。カルバハルとの試合はとても慎重に戦った。彼の全ての特徴を知っていたからね。」

その後、3度目の防衛にも成功。

1995年7月15日、4度目の防衛戦。サマン・ソーチャトロン(タイ)と対戦。ゴンザレスが17-1で有利という試合だった。ダウン応酬の激戦となり、6回には挑戦者をKO寸前にまで陥れる(挑戦者はこの回終了後のインターバルでレフェリーから「次の回でストップする」と予告を受けた)しかし、迎えた7回、挑戦者の強打をまともに浴びダウン。辛くも立ち上がったが、挑戦者の連打でグロッキー状態となりレフェリーストップ。よもやの大逆転KO負けとなり、王座陥落。

ゴンザレス
「まさか負けるとはおもわなかった。キャリアで喫した負けは全て勝てたはずだった。あの試合は7回で終わると考え、よし打ち合おう、危険を冒そうとおもってしまったんだ。そしたら私が倒された。」

ゴンザレスは2度ファイトオブジイヤーにノミネートされているが、カルバハル初戦とサマン戦で2度とも敗者だった。

驚くことに29歳の若さでこの試合を最後にゴンザレスは引退した。
二度とリングに戻る事はなかった。

43勝30KO3敗、世界戦15勝3敗

ゴンザレス
「負けたら引退するプランだったんだ。家族に話すと準備できていないようだった。引退は予想外だったようだ。」

本来のプランは、勝って若い頃に自分の名前を刻んだ世界各国を巡りながら戦うことだった。

ゴンザレス
「キャリアを通じて、いつも自分がベストなんだと証明したかった。だからどこで試合をしようと構わなかった。ただ唯一、自分が最も偉大であることを証明したかった。だからライバルにはフォーカスしないんだ。ベストになることをフォーカスした。世界王者として誰も特別な思い入れのある相手はいません。」

しかしかつてのジムメイトであったリカルド・ロペスという宿題が残されていたはずだ。
(というリンクがあったがリンク切れ)

ゴンザレスは自身の引退を後悔していない。2006年には国際ボクシングの殿堂入りを果たした。同時期にライバルであったマイケル・カルバハルも殿堂入りし今では良好な関係を築いている。

ゴンザレス
「歴史に名を刻んだので殿堂入りは特別な想いです。説明できないほどの誇りです。ジュニアフライ級だったにも関わらず、歴史家は私が満たしたアリーナ、戦い、イベント、ペイパービューを高く評価してくれた。ありがたいことです。」

ゴンザレスは結婚して4人の子供がいる。メキシコシティで精肉店を3店舗経営している。時折カウンターの向こうにいることもある。パーティーイベントショップやフランチャイズカジノも経営している。自分のジムも開きたいと考えている。TVアステカのコメンテーターをしたり、メキシコのサッカーチーム、クラブアメリカの熱心なサポーターをしている。

ライバルについて

ベストジャブ マイケル・カルバハル

美しく正確なジャブを持っていた。リーチも長くて避けるのが大変だった。

ベストディフェンス マイケル・カルバハル

私が戦った中で最もいいディフェンスをしていた。こうやって(手真似をしながら)いつでも腕を上げていた。彼のディフェンスの構えを合図に私は動いていった。

ベストチン 張正九

彼は私を驚かせた男だ。勝利に十分なパワフルパンチを浴びせたけど彼は最後まで立っていた。

ハンドスピード ドミンゴ・ソーサ

ロスで戦った。彼は当時無敗だった。とても速くてスキルフルで多くの才能を秘めていた。

フットワーク サマン・ソーチャトロン

タイの男はよく動いた。たぶん私を恐れていたからあんなに動き回ったのだろう。パンチから逃げていた。だから足が速く感じた。

スマート サマン・ソーチャトロン

どのファイターにも独自の戦術があった。最後に戦って私を打ち負かしたタイ人には驚かされた。やりくり上手だ。いい戦術を持っていたんだろう。

屈強 マイケル・カルバハル

パワフルでハードでタフな相手だった。

ベストパンチャー マイケル・カルバハル

もっともビッグパンチャーだった。初戦の最初から打ち合った。それは戦争だった。誰よりもパンチが強かった。

ベストスキル マイケル・カルバハル

私は誰とでも戦った。みんな異なるスキルを持っていた。コロンビア人、ドミニカ人、キューバ人、みんなタフな相手だった。背が高い男、リーチのある男・・・タイや韓国や日本人とも戦った。彼らとの試合は楽しかった。みんな攻撃的だから、みんな勇敢に前に出てきた。でもマイケル・カルバハルがその全てを代表するな。

総合 マイケル・カルバハル

勇敢に打ち合い、リングを共有した。彼は全てできる男だった。彼との試合が最もタフだった。

今は肉屋とは減量苦からの解放か、風貌同様、ユニークな人柄に加えボケもあるのか、日本人とは戦っていない気がする。3度韓国人と戦っているがそのうちの一人を日本人と勘違いしているのかもしれない。李烈雨、張正九、金光善

金光善というのはソウル五輪金メダリストであり

わずかプロ5戦で1992年にWBC世界フライ級王者ウンベルト・ゴンザレスに挑戦。試合は終始リードしたが、12ラウンドにTKOで敗れた。1993年にはWBC・IBFフライ級王者マイケル・カルバハルに挑戦したが、7ラウンドTKOで敗れている。プロでは8戦6勝2敗の成績で引退した。

ゾウ・シミンより短くて過酷すぎるプロキャリアだ・・・

アジア人が6戦目でゴンザレスに勝ちかけていたのに・・・

根性とタフネスのアジア勢と違い、本場はやはり確かなる技術とKOパワーがあった。本場は違うと痛感させられた。日本ではナパ・キャットワンチャイが天敵くらいだったもんなぁ。

ウンベルト・ゴンザレスは王者になる前から大変な逸材と紹介され、方やロペスは大橋戦に向かうメキシコの空港で誰も取材に来なかったほど期待されていなかったと言われるが、観た印象は違った。ロペスの方が大きく精密、完成された芸術のようなボクサーだった。

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ゴンザレスは155センチとかなり小さな技術あるファイターで、あぁよく知らないがこれがルーベン・オリバレスに連なるメキシコの伝統なのかと自分を納得させていた部分がある。本場での知名度、ファイトマネー、ゴンザレスの無関心(恐らく)で実現しなかったのだろうが実現していればなぁ、我がロペスの完勝の絵が浮かぶ。100万ドル・・・

そして書きたくても書けないカルバハル、このシリーズに名前がないのだが、アルセにも、ムアンチャイの記事でも絶賛されていた。違うだろ、アンタはユーリだろと悔しい気持ちになったが、機会があれば紹介する。

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ライトフライでありながら、この2人のファイトマネーは歴史上はじめて100万ドルを超えた。
しかしその後、100万ドル超えはおろか、再び半分以下に成り下がった。

拳四朗だって京口だって夢は無限に開かれている。

そのためにはゴンザレスの言うように世界中どこでも誰とでも戦う気概を持とう。

この頃が韓国が元気だった晩年でしょうか。

チキータ、日本には来てないけど・・・

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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