軽んじられた8番目の男/(スウィート)レジー・ジョンソン

ジョン・デビッド・ジャクソンに続き、トニーに負けた、ロイに負けた、その相手くらいにしか記憶にないレジー・ジョンソンでしたが時代のベストに遜色ない実力者でした。

ミドル級とライトヘビー級を制した男はみな殿堂入りしている。カネロがコバレフに勝てば9人目。殿堂入り確実だろう。しかしレジー・ジョンソンはどうだろうか、読めば殿堂入りの価値があるとわかる。

ボクシングの歴史の中でミドル級とライトヘビー級、両方で世界王者になった例は8人しかいない。

そのうち5人は世界殿堂入りを果たしている。ボブ・フィッシモンズ、ディック・タイガー、シュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズ、マイクマッカラム。その他、ロイ・ジョーンズJrとバーナード・ホプキンスも間違いなく殿堂入りを果たすだろう。

レジー・ジョンソンは1990年代にWBAミドル級王者となり、数年後アンダードッグからIBFライトヘビー級王座を獲得した。

ジョンソンはヒューストンの悪名高き第5区で育った。父親はジョージ・フォアマンと同級生だ。若い頃ケンカばかりしていたジョンソンは自然とボクシングに移行した。12歳でジェームズ・カーターに師事し、男として、ボクサーとして成長した。

優秀なアマチュアとして力をつけ、16歳でタイのキングスカップ優勝、オリンピックトライアルの準々決勝で敗れた。96勝12敗というアマチュア記録を残してプロに転向した。

テキサン(テキサス州の男)はデビュー以来5年間で18勝1敗1分を記録、ロサンゼルスに移動しキャリアを続けた。USBAタイトルを獲得し3度防衛、世界初挑戦のチャンスを掴んだ。

1980年代後半にビッグ4(デュラン、レナード、ハーンズ、ハグラー)がミドル級を去って以降、この人気階級の新しい波の時代が到来していた。元ヘビー級王者、ジャック・ジョンソンの遠い親戚でもある(スウィート)レジー・ジョンソンは覇権を争うこの波の中にいた。

1991年6月29日、ラスベガス・ヒルトンでIBF世界ミドル級王者ジェームス・トニーと対戦し2回にダウンを奪うも12回1-2(112-115、113-114、114-113)の判定負けで王座獲得に失敗。

1992年4月22日、後の世界2階級制覇王者(ミドル級とスーパーミドル級)スティーブ・コリンズとWBA世界ミドル級王座決定戦で対戦し12回2-0(115-113、114-114、115-114)の判定勝ちで王座獲得に成功した。

https://www.youtube.com/watch?v=xyviKPW6a_0

1992年10月27日、無敗のラマー・パークスと対戦し12回3-0(116-112、116-113、115-113)の判定勝ちで初防衛に成功。

1993年1月29日、キム・ユースンと対戦し8回40秒TKO勝ちで2度目の防衛に成功。

1993年5月4日、ウェイン・ハリスと対戦し12回3-0(120-109、120-108、120-110)の判定勝ちで3度目の防衛に成功。

この年の秋にアルゼンチンのブエノスアイレスに出向き、友人でスパーリングパートナーだったジョン・デビッド・ジャクソンと対戦、ハイレベルな僅差の戦いとなるも12回0-3(2者が114-115、113-115)の判定負けで4度目の防衛に失敗し王座から陥落した。

しかしジャクソンが不幸にもタイトルを剥奪されたため、空位となったベルトをホルヘ・カストロとWBA世界ミドル級王座決定戦で対戦し12回1-2(2者が114-116、116-115)の判定負けで10ヶ月ぶりの王座返り咲きに失敗。

1995年10月13日、ホルヘ・カストロとリマッチを行い12回1-2(113-118、113-115、115-112)の判定負けで2年ぶりの返り咲きに失敗し、カストロの返り討ちを受けた。

ジョンソンはホルヘ・カストロに対する敗北は2試合ともに「政治的敗北」だとおもっている。

財政的な問題で1度引退を表明した後にカムバックして1998年2月6日、IBF世界ライトヘビー級王者ウィリアム・ガスリーと対戦。KO率100%、破格のパワーを持つ当時無敗のガスリーに、ミドル級でパワーのある相手に互角に渡り歩いたジョンソンの技巧は通用しないという声が多かった。

ロイ・ジョーンズJrとの対戦を期待されていたガスリーにとって、レジー・ジョンソンは餌食、手土産に過ぎなかった。

しかし誰かがそれをジョンソンに伝え忘れていた。

アンダードッグ(ジョンソン)は壊滅的な右フックで痛烈失神KOでガスリーを病院送りにして試合終了。5回1分58秒KO勝ちで2階級制覇を達成した。

https://www.youtube.com/watch?v=BLWHWjahdoE
エキサイトマッチです。

この時の勝利をジョンソンは最も誇りにおもっている。

ジョンソン
「勝利は不可能と言われ、オッズは1-7だった。ボクシングの歴史で7人しか達成していない、ミドル級とライトヘビー級の世界王座を獲得しました。それはとてもスペシャルな勝利でした。」

ジョンソンはタイトルを2度防衛し(1度はイタリアに遠征した)絶対王者、ロイ・ジョーンズJrとの統一戦を実現させた。

この試合でジョンソンはシャットアウトされたが、当時P4Pと言われたジョーンズに対し大きなハート、勇気を示した。

ロイ・ジョーンズはライバルのレジー・ジョンソンのことを称賛した。

ロイ・ジョーンズ
「レジーは最高のボクサーで、今まで戦った中でベストの一人でした。レジーよりハイレベルなボクサーを知りません。彼は地獄のようにタフで、ノックアウトパワーを持っている。ミドル級から上がって大きなウィリアム・ガスリーをノックアウトしました。ガスリーは当時全勝全KOで私が引き受けることになっていました。だからレジーが倒してくれてとてもうれしかった。あのガスリーの大きな身体とパワー、うるさい口を相手にしたくなかったんだ。

レジーはガスリーを破壊し、人々に証明してみせた。レジーは過小評価されたファイターだ。でも私は彼の強さを知っていました。私の父とトレーニングをしていたからです。ビジネス上の問題でいつもすれ違いだっただけです。」

ロイ・ジョーンズとの闘いに敗れたジョンソンは、充電期間を置いて復帰。その後10年もの間目立たず戦い続けた。

NABF北米ライトヘビー級王者クリス・ジョンソンと対戦し12回3-0(116-112、117-112、117-111)の判定勝ちで王座獲得に成功。

USBA全米ライトヘビー級王座決定戦でウィル・テイラーと2年ぶりに再戦。12回3-0(117-110、119-108、117-111)の判定勝ちでNABF王座は初防衛、USBA王座2階級制覇に成功。

2002年1月25日、アントニオ・ターバーと対戦。ナチュラルなライトヘビー級の選手でオリンピック銅メダルリストの実力を持つ相手にロイ・ジョーンズへのリベンジの権利をかけて対戦したが12回1-2(113-114、112-115、115-112)の判定負けでリベンジの権利獲得に失敗し、引退を表明した。

2005年8月27日、フレッド・ムーアと対戦。元ホープを相手に勢いに押されるかに見えたが9回2分59秒KO勝ち。復帰戦を終了間際の劇的KOで飾った。

2008年2月23日、空位のIBA世界ライトヘビー級王座決定戦で、元WBO世界王者フリオ・セサール・ゴンサレスと対戦し、12回2-1(116-112、115-113、112-116)の判定勝ちで王座を獲得したのを最後に試合をしていない。

現在既に53歳になるジョンソンだがまだ最終目標を残しているという。

ジョンソン
「未完成のビジネスがあるようにおもう。私の使命は偉大なバーナード・ホプキンスの記録を超え、48歳以上で世界王者になって記録を更新することです。バーナードは私の故郷の仲間、ジョージ・フォアマンの45歳という記録を破った。当時は46歳だったが、48歳でさらに記録を更新した。」

今となっては自分のキャリアを懐かしく振り返るジョンソンだが、いくつかの悔いを残している。

ジョンソン
「プロモーションやマネジメントの問題でクリアできなかったいくつかのレジメがありました。もっと多くの世界タイトル、ジェームズ・トニーやロイ・ジョーンズ、アントニオ・ターバーとの再戦、そしてその他の注目すべき王者たち、バーナード・ホプキンス、ジュリアン・ジャクソン、グレン・ジョンソン、クリス・ユーバンクやナイジェル・ベンと戦いたかった。」

レジー・ジョンソンの最後の戦いは2008年だった。しかし彼はまだ引退していない。今も復帰への道を模索している。

ジョンソンには16~30歳、6人の子供がいる。故郷に住みボクシングに関係した仕を続けている。レジオンスジム、MMAトレーニングコンプレックスというジムを経営している。未だに野心を抱いている。

44勝25KO7敗

WBAインターコンチネンタルミドル級王座
USBA全米ミドル級王座
WBA世界ミドル級王座(防衛3)
IBF世界ライトヘビー級王座(防衛2)
NABF北米ライトヘビー級王座
USBA全米ライトヘビー級王座
IBA世界ライトヘビー級王座

ライバルについて

ベストスキル ロイ・ジョーンズJr

簡単に決めることはできない。12歳でボクシングを初めてアマプロ通じて最高レベルで戦ってきました。36年間もボクシングをしてきたのです。ロイ・ジョーンズのスキルセットはすさまじかったが、ジェームズ・トニー、ラマー・パークス、ジョン・デビッド・ジャクソンなどにも言及しないわけにはいきません。大きなナチュラルのライトヘビー級、アントニオ・ターバーはついにベストであるロイ・ジョーンズの暗号を解き明かしました。しかしやっぱり私にとってはロイ・ジョーンズJrこそベストでした。

ベストジャブ ラマー・パークス

ラマー・パークスがベストです。速くて強かった。すごいジャブで逃げ道を探すので必死だった。彼は世界王者になれなかったけどベストファイターの一人です。当時は1-2で私がアンダードッグでした。私が保証します。かつての敵であり、友人、(キッドファイアー)ラマー・パークスは尊敬すべき、偉大なファイターでした。(ラマーパークスは27勝21KO1敗、レジー・ジョンソンに負けただけで引退した。)

ベストディフェンス ジョーンズJr

60年代半ば、私の最初のコーチは元ウェルター級王者のカーティス・コークスでした。彼が恐らくテキサス州ダラスで最初のアフリカ系アメリカ人の世界王者です。テキサス州ガルベストンには偉大なジャック・ジョンソンがいます。カーティスは、ディフェンスもオフェンスも、全ては足から始まることを教えてくれました。

なので、ロイ・ジョーンズJrが最も優れたディフェンスマスターになります。最も優れた足をもっていたからです。しかしジェームズ・トニーは足を使わずにディフェンスするという私たちの時代の最高のディフェンス技術をもたらしました。(フェリーシェル、ショルダーロール)

ベストチン ホルヘ・カストロ

このアルゼンチン人と彼の地元で戦った時、94勝4敗2分という驚異的な戦績でした。4つの敗戦もストップはありません。これが彼のアゴの強さを物語っています。USBAタイトルで戦ったエディ・ホールのアゴの強さも印象に残っています。

ベストパンチャー ラマー・パークス

認めざるをえないベストパンチャーは、エリック・ウィリアムズ、ビクター・ウォーカー、イスマエル・ネグロン、エディ・ホール、ロイ・ジョーンズです。

スピードがパワーを生み出し、見えないパンチがノックアウトにつながる。それ以外のパンチャー(スピード系ではない)はホルヘ・カストロ、ウィリアム・ガスリー、故フリオ・ゴンザレスです。ゴンザレスは良き友人で愛おしいです。安らかに眠って欲しい。

スピードと純然たる破壊力、その間をとって、ラマー・パークスとウィリアム・ガスリーを挙げます。ラマーは自分がどれだけ私を痛めつけたか気づかなかっただろう。ボディで私を襲った。必死に痛みを隠していた。演技賞ものです。ガスリーのパンチも破壊的だったが、私は平気なふりをしていた。ラマー・パークスにします。

ハンドスピード ジョーンズJr

ロイ・ジョーンズJrのパンチの速さといったら、電気を消した暗い部屋にモハメド・アリがいるようなものでした。(笑)

フットワーク ジョーンズJr

素早いフットワーク、出入りの速度が異次元で捕まえることができなかったのがロイ・ジョーンズだけだからです。カーティス・コークスは最大の防御は足であると教えてくれました。最初にパンチの当たる距離を把握した者だけが殴られる前に殴ることができます。そして10発中9発は外すことができます。その後コーチとなったマニュエル・ロブレス、ジェシー・リードも同じ事を言っていました。

スマート ジョーンズJr

このビジネスで最も頭がいいのは打って打たれずお金を稼ぐことができる人です。その男こそロイ・ジョーンズです。そして付け加えるならプロモーターです。彼らも打たれずに稼げるから羨ましいね(笑)

屈強 ウィリアム・ガスリー

ライトヘビー級でもデカい男だったからです。ミドル級時代ではスティーブ・コリンズが屈強でコンクリートのアゴを持っていました。

総合 ジョーンズJr

改めて言います。ロイ・ジョーンズJrこそ全てにおいてベストでした。しかし他のライバルたち、トニー、ターバー、パークス、ジャクソンたちの事も忘れません。

故郷と戦友たち(一部省略したが、みんなにかつての敵で今の友と言っている)に誇りを持っているレジー・ジョンソンの言葉の数々でした。

ビッグ4(デュラン、レナード、ハーンズ、ハグラー)が過ぎ去った時代、ビッグネーム、ロイ・ジョーンズJr以外の相手には負けても僅差ばかりで全般的にかなりレベルの高いファイターだったことがわかります。特にディフェンスが素晴らしい。

ジョン・デビッド・ジャクソンが最高の相手と評価しているようにこの時代はスリックな黒人の名選手が中、重量級にたくさんいました。そんな中に竹原慎二が混じって一瞬でも王者になったのは奇跡でした。(ホルヘ・カストロも異色だが)

ウィリアム・ガスリーというのが当時24戦全勝全KOの大型王者で、それを下からあげてきたジョンソンがノックアウトしてしまうとはどんなに痛快なことだろう。

ラマー・パークスというファイターを知らなかったが、27勝21KO1敗、レジー・ジョンソンに負けただけで引退。まるで名王者のようなキャリアだ。いかに険しい時代、階級であったかを物語っている。

(スウィート)レジー・ジョンソンにもう現役復帰はないとおもいますが、見た目に似合わず繊細でインテリジェンスに溢れ、きっとトレーナーとしても優秀だろう。

レジー・ジョンソンと検索してもバスケの選手ばかり出てくるくらい過小評価された名王者。彼もまたしっかり見直したいとおもいます。

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