我は神の子/「Prince」ナシーム・ハメド Vol.4

神の子、ハメド、遂に最終章です。書く前は我々にとっては印象深いアメリカデビュー後の活躍、オギー・サンチェス戦の戦慄のノックアウトや、まさかのバレラのハメド攻略こそがハイライトなのかとおもっていましたが、人生は弓矢の弧のごとく、終わってみればケビン・ケリーとの闘い、アメリカデビューこそがハイライトだったのかもしれません。ケリーのハイライトがそうであったように。

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ケビン・ケリー戦を終えて、ハメドはしばらく活躍し続けた。3年間で6勝、別の団体のベルトを加え、7桁(ドル)の報酬を受け取り続け、時に魔法の絨毯に乗ってリングインすることすらあった。

しかし何かが変わった。

ケリー戦の恐怖がハメドを少しナーバスにしたのかもしれない。少なくともそれはハメドを少し用心深くさせた。その後のアメリカでの試合、ウェイン・マッカラー戦、セサール・ソト戦、どちらも12回判定で危なげなく勝利するが、退屈で酷い試合で大いにブーイングを浴びた。

その後2001年4月7日、将来の殿堂入りファイター、マルコ・アントニオ・バレラの手によりハメドは遂に完全レコードを破られることになった。ケリーとの闘いでハメドは多くの欠陥を露呈したが、それを修正することはなかった。彼は既に全ての学習を終えていた。

https://www.youtube.com/watch?v=lr3VqrSj6wo

ギャレス・ダビエス
「ウィルフレド・バスケス、ウェイン・マッカラー、ポール・イングル、セサール・ソト、ブヤニ・ブング、オギー・サンチェスに対して、ハメドは自分のスタイルで結果を出してきた。これらの試合がマルコ・アントニオ・バレラに対抗する目覚めの呼びかけであるべきだったとおもいます。ブレンダン・イングルが長きにわたり言い続けてきた事でした。」

ブレンダン・イングル
「いつか必ず反対者が現れる。いつものパンチがヒットしない。ならばディフェンスも磨くことだ。攻めるだけでは絶対当たらない相手が出てくる。」

ランプレイとマーチャントはハメドの急落について同様の考え方をしている。ハメドは27歳で初めて敗れ、最後に戦ったのは28歳だ。

ランプレイ
「ハメドはリスクの高いスタイルで戦った。自分がハイリスクスタイルであることをわかっていた。ボクシングに革命をもたらすほど非常識で宇宙的なスケールでそれを証明しようとしていた。多くの人も共感していた。しかし、誰かはわからないが、いつか必ずもっと均整のとれたアプローチで鍛錬し対策してくる者が現れるだろうと想像していた。バランス、タイミング、ジャブ、ボクシングの王道たる慣習的なアプローチを持った誰かが。」

マーチャント
「全てのキャリアは弓の弧を描くような最高点があるのです。ケビン・ケリーとの試合こそ最高の弓の弧だったが3回ダウンした。そのままでも成功し続け、魅力的であり続けたが、ケリーとのあの試合で何かが変わった。少し慎重になることを学んだとおもうがこれにはもう少し具体的なトレーニングが必要だった。ブレンダン・イングルからエマニュエル・スチュワードにトレーナーを変えたことを覚えているだろうか、エマニュエルはハメドが真剣にトレーニングしなくなった、スパーなどしたくないと言ったと語っていた。」

確かにハメドはトレーニングに問題を抱えていたといわれている。手の怪我も引退を早めたといわれている。

アザール
「これは私個人の意見ですが、イングルと別れてからトレーニングが疎かになりました。試合ができるコンディションではなかったという意味ではありません。しかしトレーニングの目的が単純に体重を減らすことだけに費やされるほど彼が太ってしまった事、これが問題でした。尊敬し、耳を傾け、見上げる立場の誰かが傍にいることが重要です。ハメドにはそれが欠けていました。ある時点でエマニュエル・スチュワードと組みましたが、そんなに多くの時間を共有していたわけではありませんでした。エマニュエルはキャンプ終了間際にやってくるだけでした。」

ギャレス・ダビエス
「ハメドはブレンダン・イングルに、新しいトレーナーのエマニュエル・スチュワードにもっと耳を傾けるべきでした。彼の傲慢さが最終的には仇となったのでしょう。しかしこれは非情に多くのファイターに共通して起きることです。ハメドは35連勝までいった。並外れた記録です。正真正銘のフェザー級王者でした。35勝無敗、夢を全て叶え、お金持ちで、家族全員が永遠に安全に豊かに暮らしていけます。そんな状況では彼は負けることなど夢にもおもっていなかった。自分は無敵なんだと信じてしまって当然です。」

しかし無敗記録はバレラによって取り除かれた。13か月後ハメドはマヌエル・カルボ相手に復帰したが退屈な判定勝ちに留まり、もう二度と戦うことはなかった。36勝31KO1敗の記録を残して、誰よりも若くして引退した。

ランプレイ
「バレラに負けた後、実にあっさりと引退してしまった事には驚いたけど、またハングリー精神を取り戻して戦い続けることなど無理だったのかもしれない。ハメドは大金持ちで大食漢だった。結局の問題は体重でフェザー級をこれ以上維持できなかった。彼の習慣や世界観、嗜好を考えれば126ポンドじゃなくて226ポンドになる可能性すらあった。バレラ戦の敗北での焦りは、もうこの舞台で戦い続けるのは無理だという諦めを生んだのだとおもう。」

ルー・ディベラは王子に何が起きたのかはなるべく深く考えないようにしている。

ディベラ
「彼はファイトが好きで殴るのが好きでノックアウトするのが大好きでした。しかしそれ以上にショーマン(タレント)であることが好きでした。ボクサーであることよりショーマンであることを選んだのでしょう。ナシームはボクシングが娯楽ビジネスの一部であることを体現しました。ボクシングはショー(演劇)です。ボクシングはロックンロールです。彼はその力を10にしました。王子はボクサーとして偉大であり殿堂入りに値します。しかし彼はボクサー以上にショーマンであり、エンターテイナーであり、より大きな個性だったのです。」

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いつもタイトルを決めないでダラダラ書いた後に適当に決めているのだが、ハメドに対しては本当は鬼束ちひろの「月光」から

I am God's child.
この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field?
こんなもののために生まれたんじゃない

このフレーズがピッタリだとおもっていました。
長いので使えませんでした。

世界に突如産み堕とされた異端児であり、不機嫌で生意気で退屈そうで、常識はずれの圧倒的なパフォーマンスを披露する人間を超えた存在なんじゃないかという畏怖すらありました。

そしてなぜ今ハメドを取り上げたのかといえば、勘のいい方ならご察しだろう、井上尚弥の快進撃と絶賛の嵐に疲れた部分があったからです。その礼儀正しくスマートな人間性、極めて正統で穴のないボクシングスタイルも全く異なる両者だが、

世界を震撼させる、歴史を動かすほどの逸材かもしれないという点では一致しています。

ハメドだけと言わず、超人級といわれる偉大なファイター達の思考や栄枯盛衰を復習しつつ、どのような未来を切り開いていくのかという興味があり、改めて過去の偉人について書き連ねてしまいました。

最後までお読みくださった皆様ありがとうございました。

本当に凄いボクサーでした。

ある種の魔法、奇跡のような存在だったから、負けても続けるようなプランはなかったのかもしれない。一瞬の夢だったのだ。


全てを手にし、好きなだけ食いたい気持ちはすごくよくわかる。
理由はこれだな。

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