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振り返れば奴がいる/徳山昌守

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この男こそ最強レベルの日本人世界王者と認めるマニアも少なくない。けれど、わかりやすいスピード、ノックアウトのカタルシスを求める者には極めて複雑難解なリングの職人なのであった。

会心の一撃

2000年代前半、徳山昌守はWBCスーパーフライ級の最高峰の王者として君臨していた。トップランカーに対して8度の防衛に成功した。

徳山 本名:洪昌守(ホン・チャンス)は1974年9月17日東京生まれ、父親が空手道場を運営していたが高校生になった15歳の時にボクシングと出会った。

徳山
「兄弟で空手をしていましたが、みな俺よりデカくてしんどかった。けどボクシングならいけるかもしれないとおもった。ボクシングジムは刺激的でみんないい汗をかいていたので魅了されました。」

徳山は日本で平和に暮らしていたが、在日朝鮮人というルーツが様々な社会的問題をもたらした。

徳山
「アマチュアの公式大会に出ることができませんでした。朝鮮学校は出場を禁止されていました。プロボクサーになってからも在日ということでインターネットなどで中傷を受けましたが、日本人、韓国人関係なく応援や励まし、ファンレターをもらったりしたので勇気づけられました。」

徳山には12勝2KO5敗というわずかな非公式のアマチュアキャリアがあるだけだ。

高校を卒業し日雇い仕事などをしながらボクシングに対する情熱に気づき、大阪に行ってボクシングを本格的にスタートさせた。

20歳の誕生日の翌月にプロデビューし11連勝するも、1996年、ベテランのマニー・メルチョールに判定で負け。その後フライ級王座をかけてノリト・カバトに2度挑戦するも、いずれも失敗に終わる。

階級を上げて徳山は進化した。グリーンツダジム時代の先輩に当たる元世界2階級王者井岡弘樹を5回TKOに降し世界ランク入り、その後OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座獲得。2度の防衛に成功した。

2000年8月27日、世界初挑戦。WBC世界スーパーフライ級王者で無敗の曺仁柱(韓国)に挑み、12回判定勝ちで王座奪取に成功した。

徳山
「勝ったとはおもったけどジャッジは心配でした。勝利者コールされていままでの努力が報われたと感じました。」

韓国での曺との再戦を鮮やかなノックアウトで決めただけでなく、元王者のジェリー・ペニャロサを2度も下し8度の防衛に成功、川嶋勝重に初回で3度のダウンを喫しわずか1分47秒で敗北、13か月後の再戦で見事に雪辱してみせた。

振り返ればこの勝利が徳山にとりとても意義深いものになった。

徳山
「川嶋に負けて、ハードな練習をしました。この試合もジャッジの声をきくまでドキドキでした。勝って大きな達成感を感じました。」

モチベーションの低下と共に引退を決意した徳山は2006年2月、オリンピック米国代表だったホセ・ナバロの挑戦を受けこれを退けた。

32勝8KO3敗1分の記録を残して引退した。

徳山
「プロボクサーとして十分やりきったとおもいます。王者として4度の指名試合やトップアマ出身の相手と戦いました。ボクシングを長く続けて後遺症に苦しむ前に第二の人生を考えて肉体的に燃え尽きる前にやめることを決めたのです。」

徳山が唯一後悔していることといえば

徳山
「3階級王者になった長谷川穂積とやりたかった。彼は当時日本で最高のボクサーと言われていました。」

引退後、徳山は祖国の言語を学ぶため、韓国に訪れ、かつて拳を交えた曺仁柱との再会を果たした。

徳山
「曺は俺に負けた事が悔しくてずっと眠れなかったそうです。彼は無敗のアマチュアエリートで世界王座も防衛していました。今までダウンしたり気絶したことなど一度もなかったそうです。でも、俺と戦ったことを誇りにおもうとも言ってくれました。俺たちは韓国と北朝鮮を代表し世界王者としてワンコリア(朝鮮統一)を訴えるべく最善を尽くしたのです。」

現在徳山は大阪で妻と2人の子供と暮らしている。大阪の鶴橋で「まる徳」という焼き肉屋を経営している。しかし新たな刺激を求めて別の事をする予定もある。彼はバイク好きでハーレーダビッドソンのファットボーイに乗っている。父親とともにイタリア中やアメリカのルート66を走った。

現役時代のライバルたちについて聞いた。

ベストジャブ ディミトリー・キリロフ

はっきりいえばベストジャバーは俺です。自分の左ジャブが最高だとおもっています。ジャブでどんな相手にも勝ってきました。相手から選ぶとすればキリロフです。速いジャブで俺を止めようとしましたが、威力がなかったので俺を止めることはできなかった。

ベストディフェンス ジェリー・ペニャロサ

彼はとても小さいのにリーチが長かった。もしペニャロサが長い腕で顔面をガードしていたら俺はパンチを当てることができなかったでしょう。

ベストチン 川嶋勝重

ジャブを当てても前進し続けてきました。

ハンドスピード ディミトリー・キリロフ

トップアマらしく速くてきれいなストレートを持っていました。

フットワーク 曺仁柱

これもまた俺が一番だと確信してますが2番は彼です。トップアマで長いリーチとフットワークを持っていました。さらに反射神経がよくてペニャロサにもアウトボクシングで勝っていました。ペニャロサはボクシングじゃなくてマラソンだと嘆いていましたが。

スマート ホセ・ナバロ

距離の管理が巧みでした。同じフェイントには二度とひっかからなかった。ナバロは川嶋とも戦って勝利を確信していたけど俺には完敗したので、俺が王者でいる限りはWBC以外をターゲットにすると言ってました。

屈強 川嶋勝重

彼のパワー、迫力はすごくてちょっと他と比較にならない。

ベストパンチャー 名護明彦

6回にプロではじめて彼の左フックでダウンしました。その後の試合の記憶がありません。本能だけで戦っていました。

ベストスキル ホセ・ナバロ

トップアマの名に恥じない素晴らしいスキルを持ったサウスポーでした。俺みたいなディフェンシブな相手にも上手くコンビネーションを打ってきました。

総合 ジェリー・ペニャロサ

ペニャロサとの2試合でボコボコに顔を腫らしました。彼の顔もボコボコでした。オフェンスとディフェンスの切り替えが上手い奴で2試合ともにクロスファイトになりました。ペニャロサは殺人鬼の目で俺を睨んでいました。めちゃハングリーなヤツやなぁといつもおもっていました。

8度の連続防衛とタイトル奪還、1度の防衛、勝ったまま引退、世界戦通算10勝1敗という素晴らしい記録を残した徳山。

知ったのは意外と遅くて井岡戦でした。
複数階級世界王者井岡の再起戦という建前で、国内の実力者徳山をステップに考えていた試合だったと記憶しているが、結果は徳山の圧勝で、なんだこんなにいい日本人ボクサーがいるのかと驚いたのを記憶している。

その時はもちろん、あとになっても自分は彼が在日か否かなど気にしたこともなく、全ての試合を見届けたが、次第に関心が長谷川の方に流れていったのは、メディアのせいだったのかもしれない。徳山よりも長谷川の方が情報が多かったし何よりも試合がわかりやすく痛快だった。

「勝ったとおもったがコールを聞くまでドキドキだった」
というのは判定優遇される人間ではないという自分の立場の自覚故だろう。

しかし、両者がその全盛期に拳を交えていたらどうなっていたのかはわからない。徳山のボクシングは玄人好みで難解なのだ、ジャブを軸に距離の管理が巧みで打たれない。判定上等、低いKO率もより玄人臭を漂わせていた。空間認識能力、管理の天才だった。

もっと見栄えよくアンタッチャブルで日本人離れした天才の川島郭志が屈したペニャロサを2度も下したり、人気も勢いもパワーもすさまじかった名護明彦の化けの皮を完璧にはがしたり、誰とやっても負けない奥の深さがあった。

それは数々のトップアマを下した実績が物語っている。

そして未来に現れたスーパースター、ノニト・ドネアを観た時の既視感、あれは徳山のジャブであり動きだった。

実力的には日本屈指の難解な名王者であった。
ポカをするところ、しそうにみえる姿は今の小國以載に少し似てるかな。

傑作試合は何といっても曺仁柱との再戦だ。
判定職人が神がかったワンツーでアウェーといえる韓国で元王者を失神させた。

隠れ名王者、徳山昌守、振り返れば奴がいた。

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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