ジ・インビジブル・イップマン/ヘロール・グラハム

ブルースリーの師匠が「イップマン」なら、ナシーム・ハメドの師匠がこの「ヘロール・グラハム」だ。ハメド、ネルソン、ウィッター、ブルック、ハスキンス、バーネット、ジョシュ・ケリー・・・彼らに通じる、スタイリッシュでトリッキーなイギリス流、ブレンダン・イングルイズムの元祖といえるのがこのヘロール・グラハムだ。
彼こそ、まさしく無冠の帝王の名に相応しいのかもしれない。

しかしグラハムが生んだフリースタイルに独自の色を加えていったものだけが世界王者になっていった。王者を凌駕する能力を持ちながら、王者になれずに終わった男、しかし今となっては王者以上に人々の記憶に残り尊敬される存在となっている。

ヘロール・グラハムは世界タイトルを獲得できなかったイギリス最高のファイターといわれる。何度もそう言われ続けてきたグラハムにとっては辛いことかもしれないが、その苦い経験の中で最良の部分だけを見出して生きてきた。

グラハム
「それは私には多くのことを意味する。世界王者になれなかったが、手に入れかけていた。それだけで人々は私を称えてくれます。世界戦までのキャリアの中でいつも何かのトラブルが起きた。結局、それは単なる運命ではありませんでした。」

防衛戦になると、ファイターは感覚的な能力を発揮する。ウィリー・ペップ、パーネル・ウィテカー、ウィルフレド・ベニテスなどは負けにくいディフェンスの達人だったが、”ジ・インビジブル・マン”グラハムはフロイド・メイウェザーのような完璧さを求めた。

イギリスでは80年代から90年代にかけて最高のファイターは“Bomber”ヘロール・グラハムだった。

ティーンエイジャーだったグラハムはシェフィールドのウィンコバックジムで自信に満ち溢れていたが、彼の派手で奇抜なスタイルが、多くのイギリス人ファイターの源泉になろうとは考えもしなかった。引退から20年以上が過ぎた今も彼のスタイルは模倣され続けている。

ナシーム・ハメド、ジョニー・ネルソン、ジュニア・ウィッター、など多くのイギリス人ファイターがグラハムの影響を受けている。ワイドスタンス、ノーガード、反射神経、バランスを崩さずに多彩な角度から放たれるパンチなど・・・

グラハム
「よく覚えています。私が子供の頃はみなガードを上げて古い時計のようなボクシングをしていました。でもそれは私には合わなかった。ガードを下げ動き回っていた私を誰も理解してくれなかった。皆、私を狂っているかのように観ていました。でも、2週間くらいするとみんなそのスタイルをコピーしていました。ナズ(ハメド)もそうでしたが彼はそれに自分自身の特徴を加えていきました。腰を曲げたヘビみたいなスタイルは私のコピーであり、そのような影響を与えられたことは嬉しいです。」

グラハムはイギリス王座、コモンウェルスゲーム、ヨーロッパタイトルを154ポンドと160ポンドで獲得したが、大きなタイトルとは無縁だった。1989年に全盛期のマイク・マッカラムに挑むもスプリットで敗れる。

翌年ジュリアン・ジャクソンに挑み一方的に試合を支配するも4回悪夢の右フック一発に沈んだ。

1998年、アメリカのパワーパンチャー、チャールズ・ブリューワーと対戦し最後のダンス(華麗なファイト)を披露するも、38歳のベテランは勝ちきることができず10回逆転TKOで敗れこれが最後の試合となった。

世界王者まであと一歩のところでいつも悪夢をみてきた。

後年、グラハムはうつ病に苦しむことになるが。家族との生活の中でその暗闇を克服していった。彼の伝記「Bomber: Behind the Laughter(笑顔の後ろ)」は好評で、元世界挑戦者としてステレオタイプのタフな男を演じて人々を勇気づけた。

グラハム
「私のうつ病、失意を明らかにし解き放つのに役に立ったし、人々に勇気を与える役目も果たした。もちろん、私は男だが男だって泣くときはある。男は常に問題を抱えながら憂鬱な戦いをしているのです。私の経験が多くの人々の共感を得てうれしかったです。ファイターはキャリアが終わった後に心を許せる話し相手を持つべきです。彼らは親身になってくれる時もそうでない時もあるが、失意のどん底にいる時にそれを一人で解決していくのは難しいものです。」

グラハムは今でもボクシングに未練があり、トレーナーとしての仕事に興味があるが、彼のような天性のスタイルを継承することは可能なのだろうか

グラハム
「私は教えることができます。ロンドン周辺にジムを開設しようとしています。たくさんのオファーがあります。多くのトレーナーはパンチを打つ時、手首をねじるように指導しますが、スピードが鍵になる場合それは時間の無駄でしかありません。速いパンチほどより早く相手に当たる。でも自分のスタイルを強制しようとはおもわない。基礎を磨きたいのであれば、それが本人に向いているのであればそれでいいのです。」

ライバルについて

ベストボクサー スンブ・カランベイ

ヨーロッパミドル級タイトルで戦いました。クロスファイトでしたがビッグパンチで殴られロープに吹き飛ばされました。素晴らしいパンチでした。あのパンチで私は負けたのでしょう。ハイレベルな相手でした。その後カランベイはマッカラムに勝ったり負けたりしました。

ベストパンチャー ジュリアン・ジャクソン

その質問は議論の余地がありません。ワンショットで私は失神した。私の一方的な展開で、あと少しでレフリーは試合をストップしようとしていた。ジャクソンをコーナーに追い詰め、間違いを犯してしまいました。ジャクソンはワンパンチで答えを出した。私はそのまま病院送りになり、記憶障害になりかけたけど、3、4時間で回復できました。ハードパンチといえば数々の想い出があります。リンデル・ホームズも強かったけどジャクソンの比ではなかった。

ベストディフェンス スンブ・カランベイ

カランベイかもしれないがディフェンスがすごいとおもった相手はいない。マッカラムさえヒットするのは難しくはなかった。カランベイはリーチの長いパンチャーだったけどなんとかなった。でも殴るのが足りなかった。

ハンドスピード

それは私でしょう。ほとんどの試合で私の方がスピードがあったので、スピードで私を悩ませた相手はいません。ビニー・パジエンサが速かったという人もいるが、ほとんど打たれていないです。パジエンサは後にグラハムには触れることすらできなかったと言っていました。ビニーは目をカットし唇も腫れていたけど私に触れることはできなかった。彼は手足が短くインサイドで速いだけだったので簡単なスタイルだった。

フットワーク

誰もいません。私は距離が遠くスタンスが広いので誰も追いつけませんでした。

ベストチン チャールズ・ブリューワー

私はノックアウトされたので、この部分は自慢できません。チャールズ・ブリューワーでしょう。私は2度ダウンさせたけど倒しきることが出来ず逆転負けをした。

https://www.youtube.com/watch?v=s3ilIdEIEFg

ベストジャブ 誰もいない。

マイク・マッカラムのジャブがすごいとおもっていたけど、彼はそういう戦い方をせずガンガンプレスをかけてきたので、ジャブの美しいボクシングではありませんでした。

スマート スンブ・カランベイ

カランベイかマッカラムです。両者ともにスマートなファイターでテクニカルでした。しかし両者に勝てていたとおもう。

総合 マイク・マッカラム

一応こうなるけどあの試合は私の勝ちでしょう。彼はペースを掴もうとプレッシャーをかけてきたが、私は冷静に対処できた。テンポを変えてアウトボクシングをし彼にストレスを与えた。彼はプレッシャーをかけることでポイントを集めていったのかもしれないが、私にパンチは当たっていない。ジャッジは攻勢をとったのだろうが、有効な攻撃ではなかった。これが「ボディ・スナッチャー(マッカラムのニックネーム)=強奪者」の意味だね。試合を観てくれよ、彼は俺の身体に触れることすら出来ていない。でもあれもいい経験でマッカラムは優れたファイターだった。彼はパンチを当てることができなかったけど、私には手数、攻勢が足りなかったのでしょう。でもあの試合には勝ったとおもったんだ。

肝心の勝負どころで勝ちきれないから無冠なんだと言われてしまいそうだが

38戦無敗でも世界挑戦できず、43戦目ではじめて挑む王者がマイク・マッカラム、勝ちに等しい試合を演じるもののSD負け。46戦目で2度目の世界戦、ジュリアン・ジャクソンを一方的にコントロールするもワンパンチ失神負け・・・この敗北の後はマイナータイトルは獲得するも、もう既にブランクがちでピークは過ぎた。ケビン・ケリーもそうだが世界に挑むのに時間がかかりすぎた。それほど険しい時代だったのだろう。

今のミドル級よりもスピーディでハイセンスだ。通用するに違いない。世界王者にはなれずともそれ以上に人々に与えた影響は大きく、いつまでもファンの支持が高い。そんなボクサーは日本にもいる。

運命、神のいたずらに翻弄された天才、元祖ハメドここにあり

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