軽量級のリアルディール/(マリックビルの誘導弾)ジェフ・フェネック

幻のIBF世界王者、新垣諭とは何だったのか、彼を踏み台に世界に飛躍したオージーは伝説の男だった。モノが違った。ジェフ・フェネック、アマチュアエリートではあってもこういう選手が極めてプロ向きといえ、階級も駆け抜けたキャリアのスピード感が今の井上尚弥と似ている。(スタイルは違うが)軽量級のロベルト・デュランと言うべきか・・・そして必ずネルソンのような屈強な壁、ライバルは現れる。

https://www.youtube.com/watch?v=PjKptHJOsPg

ジェフ・フェネックはオーストラリア史上最高のボクサーの一人だ。

無尽蔵のスタミナと一度打ち出したら止まらない連打、多少の被弾も恐れない強靭な精神力を武器にバンタム級、スーパーバンタム級、フェザー級の3階級を制覇した。敗北は4階級制覇を目指した試合のみだ。

フェネクはアマチュアエリート出身で1983年の連邦大会で銅メダルを獲得、翌年のロサンゼルスオリンピックでは準々決勝で銀メダリストのレゼップ・レゼポウスキーに敗れその年の後半にプロに転向した。

(マリックビルの誘導弾)ジェフ・フェネックは連続KOで快進撃を続け、3戦目でオーストラリアスーパーフライ級王座、1985年4月26日、7戦目でIBF世界バンタム級王者新垣諭(奈良池田ジム)に挑戦し、9回TKO勝ちで世界王座を獲得しロサンゼルスオリンピック出場選手最初の世界王者となった。

ノンタイトル戦で2連勝すると新垣諭と再戦し、4回TKO勝ちで初防衛に成功した。

1985年12月、アメリカのジェローム・コフィーの無敗記録を破り防衛を伸ばすと元WBC世界バンタム級王者で殿堂入りのダニエル・サラゴサ(メキシコ)とノンタイトルマッチで対戦し、3-0の判定勝ち。ロス五輪のライバルで金メダリストのスチーブ・マクローリー(アメリカ合衆国)と対戦し、14回TKO勝ちで3度目の防衛に成功した。

順風満帆の快進撃を続けていたが、慢性的な拳の怪我と減量に苦しんだフェネクは9カ月のブランク後階級を上げ、オーストラリアフェザー級王座を獲得。1987年5月8日、WBC世界スーパーバンタム級王者サーマート・パヤクァルン(タイ)に挑戦。初回にキャリア初のダウンを喫するも、4回KO勝ちで2階級制覇に成功した。フェネクの猛攻を受けたタイ人は故郷の修道院に引きこもり引退した。

フェザー級に転向するまでに、フェネクはグレグ・リチャードソン(アメリカ)と対戦し、5回TKO勝ちで初防衛に成功、1987年10月16日、殿堂入りのカルロス・サラテ(メキシコ)と対戦し、4回負傷判定勝ちで2度目の防衛に成功。試合後、王座を返上。

1988年3月7日、WBC世界フェザー級王座決定戦でビクトル・カジェハス(プエルトリコ)と対戦し、10回TKO勝ち。デビューからわずか4年弱で3階級制覇の偉業を達成した。

https://www.youtube.com/watch?v=9Fh31t_wx3I

フェネクにとってこのカジェハス戦とサーマート・パヤクァルン戦が最高の勝利、ベストパフォーマンスだったと言う。

フェネク
「3階級制覇をかけたカジェハス戦は80%の仕上がりでした。右手を骨折しました。サマートとやった2階級目が最高だったとおもいます。華麗なファイトができたとおもう。素晴らしいパンチで彼をノックアウトしました。拳が痛くて早くノックアウトして終わらせたかったのです。」

フェネクはマルコス・ビジャサナらを下し3度の防衛に成功。さらに階級を上げWBC世界スーパーフェザー級王座挑戦者決定戦でマリオ・マルチネス(メキシコ)と対戦し、3-0の判定勝ちで指名挑戦権を獲得した。しかし慢性的な拳の負傷で引退を彷徨っていたが、1年のブランク後、戦線に復帰、1991年6月28日、WBC世界スーパーフェザー級王者アズマー・ネルソン(ガーナ)と対戦しアメリカデビューを果たした。フェネクは勝利に値する仕事をしたようにみえたが結果は1-1のドロー。

フェネク
「ネルソンとの初戦は3ラウンドくらいは失ったかもしれないけど、他のファイター同様にやるべき事はすべてやったとおもう。もちろん、アズマーは他のファイターより優れていたけど、俺は勝利に値する全てを与えたはずだ。

他のファイターはラウンドが進むにつれ弱っていくがアズマーは違った。それでも彼は弱ってきたが、彼のセコンドがいい仕事をしたとおもう。マウスピースを隠したり、ドン・キングのプロモート選手は有利だった。レフリーのジョー・コルテスもブレイクばかりで俺の攻撃を遮断した。みんな俺をダーティーファイターだと言うけど、俺は相手がやった時だけ仕返しをするんだ。リングをカットしプレッシャーをかけていくだけでダーティーな事をしている暇はない。あの試合は私の勝ちだが、そのように誰も反映してくれなかった。全てがアウェーだったんだ。」

フェネクはネルソンとの再戦の権利を得たが9カ月後だった。1992年3月1日、WBC世界スーパーフェザー級王者アズマー・ネルソンと再戦し、8回TKO負けで4階級制覇ならず。キャリア初黒星となった。この試合はリング誌でアップセットオブジイヤーに選ばれた。

フェネク
「ネルソンは素晴らしい戦いをした。サマート戦でもカジェハス戦でも怪我をしたことはなかったが、あの試合は違った。あの日はカジェハス戦の時のジェフ・フェネクではなかった。ラスベガスでは何週間も病気だった。言い訳はしないが、ビクトル・カジェハスやマルコス・ビジャサナとやった時のコンディションであれば問題なくネルソンを倒していただろう。あの頃は15ラウンド制だった。初戦の12回でネルソンはKO負け寸前だった。

しかし全ては歴史だ。俺は初戦の判定をものにできなかった。ネルソンは再戦でオーストラリアに来て俺をノックアウトした。ネルソンの人格、粘り強さ、能力・・・ネルソンは史上最高の一人だ。」

1993年6月7日、カルビン・グローブ(アメリカ)と対戦し、7回KO負け。
1996年5月18日、IBF世界ライト級王者フィリップ・ホリデー(南アフリカ)に挑戦し、2回TKO負けで4階級制覇ならず。この試合を最後に引退した。

地元オーストラリアメルボルンで12年ぶりに復帰。16年振りにアズマー・ネルソンとスーパーウェルター級契約10回戦で対戦。2-0の僅差判定勝ち。ネルソンも10年ぶりの復帰だった。

フェネクの悔いはアメリカ人に自分のファイトを観てもらいたかった事だ。

フェネク
「俺のキャリアでの不満はそこだね。多くのアメリカ人は俺のファイトを観ていない。俺を知らないだろう。マルコス・ビジャサナやダニエルサラゴサ、グレッグ・リチャードソンなどに勝ってきたけどアメリカ人は知っているだろうか?3階級制覇は誇りだが、初戦のアズマー・ネルソン戦のジャッジが正しければ無敗の4階級制覇だった。それが心残りだね。だから愚かなカムバックをしたんだけど俺は現実主義者だ。怪我をしたらもう駄目だね。」

フェネクは2002年に殿堂入りを果たした。

現在55歳になるフェネクはトレーナーとしてボクシングに関わり、かつてマイク・タイソンやダニー・グリーン、ダニエル・ゲール、ビック・ダルチニアンらと仕事をしてきた。

結婚して3人の子供に囲まれ、趣味の旅行やいくつかのビジネスをしている。

ライバルについて

ベストジャブ ジェローム・コフィー

素晴らしいジャブを持った典型的なアウトボクサーだ。ジャブ頼りの男だった。

ベストディフェンス ジョージー・ナバロ

とても目がよくて、いつものようなプレッシャーが彼にはかけることができなかった。そんなにパンチも食わない。守備的には素晴らしい奴だった。

ベストチン マルコス・ビジャサナ

圧倒的にビジャサナだろう。打ちまくったが平気だった。鉄のアゴだ。

ハンドスピード スティーブ・マクローリー

とても速い。オリンピック金メダリストだけのことはある。

フットワーク グレッグ・リチャードソン

クネクネと走って逃げ回る。数ラウンドで捕まえたけどね。

スマート アズマー・ネルソン

最初は誰もときちんと向き合ってファイトするんだ。サラゴサは経験豊富でクレバーでタフだった。でもネルソンを選ぼう。彼は賢くてリングの思想家だった。

屈強 マリオ・マルチネス

ビジャサナはとてもタフだった。マリオ・マルチネスはデカかった。メキシカンというのは常に我慢強くてタフな打ち合いを好む。他のやつら、リチャードソンやナバロみたいなアメリカ人は4回、5回で打たれると心が折れる。目がそう言っている。しかしメキシカンというのはどんなに傷ついても諦めない。勇敢だ。それがメキシコ人の精神だ。

ベストパンチャー ビクトル・カジェハス

間違いなくカジェハスだ。すごいパンチだった。サマートはルぺ・ピントールやファン・メサなど有名な選手をみな倒した。しかしカジェハスは小さなパンチでもシャープで強かった。左アッパーが強烈だった。カジェハスがロリス・ステッカを倒した試合をみてくれよ。ロケットのように後方に弾き飛ばしてノックダウンしていた。驚きだよ。

ベストスキル ジョージー・ナバロ

ただただスキルフルで素晴らしい恩恵、速いパンチを持っていた。とても熟練したファイターだった。

総合 アズマー・ネルソン

ネルソンと言わねばならないだろう。彼の実績が物語っている。彼がすごいのは普通は負けたら心が打ちのめされるのにきっちり宿題をこなしてリベンジしてくるところだ。しっかり切り替えができるんだ。偉大だよ。

改めて見直すとフェネクVSネルソンの初戦はフェネクの勝ちにみえる。
これがきちんと反映されていれば無敗の4階級王者だったのだ。
ネルソンとの再戦に敗れてから、連敗し快進撃のキャリアはいきなり終焉を迎えた。

ジェフ・フェネクのようなアマチュアに裏打ちされた基礎技術と高い身体能力、屈強、強靭な精神、肉体というのが偉大な王者の典型的な条件と言えそうだ。キャリアを急ぐ日本人には大いに参考になるプロキャリアを駆け抜けた偉人だ。

フェネクほどの強靭さは難しいが、ならば彼を凌駕する程の技巧?それもまた果てしない次元であり、結局こういう強靭な男だけが特別な王者になれるのだ。キャリアを急ぐなら日本人もそういう強さを身につけなければならない。

補足

プロ20戦目での3階級制覇は井岡一翔が2015年4月22日にプロ18戦目での3階級制覇を果たすまで世界最速記録だった。

サマートのところでフェネクの猛攻を受けたタイ人は故郷の修道院に引きこもり引退した。とあったので調べてみるとサマートはフェネクに負けた後もキャリアを続けているが7連続KO後にエロイ・ロハスに倒されて引退している。この人も天才だったが、もう少しボクシングの経験が必要だった。負けるべき相手に負けた。

ビクトル・カジェハス、あまり知らない選手だったが、フェネクの言葉につられて調べてみるとほぼKOのプエルトリカンの元世界王者。ロケットのように後方に弾き飛ばしてノックアウトとはこれの事だろう。

負けたロリス・ステッカという選手は55勝37KO2敗で世界に届かず引退している。
2敗ともにビクトル・カジェハスにTKO負けであった。

両者ともに数奇にして過酷すぎるプロキャリア・・・

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