忘れられない、忘れてはならないボクサーを残すために記録する。既に記録した。しかし己のために改めて記録し直す。
2016年のリオデジャネイロオリンピックは、フィラデルフィアの金メダリスト、デビッド・リードにとっては記念すべき20周年だ。
これは、デビッド・リードが今日、どこにいるかの物語だ。
その部屋は小さく、薄暗いが清潔
カーテンが常に閉じられているその小さな部屋には薄型テレビ、本や雑誌が多いが部屋自体は空っぽで、存在感も個性もない。
デビッド・リードにはこれがいい。1996年、アトランタオリンピックの金メダリストはここで修道院生活のような暮らしをしている。ここ、ミシガン州マルケットのささやかな2部屋のアパートで9年間暮らしている。外出することはめったにない。
彼の日々は一人で様々な本や雑誌を読むことに費やされる。一人で食事し一人で問題を解決し一人で教会に通う。
これがリードが作った安全地帯だ。自分がどこにいて、ここにいれば迷子にならない事も知っている。
100万ドルの契約金を手にHBOでデビューしたフィラデルフィア出身の男は、ホームレスのシェルターで感謝祭の夕食を食べた。ミシガン州の歴史上最も暑い夏のある日、アメリカのオリンピックの英雄は一人、車の中で死にかけた。
それは暗黒の時代、リードが友人や家族への信仰を失った瞬間だ。もはやそれは彼の人生の一部ですらない。全てを失った。
リードはこの瞬間以来、ほとんど記憶がない。
2005年のあの暑い夏の日を覚えていない。車のシートに座って、本のページをめくり汗をかいた。彼の身体に何が起きたのか覚えていない。
病院でリードは生き残り、心臓は動き始めたが、彼は回復していない。
今日、リードはファイターだった頃より30ポンド重い。よく動き回るが彼の話しは遅く、時々止まり、言葉が出て来ない。鬱病と深刻な双極性障害を患ったリードには、良い日もあればそうでない日もある。
これが1996年のアトランタオリンピック金メダリストの物語だ。
キューバのアルフレド・デュベルゲルをワンパンチノックアウトして、世界的な名声を得たリードは、アメリカ唯一の金メダリストとなった。チームメイトにはフロイド・メイウェザーJr、アントニオ・ターバー、フェルナンド・バルガスらアメリカのトップスターがいたが、その中でもリードは黄金の主役だった。
五輪決勝を見た人はマーブ・アルバートの叫び声を忘れない。
「デビッド・リードこそ未来だ!」
勝利の瞬間、リードはリングをジャンプしコーチ兼メンターのアル・ミッチェルを抱きしめ、小さなアメリカの国旗を振りかざした。北フィラデルフィアの荒廃を生き延びた、優しい少年のおとぎ話がそこにあった。
それは人生最良の時間であり、ファンにとっても大切な瞬間だった。しかしリードはそれら黄金の記憶を押しのけて、外の世界からの撤退を決めた。
リード
「私は・・・自分で・・・自分が・・・」リードの言葉は止まり、会話もままならない。
「私は・・・最近はあまりやっていない・・・教会にいます。一人暮らしで一人で・・・ミシガン州のマルケットにアパートを持っています・・・何もしません・・・ある時は、アル(アル・ミッチェル)とトレーニングしていたけど・・・ボクシング・・・はしていません。トレーニングもコーチもしたくありません・・・私は目が悪く・・・もう戦えません。ボクシングは好きです。子供の頃に・・・ボクシングが好きになりました。・・・しかし十分稼ぐことができませんでした・・・だから、今はボクシングとは何も関係がありません。」
「ボクシングとは全く関係ありません。」
リードは人の目をみて話すのが苦手だ。垂れ下がった左瞼にコンプレックスがあるのだ。今は現役時よりは幾分よくなったようにみえるが、彼はそうおもっていない。それがリードが外出を好まない理由のひとつでもある。雑誌や本に囲まれた自分のシェルターに閉じ籠る。
リード
「身も心もすぐれません・・・最低限太らないように運動するだけであとはただ本を読んでいます・・・私の人生はボクシングとは全く関係がないということです・・・その他は大丈夫です。」
Vol.2に続く。