ロナルド・ライトは生涯地味、玄人受けの選手だったが、キャリア晩年以外にほとんど負けがない。敗北も際どいものが多くKO負けは一度もない。特別幼い時期からボクシングを始めたわけではなさそうなのに、あの匠の技はどこから手に入れたのだろう。
当時ボクシング界最大のスターの一人だったシェーン・モズリーがオスカー・デラホーヤとの再戦を制した時、ライトは次の対戦者候補だった。しかしデラホーヤとの3戦目が計画されたが交渉は決裂、デラホーヤはミドル級に階級を上げる道を選んだ。他の候補にリカルド・マヨルガがいたが、マヨルガが負けた事で遂にライトに10年間待っていたチャンスが訪れた。
戦いはデラホーヤ戦の半分のファイトマネーで行われた。
2004年3月13日にシェーン・モズリーとWBA・WBC・IBF世界スーパーウェルター級王座統一戦というビッグマッチを行い、これに判定で勝利。モズリーとは同年11月20日にリターンマッチとしてWBAスーパー・WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチが行われたが、これにも判定で勝利する。
ライトはモズリーが彼に与えたチャンスに感謝している。
ライト
「遅かれ早かれ、この時が来るとおもっていました。今日までモズリーは他のファイターには出来ない事を示してくれたので頭が下がる思いです。私が誰であるのか証明するチャンスをくれた。彼は自分がベストだと言い、私は自分がベストだと言った。そうやってリングを共有した。ファンを巻き込んだ素晴らしいファイトになった。」ライトはアンダードッグだったが、誰もが間違いであることを証明してみせた。
ライト
「誰もがシェーン・モズリーを知っていた。多くの人はウィンキーにはチャンスがない、パンチがない、勝てないと言った。人々が私に出来ない事を教えてくれるのがうれしかった。それが私の闘志をかき立てるからです。」モズリーに対する勝利はライトにとってキャリア最大、スーパースターのフェリックス・トリニダードとのペイパービューに繋がった。ライトはスーパーウェルター級の王座を返上し、ミドル級に階級を上げた。
2005年5月14日に行われたフェリックス・トリニダード戦、ライトは3-0の大差判定で勝利し、WBC世界ミドル級王座への指名挑戦権を手に入れた。
ライト
「トリニダードとの試合は素晴らしいものでした。凄まじいパンチ力でリカルド・マヨルガを破壊していました。人々は再び、ウィンキーは勝てない。トリニダードのパンチ力に比べてウィンキーは非力だと言いました。だから私は強くパンチを当ててやろうと思いました。けれど私は決してノックアウトは狙わない。12ラウンド相手を打ち負かすことが好きです。」ライトは言葉通りにほぼシャットアウトで勝利した。
ライト
「簡単な試合になるとはおもっていませんでしたが、この試合のために懸命にトレーニングしたので自信がありました。試合前の記者会見でトリニダードと友人になりました。だから彼を傷つけたくないと同時に勝ちたいというクレイジーな心境でした。」この勝利を手土産に、2006年6月17日、WBC・WBO世界ミドル級王者ジャーメイン・テイラーに挑戦するも、1-1の判定ドローで王座獲得ならず。
多くのファンにはライトの勝利にみえる内容だった。
ライト
「引き分けはフェアではなかった。私は2階級で議論の余地なき統一王者になれたはずだった。間違いなく勝ったとおもいました。」しかしウィンキーは後悔はないと言い、テイラーとの再戦を断り14年ぶりに地元でフランス時代の友人だったアイク・クオーティーと戦い、大差判定で勝利。
これがライトのキャリア最後の勝利となった。
2007年7月21日、元WBA・WBC・IBF・WBO世界ミドル級スーパー王者バーナード・ホプキンスと170ポンドのキャッチウェイトで対戦し、0-3(112-116、111-117、111-117)の判定負け。
2009年4月11日、1年8か月ぶりの試合でポール・ウィリアムスと対戦し、0-3(108-120、109-119、109-119)の大差の判定負け。
2012年6月2日、3年ぶりとなる試合でピーター・クイリンと対戦し、0-3(91-98、91-98、92-97)の判定負けを喫し、同月5日、現役引退を表明した。
彼らは皆当時ピークのトップファイターたちだった。
キャリアを振り返り、ライトにはやり残したことも後悔もほとんどないと言う。最終的にはお金を稼ぐことが出来、価値ある遺産を築き、殿堂入りでその功績は不滅のものとなった。
ライト
「殿堂入りのセレモニーをただただ楽しみたいです。私はそこへ行き、家族、友人、全てのファンと心から楽しむつもりです。」
引退後のライトの生活は順調そうだ。
ゴルフ三昧の日々を送っているという。
グループホームに世話にならない障害者支援のビジネスをしているが、ビジネスマンはボクサーより遥かに難しいと言っている。
元々ワシントンDCという都会育ちだったので、田舎に引っ越すのが嫌だったが1年で慣れた。チームスポーツよりも1対1の男のスポーツであるボクシングが好きだったが、アマチュアで辞めるつもりが契約金に目がくらんだ。試合中はアドレナリンが流れているので打たれても痛みを感じない、打たれることが怖いとおもったことがない、ただ翌日に痛くて地獄をみるのだそうだ。
アメリカを出て世界中で戦っていた頃は暗中模索でかなり辛い時期だったが、そういう苦労をしてきたからこその強さ、大人の品格が備わっていたような気がする。
「考える余裕などなかった。ただ目の前の敵を倒していけばいつか必ずチャンスはやって来る。」
アイク・クオーティーのところで出てきたが、鉄壁ガードとジャブのスタイルが共通する。
あれはフランス仕込みだったのだろうか。
尊敬できる孤高のテクニシャンだった。