陰陽師/(アクション)ジョン・デビッド・ジャクソン

決して遠い過去の選手ではなくリアルタイムに存在した選手だが、あまり記憶にないのは試合を観る機会が少なかったからだ。30戦以上無敗で安定王者に君臨してはいたものの、なぜか情報が少なくあまりきちんと観たことがなかったのはバディ・マクガートと同じだ。

そういう日陰の天才、脚光を浴びることができなかった存在の方がいい指導者になるのは世の常だ。

一部のボクサーは決してブレイクアウトせず、その才能に値する注目を集めることが出来ない。ジョン・デビッド・ジャクソン、デンバー生まれのファイターは2階級を制した名王者であるにも関わらず、自分のスタイルが万人受けするものでない事を認めている。

ジャクソン
「私のスタイルはヨーロッパで高く評価されました。彼らは熟練の技巧派が好きです。今UFCは過激なバイオレンスで人気を博していますがボクシングも同じです。私のスタイルはアメリカのテレビ向けではなかった。

私は試合に勝った。簡単に勝ち続けた。それは往々にして退屈な試合に映りました。私は拳に慢性的な怪我を抱えていたのでもっとパワーファイトが出来たのですが、若い頃のように強打に頼りませんでした。」

ジャクソンはキャリアの初期にフィラデルフィアに行き、メルドリック・テイラーなどとのスパーリングで腕を磨き、東海岸のみでキャリアを築いていった。1987年のブルーホライズンの夜の試合を最高のパフォーマンスに挙げている。テレビでは見られなかったが、ここにビデオテープがある。シドニー・アウトローという相手、フィラデルフィアのファイターとのこの日の夜の試合は美しかった。

ジャクソン
「アウトボックス、ファイト、しっかり使い分けて彼のために用意された試合で完璧に打ち負かした。6ラウンドで彼をストップしました。私はアンダードッグでしたがしっかり自分を証明することができました。その時自分はピークだと感じました。」

デビューから5年の歳月を経て、1988年12月8日、WBO世界スーパーウェルター級初代王座決定戦で元WBC世界スーパーウェルター級王者ルペ・アキノと対戦し7回終了時棄権で王座獲得に成功。アキノはストップ負けはこれが初めてだった。

ジャクソンは4年間で6度の防衛に成功した。後のWBA世界スーパーミドル級王者スティーブ・リトルや敵地イギリスで後のWBO世界ミドル級王者クリス・ピアットを完封した。

https://www.youtube.com/watch?v=1MA4UrtYlpw

1993年10月1日、WBA世界ミドル級王者レジー・ジョンソンと対戦し12回3-0(2者が115-114、115-113)の判定勝ちで2階級制覇を達成。

残念なことに、ジャクソンはWBAの認可なしに試合をしたと糾弾され王座を剥奪された。

1994年12月10日、モンテレイでWBA世界ミドル級王者ホルヘ・カストロと対戦。(95勝4敗2分)壮絶な打撃戦はほぼジャクソンが一方的に試合を進め有利にたっていたが9回に歴戦の王者カストロが猛反撃を開始し、そのままレフェリーがストップ。9回2分34秒大逆転TKO負けを喫し王座返り咲きに失敗。

ジャクソン
「誰もが私が足を使って、ダンスして、見栄えよく判定勝ちしようとしていると言ったので、打ち合いを選択したのです。私は必要に応じて激しく殴り合うことができる。相手の得意な土俵でも自分の方が優れていることを証明したかったのです。」

試合はジャクソンが一方的に支配していた。
もうカストロはグロッキーでストップ負け寸前だった。

ジャクソン
「自分のペースで試合が出来ていたのですが油断してしまいました。判定で勝つのは容易いことだったが、テリー・ノリスやロイ・ジョーンズJrが出来なかった事(カストロをKOする事)がやりたかった。彼をストップしたかった。」

ジャクソンはその夜、怒りで興奮していた事を認めている。

ジャクソン
「WBAが私のタイトルを剥奪しました。私は彼を打ち負かしてベルトを間違った男に与えたことを示したかった。一瞬の油断で私は捕まりました。」

9ラウンド逆転KOで敗北したにも関わらず、この試合はリングマガジンのファイトオブザイヤーに選ばれた。

今では冷静なジャクソンだが、あの試合はもっと早く止めるべきだったと主張する。

ジャクソン
「ファンは知らないだろうが、最初のダウンでキャンバスに頭をぶつけたのが致命傷だった。起き上がって2度のダウンを食らった。スタンレー・クロストドロー(レフリー)、彼がいけない。カストロ側の人間だ。彼は試合をもっと早く止めるべきだった。カストロは両瞼をカットし、鼻を骨折し、歯を2本折っていた。」

しかし皮肉なことにこの敗北で、ジャクソンはファンに認められようやく名声を獲得することになった。

ジャクソン
「ファンが私のスタイルをもっと前に評価してくれていたらとおもう。ランナー、安全第一というレッテルが貼られる前に。私はそのレベルで人々に観てもらい、ファンから尊厳を得たかった。」

1997年4月19日、IBF世界ミドル級王者バーナード・ホプキンスと対戦するが一方的に支配され7回2分22秒TKO負けでWBAに続く王座獲得に失敗。しかしジャクソンは、以下で述べるベストボクサーにホプキンスを入れていない。

ジャクソン
「バーナードは総合的に優れたファイターだった。彼がボクシングを始めた頃はタフで荒っぽいだけでテクニックなんてまるでなかった。私たちがスパーリングした時、彼は歳は食っていたが、ゲームを学ぶとう点ではまだまだ若かった。時間をかけてキャリアを積み、素晴らしいファイターに成長したんだ。だからそれを確認するまで彼を評価することはできなかった。私たちが戦った時、バーナードは4度防衛中で技術を学んでいる段階だった。彼は防衛を重ねる過程でどんどん強くなっていった。」

ジャクソンは人気や運に恵まれず、大きな試合が出来なかった事を悔やんだ。

ジャクソン
「スーパーウェルター級でテリー・ノリスやジャン・フランコ・ロッシ、ダーレン・ヴァン・ホーンなどの人気選手と戦ってみたかった。マシュー・ヒルトン、ジュリアン・ジャクソンだっていい。彼らと肩を並べる場所にいたのに、戦うチャンスがなかった。」

ジャクソンはプロボクシングにおけるビジネス、政治がこれらの試合を妨げたと考えている。

ジャクソン
「ファイター同士は戦いたかったとおもう。マネージャーやプロモーターがなんらかの理由で阻止したんだ。私が勝とうが負けようが悔いが残るよ。自分自信をもっと世界に証明したかった。それらの試合が私自身のレベルを高め、大きな財布にもなっただろうに。」

ジャクソンはキャリア晩年に3連敗を喫し、36勝20KO4敗という記録を残して引退した。カストロに逆転ノックアウトされるまで無敗だった。

今では世界クラスのトレーナーとして活躍している。

WBO世界スーパーウェルター級王座(防衛6=返上)
WBA世界ミドル級王座(防衛0=剥奪)

ライバルについて

ベストスキル レジー・ジョンソン

よくスパーリングをしましたが彼はすごいジャブ、ボディパンチャーで天才的なファイターでした。私が戦った中では彼がトップで、スピード、滑らかさ、ディフェンス、ボクシングセンス全てで最もレベルが高く、自分に似ている男でした。

ベストジャブ ジョンソン

もう一度言います。レジーはオールラウンドなファイターで、素晴らしいジャブ、ナチュラルな才能がありました。

ベストディフェンス ジョンソン

彼は当時ほとんど誰にも負けていなかっただろう。彼にクリーンヒットするのは本当に難しかった。鏡をみているようだった。彼を乗り越えるのは苦労した。レジーは過小評価されているファイターだ。

ベストチン ホルヘ・カストロ

すごい打たれて傷ついたはずだけど途方もない強靭なアゴを持っていた。ベストパンチを当てていたので私は彼をストップする最初の男になるとおもっていたけど、恐ろしく頑丈で試合を続けた。脱帽だよ。

ベストパンチャー ジェラルド・マクラレン

スパーリングをしたマクラレンだね。ジェラルドはジムではあんまり激しく練習しないんだけど俺はなぜか知っていた。パンチ力が凄まじいんだ。あいつは途方もないパンチャーだった。打たれて歯が全部折れたかとおもった。俺はアウトボクシングを続けるしかなかった。頭のてっぺんから足の爪先まで全身が震えるようなパンチだった。

ハンドスピード メルドリック・テイラー

テイラーだ。フィラデルフィアでたくさんスパーリングした。ものすごいハンドスピードの持ち主だった。コンビネーションを束になって打ち続けることができるんだ。すごくいいディフェンスの練習になったし彼はたくさんミスショットをしたから互いに成長できたんじゃないかな。実際の試合でハンドスピードで俺を悩ませた奴はいなかった。

フットワーク パーネル・ウィテカー

彼ともたくさんスパーリングをした。いつもチェスのようなスパーだった。実際の試合でフットワークのすごい奴はいなかった。

スマート ジョンソン

彼との夜は頭脳を駆使して高度なボクシングをした。もし、そういう純粋なボクシングに興味がないならあの試合は観ない方がいいだろう。

屈強 カストロ

ホルヘ以外にありえないだろう。彼はとてもボクサーの体型にはみえないけど、フィジカルがとんでもなく強い奴だった。

総合 ジョンソン

俺の鏡かのように滑らかなサウスポーだった。いいパンチも持っていた。俺と試合した時のレジーは階級のベストだった。ベストなレジーに勝てたことは大きな達成感だった。

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名手、名将にあらずと書いたが、ジョン・デビッド・ジャクソンは名手にして名将になった。だから、バディ・マクガートやロベルト・ガルシアに近い。

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ミーハーなファンの支持を得られなかった、地味で強い、不人気王者にカテゴライズされていたのだということがようやくわかった。

とても堅実、堅牢なキャリアで晩年まで無敗をキープしていたが、ホルヘ・カストロ戦でまさかの大逆転負けをしたことで知名度が上がるという皮肉な運命だった。

ボクシングのクオリティとしては断然上なジャクソンやレジー・ジョンソンだが、ベストチン、屈強の常連、ホルヘ・カストロは彼らを連破し竹原慎二に負けることとなる。数奇な巡り合わせだ。竹原の相手がジャクソンやジョンソンだったら恐らく勝てなかっただろう。

そして、こういう天才肌のスリックなアスリート系黒人を潰すのがカストロみたいな屈強さだけが代名詞の男なのだ。大抵。

読めばジャクソンの適正体重はスーパーウェルター級あたりで、晩年は30を半ばを過ぎ、ミドル級やスーパーミドル級で精彩を欠いた末の敗北だけというキャリアだった。

ジャクソンが評価するレジー・ジョンソンは、ロイ・ジョーンズやジェームズ・トニーらの有名どころに勝てなかった地味な男くらいの印象しかないとおもうが、誰もが認める大変な実力者だった。そういう記事をあっちこっちで読んだのでいつの日かレジー・ジョンソンについても書いてみたい。

誰にも読まれないんですが・・・

ジョン・デビッド・ジャクソンのような過小評価された天才の方が、ボクシングも人生も俯瞰でき、インテリジェンスで優れた感性を持ち、セカンドキャリアも上手くいくことが多いのは気のせいではないだろう。

改めて彼のキャリア、ボクシングをじっくり見直します。

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