賢者の哲学に屈した男/Cincinnati Kid(シンシナティの子供)ティム・オースティン

Cincinnati Kid(シンシナティの子供)ティム・オースティンはかつて、ドンキングの馬小屋の控えめな宝石だった。

https://www.youtube.com/watch?v=yg85R8bp_8g

ティム・オースティン(Tim Austin、1971年4月14日 - )は、アメリカ合衆国の男性プロボクサー。オハイオ州シンシナティ出身。第7代IBF世界バンタム級王者。1992年バルセロナオリンピックボクシングフライ級部門銅メダリスト。身長は166cmと小柄だが180cmとリーチの長さを生かした連打・ストレートを武器に活躍し、KO率は80%と高いハードパンチャー。

1990年全米国際ゴールデングローブスフライ級部門で優勝を飾る。翌年1991年にも連覇を飾る。その年に行われた全米アマチュア選手権でも全米王者になる。

翌年1992年バルセロナオリンピックボクシングフライ級部門アメリカ代表に選出されて出場。1回戦はブルガリアのユリヤン・ストロゴブと対戦し、判定で勝利を収め2回戦はタンザニアのベンジャミン・ムワンガタと対戦し、判定で勝利を収めベスト4に進出。 準決勝でキューバのラウル・ゴンサレスと対戦するが、初回に打ち合うも一方的に打たれまくった所をレフェリーストップで敗れるが銅メダルを獲得した。メダル獲得後オースティンはプロに転向することを発表した。最終的なアマチュア時代の戦績は122戦113勝9敗。

ティム・オースティンは最も過小評価されているファイターの一人だ。かつて、リングマガジンでファイターオブザイヤーを決める決議で10票が集計され、オースティンは1票だけ獲得した。つまり、その一票を投じたのは私だ。(記者Max Kellerman)

オースティンは優れたアマチュアキャリアを経て10試合連続KO勝ち、1997年7月19日、テネシー州ナッシュビルにあるブリヂストン・アリーナにて世界初挑戦。21戦全勝の王者ムブレロ・ボティーレと対戦。8回にダウンを奪うと最後は連打をまとめてレフェリーストップを呼び込み8回2分20秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功。

Cincinnati Kid(シンシナティの子供)はアダン・バルガスやアーサー・ジョンソンなど(ささやかなファイトマネーをもたらしただけ)に対して9度の防衛に成功。しかし周辺階級でビッグマッチが実現することなくドン・キングのアンダーカードに埋もれたままだった。当時ビッグネームにジョニー・タピア、ダニー・ロメロ、マルコ・アントニオ・バレラ、エリック・モラレスらがいたが、試合は決して実現しなかった。

この小さなCincinnati Kid(シンシナティの子供)は本格的な王者であるにも関わらず、お金を稼ぐことが出来なかった。この国(アメリカ)ではバンタム級に関心のある者はほとんどいない。

かつてジョー・フレージャーはマーベラス・マービン・ハグラーにこう言った。

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