元世界フェザー級王者、(スモーク)デリック・ゲイナーがリングに足を踏み入れた時、いつもそこに煙が、火があったと人々は言う。長身サウスポーだったゲイナーは優れたスキルをスピードを駆使し、90年代半ばから2000年代のフェザー級を席巻した。
フロリダ州ペンサコーラ出身のゲイナーは故郷の仲間であるロイ・ジョーンズ・ジュニアといつも比較され、同じリングに上がってきた。ジョーンズはよく「スモーク」が一緒じゃないと戦わないと言った。
1990年7月にプロに転向したゲイナーは6年間で16勝3敗という記録を築いた。
1996年6月、元世界フェザー級王者のケビン・ケリーと対戦、これがはじめてHBOで放映された試合だった。ゲイナーは偉大な元王者に対しうまく戦い、距離を支配した。3回と5回にダウンを奪われたにも関わらず4回にケリーからダウンを奪い返し、右目を完全に閉じさせた。ダウンの応酬となる白熱の試合はケリーが決着をつけたが、ゲイナーの株を大きく上げた。
https://www.youtube.com/watch?v=RNskNol_2DA
その後6戦全勝し98年、7月18日。MSGでケリーとの再戦のチャンスを掴んだ。ロイ・ジョーンズ・ジュニアVSルー・デル・ヴァーレとのダブルメインだった。ゲイナーはケリーから何度もダウンを奪い、大差ユナニマスで勝利、試合後両者は抱き合い、健闘を称え合った。
この勝利で世界戦のチャンスを掴んだゲイナーは時の王者、ロベルト・ガルシアへの挑戦が内定していたが、ガルシアの都合により試合当日になってキャンセルされた。
大いに失望したゲイナーは、その夜代役相手に6回KO勝利を収めた。2000年3月、遂に世界挑戦のチャンスが訪れた。IBFスーパーフェザー級王者。ディエゴ・コラレスに挑戦、序盤アウトボクシングを試みるも、コラレスは3回にゲイナーを2度ダウンさせた。ゲイナーは続行を希望したが、レフリーのジェイ・ナディが早いストップをし王座獲得に失敗。
https://www.youtube.com/watch?v=259V0Dsvceo
半年後、ゲイナーは再び世界挑戦のチャンスを手に入れた。
タフで難攻不落なフェザー級王者、フレディ・ノーウッドへの挑戦。試合は互いがローブローを応酬しあう荒れた展開となった。ノーウッドの悪質なローブローに耐えたゲイナーは2度のダウンを奪う。ノーウッドのローブローにゲイナーも報復し、嫌倒れしたノーウッドに対し、おかしなことにレフリーは20カウントを数え試合を止めた。珍しい結末を経てゲイナーは遂に世界王者に輝いた。
メインイベントでロイ・ジョーンズが入場する前の控室でロイと共に勝利を祝った。
2003年11月1日にファン・マヌエル・マルケスに7回ドクターストップ判定(実質戦意喪失のTKO)で敗れるまでタイトルを4度防衛した。その後、クリス・ジョンにも敗れ2連敗となったゲイナーは戦い続けるも精彩を欠き、2012年9月の勝利を最後にグローブを置いた。
https://www.youtube.com/watch?v=Qg0JJADpXgo
今日、ゲイナーはコミュニティの支援活動に情熱を費やしている。
2013年にFITNationと呼ばれる小児肥満プログラムを開始、ティーンエイジャー向けのチャータースクールを運営しながら友人のロイ・ジョーンズと共にボクシングへの復帰も検討している。通算戦績43勝25KO7敗1分
2013年の記事で現在47歳のゲイナーなので復帰はないだろう。
誰にとっても不気味でやりにくい長身のサウスポーだったが、見た目ほどの活躍が出来なかったという印象だ。長身サウスポーであるだけでなく、ジャブやストレートがキレキレシャープで毒があり、近づきがたい、現在のゾラニ・テテのような選手だった。
キャリアの勝負となった相手が
ケビン・ケリー
ディエゴ・コラレス
フレディ・ノーウッド
ファン・マヌエル・マルケス
だったのだから仕方がない、順当な結果といえるのかもしれない。
しかし、インドネシアのクリス・ジョンまでゲイナーを攻略しているのが面白く(ジョンは殿堂入りを果たすだろう)
僅差であっても
ファン・マヌエル・マルケス
デリック・ゲイナー
に勝ったクリス・ジョンはやはりすごい。