8月31日(日本時間9月1日)絶対王者、P4Pナンバーワンのロマチェンコに挑むはロンドン五輪金メダリストのルーク・キャンベル。多くの人がロマチェンコの勝利を信じて疑わないだろうこの試合を少しでも興味深いものにすべく、ルーク・キャンベルの物語をお届けします。
ルーク・キャンベルは彼自身の説明によると、ヨークシャー州のハルにあるセント・ポールボクシングアカデミーに足を踏み入れた時、13歳の不機嫌でズングリした失読症の子供だったという。
ルーク
「ボコボコにされた」事実、キャンベルは最初のアマチュアで10回戦って7回負けた。しかし彼は諦めなかった。アルファべットを覚えた子供のように、ボクシングに、ジムになにかのリズムを覚えた。
ルーク
「理由はわかりません。とにかくボクシングが好きで、昨日より今日強くなりたかったのです。」キャンベルの祖父はアイルランドでボクサーだったが、それに影響されたわけではなかった。他の多くのファイターと違って兄弟も父親もボクシングをしていなかった。
父のバーナード・キャンベルは炭鉱夫だ。人工ライトに照らされて、空気が薄く酸素が供給された地下トンネルで、長時間肉体労働をしてきた。労働災害のわずかな金額、バーナードを暗い地下から救い出したのは、脊柱から7つの椎間板を取り除くという重い病気だった。
ルーク
「残酷な仕事です。」なぜ、バーナードは息子に残忍なボクシングをさせるのか、彼はボクシングファンではない。TVでボクシングをみたこともなかった。しかしルークが戦い始めると全ては一変した。
今日のボクシングの親子鷹とは異なり、キャンベル親子に遺伝的な素質があったとは考えられない。長男は兵士になり、3男は漁師になった。しかし次男のルークについては、超自然的な感覚があった。
バーナード
「ライオンになれ、お前はオリンピックの金メダルを獲得するんだ。」ルークは父親の言葉を信じなかった。2008年、北京オリンピックへの出場が断たれた時、「ねえ、言ったでしょ」と失望を伝えた。
バーナード
「お前はオリンピックの金メダリストになる。もう少し待て。」4年後、ロンドンで開催されたオリンピック。ボクシング界は2大会連続金メダルのワシル・ロマチェンコのプロ転向で賑わっていたが、ロンドンの話題の中心はバンタム級で1世紀以上ぶりに金メダルを獲得したルーク・キャンベルだった。
ルーク
「父は私以上に私を信じていました。」1年後、長年のガールフレンドであり現在の妻リンジーとの間に2人の子供に恵まれた。MBE(大英帝国最優秀勲章)に任命され、イギリスの有名人ショー「ダンシング・オン・アイス」でスポットライトを浴びた。
ルーク・キャンベルは将来有望なプロスペクトであり、イギリスのゴールデンチャイルドになった。
父親のバーナードは息子の試合の観戦に行ったことはない。誰かが持ってくる録画をみるだけだ。それでも、アマチュアの頃と同じようにルークに忠告する。
バーナード
「ライオンになれ、腕を高く上げて、お前に相応しいものを奪って来い、お前は世界王者になる。」実際は”世界王者”という生易しいものではなかった。
父親が成長した息子に託したのは全てだった。4本のベルトを統一する特別な世界王者になる事だった。2014年、バーナードは癌を宣告された。炭鉱夫の仕事が原因とおもわれる。確実な治療法はない。癌の進行だけが確実のようにおもわれた。最初にリンパ節、次に肺・・・
結局のところ、バーナードもルークもファイターだった。
ルーク
「病院の誰もが父を「チタニウムマン(漫画のキャラクター)」と呼ぶようになりました。死の床にいてもいつも蘇るからです。医者はいつ死んでもおかしくない状態だと言います。それは1日、数時間、数分、数秒先かもわかりません。けれど父はその時を迎えても何度も蘇りました。何度も、何度も。激情のジェットコースターのようでした。」闘病は何年も続いた。
バーナード
「お前が世界王者になるまで俺はどこへも行かない。4つのベルトのうち1つでも。」ルークは父親を信じ、2017年夏、ホルヘ・リナレスと戦うためにアメリカでトレーニングを開始した。試合の2週間前に実家から電話があった。
58歳、バーナード・キャンベルは息を引き取った。
ルーク
「私は一人で過ごした。泣きながら散歩した。」ルークは父親の死を誰にも言わなかった。言い訳を好まず、リナレスに心の隙を突かれたくなかった。しかし実際はルークがどんなに勇敢であっても、心は弱っていた。
ルーク
「小さなパニック、動悸がありました。突然涙があふれ出て泣き出してしまいました。肉体的にも感情的にも限界で、涙がどっと流れてきました。」ルークは2ラウンドにダウンした。
しかしそこから彼は戦い始めた。結果的にはリナレスがスプリットで勝利した。ルークは自分自身が許せなかった。
ルーク
「本当はイギリスに戻りたくなかった。」それでも2年後、彼は想像を超える形でイギリスに戻ることになった。彼の人生最大の栄光の地、ロンドンオリンピックからほど近い場所で、2本のベルトを持つ世界最大のファイター、ワシル・ロマチェンコと対戦することが決まった。
ロマチェンコは子供の頃から父親のトレーニングを受けてきたエリートとして有名だ。
試合は圧倒的にロマチェンコが有利と言われている。しかしルーク自身の強みは、身長とリーチのアドバンテージだ。ロマチェンコはナチュラルなライト級ではないと自ら認めている。リナレスとペドラサ戦で苦戦が伺えた。ルークは自分がリナレスよりも優れたファイターであり、ペドラサよりもパワフルだと主張する。
ルーク
「自分にはフットワーク、ハンドスピードがある。フェイントや罠を仕掛けることもできる。」シェーン・マクギガンという新たなトレーナーの下で人生最高のキャンプを送った。
最後に父親の存在・・・
ロマチェンコの父親、アナトリーがコーナーにいるだろう。しかしルークの父親、バーナードは彼の心の中にいる。
ルーク
「父がこの試合で何を言うとおもいますか?ライオンになれ、そして全てのベルトを手に入れろ。
今回、私は父のその言葉を信じている。」