フロイド・メイウェザーの原点、バレラやモラレス、パッキャオなど軽量級が熱く人気の時代に一人の個性的なメキシカンがいた。ヘスス・チャベス、小柄で色白な風貌から(チノ=中国人)と言われていた激しくも愛らしいファイターだったと記憶しているが、彼のニックネームは(エルマタドール)闘牛士、いや闘牛そのものなファイトスタイルで知られた彼の人生は決して愛らしいものではなかった。
ボクサーの人生は絶頂期もあれば暗黒期もある。勝利のスリル、敗北の痛み、リングに入る時と同様にリングを出られない時もある。それら全てを経験したといえる一人のファイターが元WBC世界スーパーフェザー級王者、元IBF世界ライト級王者の(エルマタドール)ヘスス・チャベスだ。
チャベスは90年代後半から2000年代にかけて階級のベストと言われるありとあらゆる男たちと戦い続けてきた。前進をやめず、アクション満載で攻撃的なそのスタイルに凡戦などほとんどなかった。
チワワ州デリシアス出身で後にイリノイ州のシカゴで育ったチャベスは16歳で武装強盗に参加、4年間刑務所で過ごしメキシコに強制送還された。不法入国で米国に戻り、テキサス州オースティンに住み、そこでボクシングのキャリアを始めた。
1994年プロデビュー、最初の4年間で22勝1敗、NABF北米スーパーフェザー級王座タイトルを獲得、1997年は飛躍の年となった。ウィルフレド・ネグロンに5回TKO勝ち、レノックス・ルイスVSアンドリュー・ゴロタのアンダーで、元世界王者のトロイ・ドーシーをTKOで下した。
徐々に頭角を現していたチャベスだが、その勢いのまま未来が明るく開かれることはなかった。1997年後半、チャベスは再びメキシコに強制送還され、高い位置を逆戻りし3年間ローカルファイトをしていく事になった。2000年までに10連勝しボクシングを諦めなかった。それをみた多くの支援者がチャベスにアメリカ行きのビザを発給するように働きかけた。その中の一人は、当時テキサス州知事で後のアメリカ大統領、ジョージ・W・ブッシュだった。
NABF北米スーパーフェザー級王座同王座は約5年間近く、計11回防衛を果した。その後ようやく世界王座挑戦のチャンスを掴み2001年11月10日にWBC世界スーパーフェザー級王者フロイド・メイウェザー・ジュニアに挑戦するが健闘むなしく9回TKOで敗北。
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その後4連勝、2003年3月22日にWBCの指名挑戦者決定戦に勝利し、同年8月15日にシリモンコン・シンワンチャーを12回判定で下し、WBC世界スーパーフェザー級王座を獲得。しかし、同王座は2004年2月28日の初防衛戦でエリック・モラレスに敗れて陥落。
序盤からアクション満載の試合は2回にチャベスが2度ダウンを奪われるも奮闘、肩と膝を故障しながらの戦いだった。
怪我の影響で15か月間リングを離れたチャベスは階級をライト級に上げる。2005年9月17日にIBFライト級王者レバンダー・ジョンソンに挑戦。この試合はチャベスがライト級に階級を上げた後の初戦だったため、チャベスの仕上がりを不安視する声が多かったが、結果は11回TKOで勝利し、IBF世界ライト級王座の獲得に成功した。
https://www.youtube.com/watch?v=r_D-0pQwSiw
しかしチャベスの執念が生んだ偉大な2階級制覇となったこの試合は祝福されるものではなかった。
敗者となったレバンダー・ジョンソンが控室で意識を失い病院に運ばれた。脳出血の緊急手術、昏睡状態を経て5日後に帰らぬ人となった。チャベスはこの悲劇に大きな衝撃を受けた。ジョンソンの家族はそんなチャベスを非難せず事故を乗り越えて戦うことを望んだ。
ジョンソンの死を乗り越えるのに17カ月の歳月をかけてリングに復帰したチャベスだが、チャベスの休養期間に暫定王者になっていたフリオ・ディアスと対戦するも試合途中に膝を痛めて3回KO負け。既に以前のチャベスではなかった。これが事実上のチャベスのキャリアの終わりとなった。
その後もゲートキーパーとして戦い続けるも4連敗、最後は日本で未来のスター、ホルヘ・リナレスに胸を貸し4回終了後、手を痛めそのまま棄権TKO負け。これが最後の試合となった。
通算戦績44勝30KO8敗、チャベスはリングの内外で大きな障害に直面し全てを克服してきた。しかしレバンダー・ジョンソンの悲劇を乗り越えることができなかった。
もし、あの悲劇が起きなければ、彼のキャリアはより長く続いていただろうか。そこには「もし」という仮定しか残されていない。
2階級の世界王者になったチャベスだが、現役当時は一流半の王者という認識だった。王者にしてゲートキーパー、粘り強いブルファイトでタフだが、チャベスを乗り越えないと一流の王者ではないという印象だった。
シリモンコンは100戦近い長いキャリアで、辰吉とこのチャベスだけに敗北した。
元犯罪者、不法入国者として幾多の試練を乗り越えてきた果てに受けた対戦相手の悲劇的な死は、チャベスの張り詰めた緊張の糸を断ち切ってしまったようだ。ヨリボーイ・カンパスと似て、決して倒れぬ不屈の精神を持ったファイターだったが、怪我や故障に泣き棄権という試合が多かった。
最後は生涯初めて訪れた日本でホルヘ・リナレスを引き立ててグローブを吊るした。