階級別 ライト レジェンド

永遠のサンタクロース/(El Mago 魔術師=東京三太)ミゲル・アンヘル・ゴンザレス

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アベル・サンチェスの記事を書いたのも、ヨリボーイ・カンパスやホセ・ルイス・ロペスに寄り道したのも、全てはこの男について書きたかったから。何も見つけることができなかったが、ささやかな記事をみつけたので記録。「東京三太」彼は我々日本人にとってはハンサムなまさに(El Mago 魔術師)だった。

メキシコには豊かなボクシングの伝統があり、この国のファイターとファンはボクシングに大きな誇りを持っている。長年にわたり多くの偉大なファイターを生み出してきたが最も有名なのは間違いなくフリオ・セサール・チャベスだ。長年、スーパーライト級を支配し100戦を超える勝利を達成した。

チャベスが衰えはじめた1990年代半ばから後半にかけて。偉大なチャベスを引き継ぐべく多くの若きメキシカンが台頭したが、その中の一人がミゲル・アンヘル・ゴンザレスだ。

ゴンザレスは90年代のメキシコファイターの傑作だ。ハイクオリティなセンスとテクニックを持つタフなファイターだった。メキシコシティで生まれたゴンザレスは15歳でボクシングを始め、1988年のソウルオリンピックに出場、63勝3敗というアマチュア記録を残し1989年1月、17歳でプロデビューを果たした。

1990年、ゴンザレスは日本の協栄ジムと契約し「東京三太」というリングネームで1年間戦い、圧倒的でハイクオリティなボクシングを日本のファンに披露した。1991年8月19日、ウィリアム・マガヒンと対戦し4回KO勝ちを収めこれが東京三太としてのラスト・ファイトとなった。

25勝23KOとし初めての世界挑戦、パーネル・ウィテカーの返上によって空位となったWBC世界ライト級王座決定戦としてウィルフレド・ロチャと対戦し9回TKO勝ちを収め王座獲得に成功。2回にノックダウンを奪われた末のエキサイティングな試合となった。

後にWBA、WBCのニ団体で世界王者となるジャン・バチスト・メンディと対戦し5回TKO勝ちを収め5度目の防衛に成功。

後のIBF世界ライト級王者レバンダー・ジョンソンと対戦し8回TKO勝ちを収め6度目の防衛。
元IBF世界フェザー級王者カルビン・グローブと対戦し5回終了時グローブの棄権によるTKO勝ちを収め7度目の防衛。
ラマー・マーフィに12回判定勝ちを収め10度目の防衛に成功。

長期安定王者となったゴンザレスはWBC世界ライト級王座返上、スーパーライト級のスター、オスカー・デラホーヤとの決戦に向かった。

1997年1月18日,ラスベガスのトーマスマックセンター
メキシコの誇りをかけて激突した両者はデラホーヤの絶え間ないジャブと左フックが試合を支配。ゴンザレスのジャブもデラホーヤの左目を崩壊させたが、結果はユナニマスでデラホーヤ。42戦目で初黒星を喫した。

勝ったデラホーヤは王座を返上しウェルター級に階級を上げ、それに伴いベルトをかけて次に戦ったのが母国の伝説、フリオ・セサール・チャベスだった。
1998年3月7日、メキシコシティのプラザデトロスで5万人以上のファンを集めたこの戦いは、ゴンザレスの地元だったが、チャベスファンで占められた。停電などのアクシデントがあったがひとたび試合がはじまるとゴンザレスのスピードとスキルが試合をコントロールしていった。

ストレスを感じたチャベスは肘や前腕を使ったり、ローブローを繰り出しダーティーに反撃、チャベスファンもリングにゴミを投げ入れるなどの荒れた展開となった。中盤を支配されたゴンザレスは9回には落ち着きを取り戻し再びチャベスをコントロールしていった。試合は拮抗していたが、ラストの12回はゴンザレスが明確にチャベスを圧倒し、勝利に十分なパフォーマンスを発揮した。ゴンザレスが勝者のようにみえたが、最終的な発言権を持つジャッジはこの試合を三者三様の引き分けとした。

結果に失望したゴンザレスは再戦を要求するとともに、減量苦から階級アップを示唆、プロモーターをドン・キングからアメリカプレゼンツに変えた。

復帰戦を勝利したゴンザレスの次の標的は強打のコンスタンチン・ジューの予定だったが、試合10日前に怪我をし撤退、ジューは代理のキューバン、デオベリス・ウルタドを5回TKOでWBCタイトルを獲得、1999年8月21日に改めて両者の対戦がセットされた。

14か月のブランクがあったゴンザレスは動きに精彩がなく、初回からバッティングで瞼をカットし荒れ模様の試合となった。ジューのハードパンチが試合を支配し、10回ゴンザレスのセコンド、アベル・サンチェスは棄権を申し出た。

その後、再び長期のブランクを作ったゴンザレスはもはやピークになく、伏兵のマヌエル・ゴメスにSD負け、5連続KOで再び世界挑戦の権利を手にするもWBC、WBA、IBF世界ウェルター級王者コーリー・スピンクスと対戦、12回判定負けを喫しまたしても2階級制覇に失敗。WBA世界ウェルター級王者ルイス・コラーゾと対戦も7回終了時棄権によるTKO負け。

世界レベルではこれが最後の試合となった。

WBC中央アメリカボクシング連盟スーパーウェルター級王座決定戦でアレハンドロ・ルイス・ガルシアと対戦し12回判定勝ちを収め王座獲得に成功。2006年10月7日、ウリセス・デュアルテと対戦し10回TKO勝ちを収め初防衛に成功。これが現役最後の試合となった。

2010年9月復帰の噂が囁かれていたものの、後日改めて引退を表明した。

彼が実力に比例する尊厳を得られなかったのはとても残念な事だ。メキシコの伝説、フリオ・セサール・チャベスが自らの栄光を手放す準備が出来ていなかった時代に戦ったこと、バレラやモラレスなどに世間の注目が集まっていたことも不運といえた。

チャベスの偉業には届かなかったが、彼の華麗なスキルとハートは永遠に私たちの「称賛されることなき」リングの英雄伝説に刻まれる。

アマチュア
66戦63勝3敗
プロ
57戦51勝(40KO)5敗1分
WBC世界ライト級王座(防衛10度)

どんな経緯で日本にやってきたのかわからないが、全ての次元が違う美しきファイターだった。彼は大きなリカルド・ロペスか、弟か、端正なマスクと完璧な身のこなし、圧倒的に美しいファイトは度肝を抜いた。これぞ世界王者になるべき世界のエリートなのだと誰もが納得した。

当時、日本ではロシアのハグラー、オルズベック・ナザロフがいたが、相手になるスパーリングパートナーはゴンザレスしかいなかったという。これも大いに納得。畑山や坂本もよかったが、やはり本物の世界はこっちだろ、次元が違う(これを言うと怒られる)

日本を卒業してから無敗のまま世界王者に到達するも、試合にムラがあり日本ではありえないダウンや苦戦などの不安定さもみせた。それでも地力あるゴンザレスはライト級を10度も防衛、階級を上げ、時のヒーロー、デラホーヤに挑んだ。

究極のハンサムエリート対決だが、格差は歴然だった。世界のアイドル、ヒーローはデラホーヤだった。あのジャブの職人ゴンザレスをジャブで上回るデラホーヤに唖然としたものだ。

次に迎える、レジェンドのフリオ・セサール・チャベス戦、これこそ、伝説超えの意義ある試合だったが、勝ちに等しい内容を演じても時代はまだチャベスを支持していた。

寄り道したアベル・サンチェスの記事によると、ゴンザレスは才能豊かで打たれ強さもあったそうだが、メキシコ人の仕事倫理に失望し別れることになる。とあるから性格が難しかったのだろう。ジュー戦前のブランクや試合の棄権で大きな溝が生まれたのかもしれない。デラホーヤやチャベス戦のストレスもあったのだろうか。

ライト級を卒業してからは運にも結果にも見放され、殿堂入りクラスの栄誉を獲得できなかったが、ゴンザレスのスキルセットは殿堂入りに相応しいものだった。

東京三太、なんでこんなエクセレントなボクサーに酷いリングネームをつけるのだと当時は憤慨していたが、クリスチャンであるため「サンタ」の名が入った東京三太のリングネームは本人もお気に入りで、協栄との契約が切れ日本を離れた後も、メキシコのリングで「ミゲル・アンヘル“トーキョー・サンタ”ゴンサレス」とコールされていたという。

ライト級王者として強さを誇りながら、スターへの道を懸けた試合で、ことごとく勝利を逃した。

チャベスに勝ったような内容でも、チャベスにはなれなかった男
超ハンサムで華があるのに人気で相手に及ばなかった男

ミゲル・アンヘル・ゴンザレス=東京三太は私の中では彼ら以上のヒーローかもしれない。

ボクシングの神に愛されたビッグベアの建設家/アベル・サンチェス

ゴロフキンとアベル・サンチェスはカネロ戦を最後に決別した。トレーナーと選手の出会いと別れはいつの時代にもあるものだ。ここで手に入らない新しい何かを求めて選手は去っていく。3年ほど前、ケル・ブルックとの ...

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原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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