渡辺二郎に続いてヒルベルト・ローマン。本場アメリカではスーパーフライ級の最強は、ジョニー・タピア、その次にカオサイ・ギャラクシーというのが定説だが、マニアの間ではヒルベルト・ローマンを推す声もある。そしてローマンを支持すれば渡辺二郎が2番目になる。私はローマン派だ。
サルバドール・サンチェスが1982年に23歳で亡くなった時、彼はメキシコのファンの心に空洞を残した。
ローマンに次のメキシカンアイドルになるチャンスはなかったが、そのボクシングはスタイリストとしてサンチェスに匹敵するものがあった。クリアカンのフリオ・セサール・チャベスは複数階級制覇など時代を代表する活躍をみせ、メキシコ人の愛と尊厳を勝ち取ったが、ローマンはさほど人気がないスーパーフライ級という軽量級だった。それでも、ディフェンススキル、テクニックに秀でた熟練のローマンはピーク時はP4Pファイターの一人であり、今でもスーパーフライ級で歴代トップクラスといえる。
ローマンは常に前進し打ち合いを好むという典型的なメキシコの伝統に従わなかった。傑出したアマチュアだったローマンは1980年のモスクワオリンピックでバンタム級の金メダリスト、アルベルト・メルカードを破ったにも関わらず、メダルを獲得できなかった。
81年秋にプロに転向したローマンはメキシコのプロスペクトとしての王道を歩み、5年間で43試合戦った。渡辺二郎相手に世界初挑戦するまで40勝3敗だったが、渡辺よりも熟練し、総合的なテクニックで上回っていた。
試合自体はドラマが少なくみえたが、マニアにとってはローマンの戦術の高さに唸る内容で、フェイント、ジャブ、フットワーク、高いリングIQと多様なスキルセットを示した。
ローマンはキャリアを通じてこの高いリングIQとスキルセットを駆使して戦い続けた。
タフなタイのコントラニー・パヤカローンはローマンを苦しめたが、ローマンは調整力をみせ攻略
元フライ級王者のフランク・セデノはローマンからダウンを奪うもローマンに動揺の気配がないとわかると落胆した。2度の世界挑戦者でヨーロッパバンタム級王者のアントワーヌ・モンテロは完璧なスーパーフライの身体を作ったがローマンは9回で涼しく攻略した。
ローマンにとって鬼門となったのはアルゼンチンのサントス・ラシアルで、3度戦い1勝1敗1分だった。彼らの3部作は、究極のインファイトとアウトボクシングの凌ぎ合いでとても興味深い内容だ。
ラシアルは肩幅が広く頑丈でアゴをしっかりブロックし上体をよく振ることでローマンに肉薄しドローを演じた。再戦では何度もバッティングが発生しローマンの負傷TKO負けという形でラシアルが2階級制覇を達成した。ローマンは7度目の防衛に失敗した。
https://www.youtube.com/watch?v=3JVsMgnIPUY
https://www.youtube.com/watch?v=9itxnwbqMw8
ラシアルからWBC世界スーパーフライ級王座を奪取したシュガー・ベビー・ロハス( コロンビア)に挑戦し、3-0の判定勝ちで王座に返り咲き。コロンビアのシュガー・ベイビー・ロハスは彼がメキシコ人であったら人気の面でローマンをはるかに上回っていたかもしれない。30勝1敗、高いKO率を誇るロハスはパワフルでラシアルやローマンにとっては大きすぎる相手だった。さらにローマンは交通事故で100針縫う怪我をしており肉体的なピークを過ぎていた。しかしそれでもローマンの経験値を克服するのは至難の技で、ロハスはキャリアで初めて判定負けをした。
https://www.youtube.com/watch?v=YJCmT4-QuE4
日本で将来のスーパーバンタム級王者、畑中清詞を完封し、ラシアルとのラバーマッチを制し2度目の王座を5度防衛。
歴戦のダメージで反射神経に鈍りをみせたローマンは打ち合いのファイタータイプになっていった。ハードパンチャーのナナ・コナドゥと文成吉に連敗し王座返り咲きならず。これが最後の試合となった。
文成吉戦の直後に、同胞サンチェスと不気味なほど似た状況でわずか28歳で自動車事故により死去した。ローマンはサンチェスのようにノスタルジックに語られることはない。潜在能力や未来の業績を語られることもない。キャリアを全うしたローマンは周囲に引退の意思を既に伝えていた。彼はキャリアのピークに突然この世を去ったのではなく、既に数々の栄光を達成していた。
スーパーフライ級の世界戦で通算12勝をあげたヒルベルト・ローマンは全てのレベルで卓越したマスターだった。軽快なフットワークと防御に長けた技巧派で、パンチは非力ながら、シャープな連打で巧みに相手を追い込むことで、54勝中35のKOをマーク。この階級ではみられなかった高いリングIQを示した隠れた名王者だった。
さながら今のドニー・ニエテスのような職人的スキルのマスターで、カルロス・クアドラスも節制してればこういうファイターに近かったのかもしれない。今観ても速く、滑らかで才気あふれる素晴らしいボクシングだ。こういうディフェンシブで職人的なスタイルでも反射神経の鈍りや歴戦のダメージ、最後はパワーに屈する。まるでベテランの巨匠のような風格を残し、わずか28歳という短命でこの世を駆け抜けていった。