マキシム・ダダシェフ 享年28歳
心が重い。ご冥福をお祈りします。
[st-card id=79991 ] [st-card id=80447 ]7月19日のメリーランド州オクソンヒルでの試合中に発生した頭部外傷の影響でマキシム・ダダシェフが死亡したというニュースは世界中のボクシングファンに悲しみの衝撃を与えた。ファイターに与えたショックはそれ以上だ。結局、ボクサーは皆(sweet science=ボクシング)に従事している限り、誰でもこのような危険にさらされるリスクがある。
“The sweet science.=甘い科学”
おそらく、そんな感傷的な言葉は“pugilism=拳闘=ボクシング”の婉曲表現でしかなく、「ボクシング」にぴったりの説明とはいえない。
カリフォルニア在住の28歳のロシア人ファイター、ダダシェフの死を受けて、ファイターから多数の言葉が寄せられている。ダダシェフは試合の翌日の土曜日に手術を受けた。脳出血による脳の腫れを抑える必要があった。
ブルックリンのヘザー・ハーディーの言葉は多くのファイターの気持ちをうまく伝えている。
ヘザー・ハーディー(Heather Hardy)
「このような痛ましいニュースを耳にするたびに、私は自分の人生の選択を誤ったのではないかと考えます。私の顔には50針を超える傷跡があり、26試合のプロキャリアで何度も脳震盪を起こしました。1ラウンド100ドルに満たない試合のために命の危険を晒し戦っています。それは私の場合、エンターテイメントではなく、家族を養うための手段です。37歳になった私には残された時間はあとわずかです。あと少しだけ戦う必要があります。
でも、私のこのようなたわごとがいつも試合の度に頭をよぎるわけではありません。ダダシェフとご家族に愛と祈りを・・・」考えさせられるコメントだ。このような気持ちは決して他人事ではなく、ファイターはみな、ボクシングに対してポジティブな気持ちとネガティブな気持ちで揺れているのだ。
ボクサーの一人、エストニア生まれで米国を拠点とするスタン・マルティニアクはダダシェフの死に衝撃を受けた。彼らは最近知り合い親密になったばかりだった。
マルティニアク
「6月はじめに彼のトレーニングキャンプのサポートをするために知り合ったばかりでした。でもすぐに意気投合しました。(外国人である)僕らは友達が少なかったからとても親密になりました。」ボクシング界の頂点に君臨するテレンス・クロフォードも反応した。
クロフォード
「あぁ、辛くて心が重い。ダダシェフと計量後にガソリンスタンドまで一緒に歩いた時を思い出す。彼はとてもいい奴だった。彼の家族がこの苦しみから救われますように。どうか友よ安らかに眠れ。」カナダのジャン・パスカルもコメントを残した。彼は来たる8月3日にライトヘビー級暫定王者のマーカス・ブラウンに挑む。
パスカル
「ボクシングの悲劇がまた生まれた。我々は兵士だ。国や家族や愛する者たちのために戦場に行く。無事に帰ってこれるかどうかは決してわからない。ダダシェフの冥福を祈る。」悲劇を受けて全てのファイターがこのような声明をするわけではない。このスポーツの残酷な側面から目を背けていた方がいい場合もある。(その方が気持ちを楽にしていられる。)
“Sport.=スポーツ”
これもまた「ボクシング」の都合のいい婉曲表現に過ぎない。
ダダシェフの死を受けて、観客として外側にいる我々が常に重んじなければならないのは、2人のファイターに敬意を持ち結果を尊重する事。彼らに期待しすぎないようにする事。彼らもただの人間であり、時にスーパーマンのふりをしているだけなのだ。それが私たちが彼らをもてはやす理由だ。彼らがどんなに過酷な状況でも試合を諦めない姿をみたら、ダダシェフの事を想い出そう。(そして少しでも早く救出しよう。)
回復を祈っていたが、恐ろしい予感はここ数日常にあった。
ダダシェフは最後まで試合を諦めずダウンすら拒んだ。トレーナーのストップにも首を横に振った。
そんなに過酷な状況ならどうかもっと早く倒れておくれとは言えない。
ナイスファイトだった。
村田はボクシングはスポーツなんかではないと言うような事を言っていた。
サブリエル・マティアスの胸中たるや複雑だろう。
しかしボクシングが続いていく限り、彼は必ず世界チャンピオンにならなければならない。ライバルの夢まで携えて。
長谷川穂積
「ボクシングは夢の潰し合い、勝った者が負けた者の夢を潰して上がって行く。」
合掌。