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崇高なる道へ①/西岡利晃

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私が日本人で最も好きな西岡の特集がリング誌に連載されていました、全部翻訳するのはキツイので抜粋です。

好きな理由はスタイルが好みなのもありますが、最強だからというよりは、崇高なる最強の高みまで挑み続けたからです。どこで誰とやったか・・・これが私の着眼点です。

2000年6月に西岡利晃(39勝24KO5敗3分)は地元の兵庫で経験豊富なウィラポンに挑みました。

彼らはその後計4度48ラウンドを戦うことになります。
2戦目と3戦目が引き分けで1戦目と4戦目はウィラポンの勝利でした。

西岡
「初戦はスピードとフットワークでウィラポンを翻弄しようとおもいましたが、彼は私の戦術や左をよくわかっているようでした。自分の体幹、ボディワークが不安定で、ウィラポンのジャブを食いすぎ、ポイントを失ってしまいました。当時私には世界に通じる基礎がありませんでした。スピードと感覚に頼っていただけでした。」

再戦で西岡はあと一歩までウィラポンを追い詰め、最高の試合を演じました。

西岡
「距離をとって戦うことでウィラポンのパンチを避けました。7ラウンドでダウン寸前まで追い詰めましたが、仕留めきれずドロー判定となりました。結果を受け入れるしかありませんでした。」

その後、西岡はアキレス腱を複数回断裂し、試合ができなくなってしまいました。プラスアルファを手に入れるため、走り込みをしすぎてふくらはぎが膨らみ、スパーリングの初日でアキレス腱が裂けてしまいました。リハビリをしながらトレーニングを続けましたが、再びアキレス腱を切って手術を余儀なくされました。

ボクシングを続けることが困難になり引退もよぎりましたが、なんとか現役を続行しました。しかし悲しい事に左足に体重をかけることができなくなってしまいました。ウィラポンに対する、3戦目、4戦目もそのような状態で、動きが制限されました。

西岡
「左足に体重をかけれない分、右足軸で戦いましたが、その分距離が近くなり、インサイドに傾いていました。ウィラポンはそこをうまく突いて右をジャブのように使い、右の眉間をカットしてしまい、流血で見えなくなってしまいました。」

4戦目の完敗で西岡の引退は確実におもわれましたが、彼は諦めませんでした。怪我を庇う自分のボクシングに納得できませんでした。本田会長には引退を勧められましたが、彼は拒否しました。

7か月後、西岡は中島吉兼を破り、Sバンタム級で再浮上し、その後結婚をしました。西岡はもはや自分だけのために戦っているのではなく、結婚は彼に力を与えました。守るべき家族がいました。

西岡
「小学校でボクシングをはじめて以来、世界チャンピオンになるのが夢でした。必ずなれると確信していました。けれど、上手くいかないしスパーで倒されることもありました。何度もボクシングを諦めそうになりました。それでもトレーニングを続け、王者になると信じ続け、困難な時を乗り越えました。」

2006年には娘も生まれ、家族は西岡のモチベーションであり続けました。

西岡
「私はもう負けないという強い思いを抱くことができました。世界王者になれなかったら私は前に進むことができません。自分を信じ続け、トレーニングに励みました。」

その後西岡は4年半で8試合に勝利し、横浜でナパーポンとWBC暫定王座をかけて戦い、念願の世界タイトルを獲得しました。

21年間のボクシング生活、32歳の西岡は遂にベルトを巻きました。

西岡
「これが最後のチャンスだとおもっていたので、夢を実現させるため最善を尽くしました。私のスタイルではないのですが、初回から手を出し、攻めていきました。リングアナウンサーに勝利をコールされた時の喜びは表現できません。とても長い道のりでした。」

続く・・・

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プクー

原始的で単純明快なスポーツです。生涯一度の敗北、無敗で引退したボクサーもいます。負けても次頑張りますというスポーツとは違う残酷さ、無常さが好きです。

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