もしマイキーと戦っていたなら、どちらが勝つにせよ、ノックアウト決着になったでしょう。どっちが強いか決めるために本当に彼と戦いたかったです。
ビッグパンチャーの内山高志は、WBAスーパーフェザー級王座を6年間保持し2010年代に11度の防衛を記録した。
1979年11月10日、埼玉県春日部市で生まれた内山は小学生で野球、中学ではサッカーをしていた。14歳の時にTVで観た辰吉丈一郎の試合でボクシングに魅了された。
内山
「辰吉さんの全てが私にとり新鮮でエキサイティングでした。サッカーよりもボクシングに心を奪われました。WBCスーパーフライ級王者の川島郭志さんも好きでした。あのディフェンステクニックに感動しました。全国的に有名な花咲徳栄高校でボクシングを始めました。」若い内山はアマチュアで成功し国内タイトルを4回獲得、2003年には世界選手権に出場した。91勝59KO22敗の記録を残した。2004年のアテネオリンピックを目指していたが叶わなかった。アマチュアを辞めてもプロになるつもりはなかった。
内山
「プロボクシングはヘッドギアもつけず、血まみれの薄いグローブで殴り合います。そんなタフな世界でやっていく自信がありませんでした。ワタナベジムから何度もプロに誘われました。ジムにはホンさんという韓国人の元オリンピアンのトレーナーがいました。彼はボクシングに造詣が深く、彼のトレーニング理論や方法が理想的だったので次第にプロになりたいとおもうようになりました。」
2005年7月25日にプロに転向し初回ノックアウトでデビュー。
8戦目で東洋太平洋王座を獲得、2度世界に挑戦したナデル・フセインを8ラウンドTKOで下した。2010年1月、メキシコの世界王者ファン・カルロス・サルガドに挑むまでにOPBF王座を5度防衛した。
ホルヘ・リナレスを初回ノックアウトして王者になったサルガドよりも常に先行して攻め続けた内山は最終回にサルガドを倒しストップ勝ち、初の世界挑戦で王者になった。
https://www.youtube.com/watch?v=WyYN5s7srjM
内山
「最終回を流しても勝ちだとおもいましたが、ノックアウトで勝つことは私のキャリアに違いをもたらすだけでなく、ファンに強いインパクトを与えるとおもったので倒しにいきました。」それから内山の恐怖の統治が始まった。1つの負傷引き分けを含む11度の防衛に成功。これを凌ぐのはブライアン・ミッチェル(12度)だけであり、、在位期間はフラッシュ・エロルデに継ぐ2番目に長いものだった。
将来の世界王者三浦隆司、ホルヘ・ソリス、ブライアン・バスケス、金子大樹、ジョムトーン・チュワタナらを破った。
2016年4月、パナマの無名ボクサー、ジェスリル・コラレスが日本で内山を2回に3度倒しアップセットを起こし、内山の長い統治を終わらせた。両者の再戦はより僅差の勝負となるも、スプリット判定でコラレスが内山を返り討ちした。
内山
「初戦のネガティブなイメージが抜けなかった。初戦で食った彼のカウンターを警戒しすぎて、ためらいがあり攻めきれなかった。」同じ相手に連敗した内山は24勝20KO2敗1分の記録を残して引退した。
日本人として内山がスーパーフェザー級で世界に君臨してきたことの意義は大きい。
内山
「スーパーフェザー級は日本でも競争が激しい階級です。日本人の世界王者は日本人の挑戦者と戦いたがらない。けれど私はそのチャンスを彼らに与えました。三浦や金子に対して私は明確に勝つことが出来ました。正直に言うと私は他の日本人ボクサーと比較されたくありませんでした。自分こそ日本で最強のスーパーフェザー級であると証明できたことが誇りです。」
内山は当時WBOの王者だったマイキー・ガルシアと戦いたかった。
内山
「2013年にボブ・アラムから話があったのです。彼に招待され、ビバリーヒルズにあるアラムの家でガルシアと戦いたいという強い意志を伝えました。アラムはOKと言い、詳細な計画についてさえ話し合いました。しかし日本に戻ると実現困難な様々な障害に直面しました。残念ながらアラムとの計画は進展しませんでした。もしマイキーと戦っていたなら、どちらが勝つにせよ、ノックアウト決着になったでしょう。どっちが強いか決めるために本当に彼と戦いたかったです。」
現在39歳の内山は独身で東京に住み、昨年12月に最先端のジム、KOD LAB Fitness Boxingをオープンさせた。村田諒太、伊藤雅雪、井岡一翔など日本のトップがよく利用しに来ている。
内山は今でも現役時代のシェイプを維持している。小学生から70歳の高齢者までジムでミットを持っている。2011年には『心は折れない』という自伝を出版した。
戦ってきた相手について
ベストジャブ ジョムトーン・チュワタナ
私にジャブを効果的に使う相手はいませんでした。ジョムトーンが最もいいジャブを打ってきたとおもいます。サルガドもいいジャバーでした。ハイデル・パーラのジャブは軽かったけどリズムが独特でした。
ベストディフェンス ブライアン・バスケス
素晴らしいディフェンススキルを持っていました。捕まえるのに予想以上に時間がかかりました。彼を倒すために色んな技術を駆使しました。
ハンドスピード ジェスリル・コラレス
とても速かった。スピードが彼の財産ですがそれに頼りすぎるところがあります。相手が危険なエリアに来ると容易に素早いカウンターパンチを打ってきます。
フットワーク ジェスリル・コラレス
フットワークもコラレスが素晴らしかったです。出入りの速度や反射神経など、身体能力がとても高いです。
屈強 金子大樹
フィジカルの強い男でした。ハードパンチを食ってもアタックし続けてきました。いいパンチを入れてもすぐに打ち返してきました。すごいタフネスで勝利への強い執念を感じました。
スマート ホルヘ・ソリス
たくさんパンチを打ちましたが、ポジショニングが上手くて正確に当てるのに苦労しました。リスクから抜け出すための距離の管理が巧みでした。世界クラスの経験を持ったファイターでした。
ベストチン ブライアン・バスケス
私のパンチに耐える頑丈なアゴを持っていました。予想してたよりずっと肉体もパワーも強力でした。
ベストパンチャー 三浦隆司
彼のパンチはまるで爆弾(ボンバー)でした。
ベストスキル コラレス
彼のスキルが私が戦った相手では最高レベルでした。スピードだけでなく戦術家でもありました。彼は頻繁にスイッチします。普通スイッチするとスピードが落ちるので私はスイッチヒッターが得意なのですがコラレスはスイッチしても速いままでした。
総合 ジョムトーン・チュワタナ
難しい質問です。
ジョムトーンだったとおもいます。あの試合前、私の肘は手術が必要なほどひどい状態でした。曲げたり伸ばしたりすることもできませんでした。腕でガード、ブロックが出来なかったので、試合の準備がほとんどできませんでした。今回は負けるかもしれないと真剣に考えました。
さらにトレーニングで背中を痛め10日間歩くことができませんでした。こんな状態だったので私は練習を非公開にしたのです。肘の骨が砕けて関節に入ったので試合後手術を受けました。
ジョムトーンと戦った時、本能的に「この男はとても危険だ」と感じました。ファイターとしてのオーラがすごかった。
私の使命はできるだけ早く試合を終わらせることでした。試合がはじまってすぐにこのタイの伝説的なムエタイファイターは私のワンツーを嫌がっていることに気付きました。彼のジャブ、距離感、予測能力には驚かされました。幸いにも次の回でノックアウトできましたが、それは上手くかみあったおかげでした。
圧勝、ベストパフォーマンスの中に最強の敵あり
というのはこれまでもよくあったが、内山にとってジョムトーン戦の裏には様々な事情、本音が隠れていた。
ボクシングではよくOld Schoolという言葉が使われる。
古典的で普遍的な技術や考え方こそ大事だと言うような意味だとおもうが
内山高志のボクシング、人間性はまさに威風堂々、一切のまやかしすらないオールドクラシックだった。
その強さ、佇まい、姿勢に憧れて多くのトップ選手が集まって来るのだろう。
マイキーとの試合、勝とうが負けようが実現して欲しかった。
スーパーフェザー級歴代最強パンチャーだ。